noteってSNSかと思ってたら、自己修練道場であり底なし沼だった件(下)
noteの仕組みをよく分かっていない私には、なにが起きたのか全く理解できなかった。
誰かにピックアップされてから、この記事への「スキ」がみるみる増えていったのだ。
深夜の倉庫街のようだった私のnoteに一体、なにが起きているのか?
なぜ急に、この記事が読まれるようになったのか?
ここで、初めてnoteには、「noteの書き方」みたいな記事が大量に投稿されていることを知った。
ただのブログだと思って始めたnoteが、実は図書館じゃん、いやデジタル図書館じゃん、いやSNSでしょ!と認識が改まって行った。
書いて終わりだったnoteだったが、人の投稿を読みにいくようになった。
それまでも、関心があるタイトルを見つけると読みに行って「スキ」とか「フォロー」をしていたが、それは何の効果も生んでいなかった。
私は、やたらとフォローはするけれど、フォローはしてもらえない残念なnoterだった。
しかし、感想を書き込んでみると、noterさんは必ず返信をくれた。
SNSなんだから当たり前といえば当たり前のことなのだが、長らくnoteをデジタル図書館だと思っていたので、他のnoterさんと交流するみたいなことは頭になかった。
そんな認識を少しづつ変えてくれたのが、幾人かのnoterさんだった。
例えば、僕は自分がエッセイ系の原稿を書いていることもあって、小説風の投稿は全くと言っていいほど読んでいなかった。
その認識を覆してくれたのが、青空ちくわさんのあまりにも爽やかな作品だった。
まさか自分が、いい歳をしたおっさんが「恋」を描いた投稿に「スキ」する日が来るなんて想像だにしていなかった。
カルピスソーダのメタファーの使い方がうますぎて、読み終わった後、
「うーん、うまいなあ」
と腕組みしてしまった。
文章の透明感、リズム。心理描写。清涼飲料水を飲んだかのような爽やかな読後感。見事に短編小説として成立していた。もう本屋に文庫本探しに行く必要なし!と思った。
お仲間たちとバトンを渡しながら書いているようだった。
noteってこんな使い方もあるんだ。素敵だなと思った。
もう1人、私をうならせたnoterさんがいた。
その人の名はUさん。
僕より、全然note歴が浅いのに、はるかに多くのファンを持ち、ファンと交流しているご様子。スターに見えた。書くだけではない、募集企画なども行う行動派だ。
文章は軽やかで今風で、反響(クレーム?)も数多く寄せられているらしい。
まさにSNSはこうやって楽しめばいいんだよと教えてくれた恩人みたいな人だ。
この方も、僕には「この発想はなかった」系のネタで勝負してきている。
しかもこのネタで連載が続いているから凄い。
軽やかな会話のやり取りにいろんな意味を被せて、読者の想像を広げていく。
水彩画家が色を重ねるように意味を重ねる、僕にはできない手品のような文章だ。
一度読んだら次回作を期待してしまう。もう流行作家でしょ。
会話のやりとりだけで、少しずつシチュエーションを進めていく。
でもそれは物語をすすめるためだけでなく、人の気持ちを少しずつクッキリさせていくテクニックでもあった。
読んでいる方は、カメラのフォーカスが徐々に合ってくるような感覚におちいる。なんて、凄い文章を書くんだ!と感想を送ってしまった。
Uさんも明らかに自分の客層とは違う私からの感想に驚いたかもしれない。
私の認識を改めてくれた3人目のnoterさんは、本田すのうさんだ。
すのう、だなんて雪国のご出身かしら、なんて思っていた私の横面をはたいてくれたのが彼女だ。
名前の由来は「本 出すの」だそうだ。
すでにKindle本を2冊出版されている。
キャッチフレーズは「書いて読む主婦」。毎日投稿も続けている。
彼女のクリエーターページには「ご紹介ありがとうございます」というマガジンがあって、なんと104本もの投稿が彼女や彼女の作品に言及しているのだ(これで105本目か!)。
太陽系の太陽みたいな人やん!
noteを足がかりに、本の出版に繋げていきたいという明確なビジョンを持たれている方で、すでにnote公式のお題でも受賞歴がある。
作品が注目される創作大賞への応募もされていて、どうやって自分の文章を磨いていったらいいか、ということへの熱意と情熱に「何、ぬるいことやってんだよ!」
と叱られた気がした。
押忍、本田師匠、ありがとうございます!(また、体育会系が出てしまった)
叱る大御所ともいえる藤原華さんを知ったのも本田すのうさん経由だ。
藤原華さんもそうだが、noteにはプロがたくさんいる。
ライター、ウェブライター、編集者、記者、作家、フォトグラファーなどなど。
彼ら、彼女らは、プロとして独特の存在感を放っている。
ちゃんと「創作大賞」を取りに来てるし、どう書くべきか、そもそも書くってどういうことなのか。何のために書くのか。そうした問いを発して、読んでもらえる投稿を書くにはどうすべきかを指南してくれる。
有料化するために、収益化するために何が必要なのかまで、ありとあらゆるアドバイスがnote上には在ることもわかった。
何を隠そう、noteを自分の備忘録として、徒然なるままに書き綴っていた自分を振り返る機会を与えてくれた。
青空ちくわさんも、Uさんも、本田すのうさんも、みんな読者のために書いていた。
自分のためでなく「読者のために書いてみたい」
そう思わせてくれたnoterさんたちに、改めて感謝を伝えたい。
で、改めて自分は何者なのか?
noteで何がしたいのか、を考えていた時に出会ったのが、まさに教室経営という意味で同業者のkanakanakanaさんだった。
長さをものともしない、流れるような文章。
気がついたら読み終えてた系の文章だ。
kanakanakanaさんは、同業者というだけではない。
書かれているものも、小説でもエッセイでもない、人に何かを伝え、人を説得する文章だ。そういう意味では、文章スタイルもご同業である。
うんうん、ここ、ここ。
私が勝負すべきは、ここなのだと確信を持たせてくれた出会いになった。
私は、彼女の投稿を読んで、自宅で開いている作文塾「作文虎の穴」のマガジンを作ることを決意した。
くりすたるるさん
くりすたるるさんは、別の形で私の横面を叩いてくれた一人だ。
この投稿では、不登校について書かれた詩を載せているのだけれど、彼女はここに至るまでに、すでに8万字もの文章を書き綴っているとカミングアウトしている。
400字詰め原稿用紙200枚ですよ。
それだけの文字たちが、紙の上に吐き出され、並べ直され、思考を深めるための材料にされ、まったく別な作品として読者の前に姿を現しているのだ。
私の書いていたのは備忘録だからして、頭に浮かんだ出来事やら、思い出やら、想念やら着想を、浮かんだ順につらつら書き連ねたものだ。
整理なんてされていないし、どういうアプローチをすれば読者に受け取ってもらいやすくなるかなんてことも(していないとは言わないけれど)ほぼ、その場の思いつきだ。
浮かんだ言の葉を書き連ねていくのではなく、複数の縦糸に、思考され、吟味され、デザインされた横糸が編まれていく。
そんな作品の在り様に、襟を正さざるを得ない。正座して読みたくなる文章だ。
書くのではなく、紡ぐ。
そんな在り方でnote に向き合っているとお見受けした。
多くの読者を集めるコングラボードコレクターでもある。
もひとつ付け加えるなら、コメントが優しいのである。
noteのコメントだから、誰にでも公開されているのだけれど、封筒に入った私信をいただくような温かみがある。
「高円寺バタイユ@院生」さん
カミングアウトというか自己開示というか、このnoterさんの本領はここに在るのではないので、この作品を取り上げられるのはご本人にとっては不本意かもしれないが(笑)、あまりのうまさに人に話したくなる作品だ。
科学的あるいは学術的アプローチによる自己開示
と名付けたくなったのが、こちら「高円寺バタイユ@院生」さんの作品だ。
フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユの名前をいただく大学院生さんは、美術展のレビューなどを中心に書かれている方だ。
イメージが固定化してくると裏切りたくなる性格のようで、
「自分本位に発信して楽しむ」ポリシーを守るために書いたという作品。
大変残念ながら有料だったので、無料部分だけしか読んでいないのだが、私がここまで学んできた、読者のために発信する、受け取ってもらえる形にする、などどこ吹く風の明確なポリシーのもと書かれている。
仲良くなったら、どのくらい売れたのかぜひ聞いてみたい。
『エロティシズムの歴史』などで知られるバタイユだが、私が感心したのはテーマではない。アプローチだ。このテーマを書く筆致である。
この手があったか! とは思うものの、到底真似はできない。
読者のために書くどころか
「女がコソコソ猥談する時代は私が終わらせる。それくらいの勢いで書きます。苦手な人は注意かも。」
と気の弱い読者は読むなよ!との警告付きだ。
正統派なアプローチへの逆張りというか、アンチテーゼを示してくれた作品として皆さんにもご紹介しておきたい。
noteの海を渉猟している時に、偶然発見してしまったのが、岸田奈美さんだ。
私の投稿が、40スキとか50スキとかで、あー結構読んでもらえたなぁなどと思っていたら、「31222❤️スキ」の作品を見つけてしまった。
なんじゃこりゃ! noteではみたこともない数字である。
いやいや、私が知らなかっただけで岸田さんこそnoteが生んだスーパースターらしい。
彼女の「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」は、NHKでドラマになっていた。
私が、パソコンとにらめっこをしながら、岸田奈美さんの作品をあれこれ渉猟し疲れて、リビングに降りた時、偶然テレビが「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」を放送していたのだ。
私が、興奮気味に妻に、今この原作noteで読んでた!と報告すると、テレビはついていたけどスマホを見ていた妻は、関心なさそうに「ふーん」と言った。
私の興奮は、だれに受け止められることもなく、家の中で宙を彷徨っていた。
あー、僕の妻も「びっくりするほど他人に興味がない」人なんだな、とひとりごちたのだった。
こうして、僕は、マガジンというものの存在を知り、作品への反響が増えるに従って、noteが人をはめる沼だったことに気付いたのだが、もはや後の祭であった。
マガジンのひとつ「noteのクリエーターさんたちみんなでマガジン」に誘ってくださったnote界の貴公士大谷義則さんには感謝しかない。
読んでくれる方が増えて、俄然、やる気になりました。ありがとうございます。
以上