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別に意味なんてなくてもいいよ。

そんなことやって
何の意味があるんだろう?

そんなことを始めた。

朝日を浴びて
散歩するようになった僕は、

心の声を聴くようになる。

心のままに
感じたことを
表現することにした。

最初はインスタグラムに
朝日の写真と
それに添えた文章。

セールスコピーではない
ただただ心のままを表現した文章。

目的や、狙いのない文章。

「そんなことやって
何の意味があるんだろう?」

自分でやっておきながら、
僕はずっと自分で自分のやっていることに
つっこみを入れていた。

感じたことを表現する、
そんなことは無意味で無駄で
非効率的で

自分で自分の行動を説明できない
不可解なこと。

サバイバルを生きていた僕には
まるで意図的にしたことのないこと。

朝は全てを肯定していて、
夕方には全てを否定しているような

母親のスカートの後ろに隠れていた僕と、
その後の僕とを行ったり来たりしていた。

だけど、
朝日が美しいこと、
朝の空気が心地いいこと、
全てのことに平等に価値があること、

今、ここに幸せを感じていること。

うつろいでは消えたりしてしまう
この感情は
どこからともなくやってきて

確かにそれはその瞬間ある。

目に見えているものだけを
確かなものと信じて

目に見えないものを
不確かなものと信じてきたのかもしれない。

しかし、
誰しも、僕もまた
目に見えないものを感じたり、
信じていたりすることは確かで、

それを見ないように、
見えないようにしていただけかもしれない。

やがて、
「その意味は?」とツッコミを入れている僕に、

「別に意味なんてなくてもいいよ」

と僕に言ってあげるようになった。

しばらくして、
そんな意味のないことと言っていたことが

僕と人を繋げることになる。

それは、オーストラリアからのメッセージだった。



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