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僕という物語に必要なシナリオ

オーストラリア在住の
Fさんと出会って1年経った頃。

僕は相変わらず
心のままにいて、

かつてコーチとしての
活動も休止して1年経っていた。

その間、
なぜか生活に困ることもなく

ただただ「僕でいること」を続けていた。

不安になったり
焦りを感じたりしたものの

かつてのサバイバルを生きる僕から
解放され始めていた。

今ここにある幸せを
感じられるようになり

ここまで生かされてきたことに
感謝するようになった。

目に見えた何かを得ていなくても
目に見えない何かを享受していて、

それは僕を生かしてくれている。

何かをしなくてはいけないと
駆り立てられることもなく、

ただただ目の前のことで
家族のための食事を作ったり、
花壇の花を育てたり、
仏壇のお世話をしたりして、

今すでに目の前にあることに
感謝するようになった。

長らく見えていなかった。

次から次へと何かを得なくてはならず
次から次へと何かをしなくてはいけない

そういう生き方だったから、

朝日が心地よいことも
花が綺麗なことにも
仏壇の向こうにいるであろう
妻の父や母への感謝にも

気づかなかった。

明日よりも昨日よりも
今日に心を込めるように

何かのために何かをしなかった。

だから、特別何も起きていないようでも
1日があっという間に過ぎていく。

そんな僕に
Fさんから「仕事を手伝ってくれませんか」
というお誘いがあった。

オーストラリアでセミリタイアしたFさんだったが、
1年前にInstagramをはじめ、
企業研修などで教えられていたマーケティングを
Instagramで繋がった人たちへ講義するようになられていた。

それもあくまで
ボランティアの域ではじめたということだったけれど、

個人的な繋がりを持つうちに
コンサルティングをするようになり、

本気で教えるならビジネスにしないといけない
という結論になったようだった。

しかし、
セミリタイアしているFさんは、
以前ほどではないものの、
現在も会社は経営されていて、

当然、これで儲けようなんて
ことではなく、

Fさんもまた
心のままにいたら

結果的にそういうことになった、
ということだった。

そんなわけで、
Fさんにとってもはじめてとなる
「個人」に対するコンサルティングチームの
コーチとしてお誘いがあったわけだ。

僕は、会社を辞めてから
個人に対するコーチだったから、
その経験を買ってくれたことと、

この一年間のFさんとの信頼関係で
声をかけてくださった。

朝日を浴びて散歩をし、
エッセイを書いたり
イラストを描いたり
短編の読み切り小説を書いたりし、

料理をしたり、
花を育てたり、
仏壇のお世話をしていた僕だったが、

結果的に一年ぶりにコーチとして
仕事をすることとなる。

だから、
何もしなくなった僕は

ただただ僕が僕でいると
どうなるか?

という過程にいて、
その結果として
人と出会い、新たな展開を得た。

この頃、
物語を書くようになっていたからか、
人生にもシナリオを意識するようになっていた。

人生という物語の展開には
必要な出来事があるからこそ
次の展開が待っている。

立ち止まり、生活に困ることが
必要な出来事なら
そうだったかもしれないけれど、

そうではなかったのなら
僕は立ち止まり、
「一人で生きているんじゃない」
という体感こそが
必要な出来事だったかもしれない。

と思うようになった。

だから、このお誘いにも
いいとか悪いとか
気にいるとか気に入らないとか
やりたいとかやりたくないとか
ではなく、

物語に必要な出来事として
ありがたく即答でイエスと答えた。





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