【推薦】実力以上の大学に合格できた私の戦略を今、受験生の娘に伝授する
高3の春を思い出した。
みんなで受けた進研模試の結果がE判定で、
「もう絶対、大学受かんないじゃん。」と開き直っていたあの春。
もうダメだと何度も思ったけど、半年後、
私は第一志望だった上智大学に受かった。
自己推薦の試験に合格したのである。
正面突破が無理だからこそ、推薦で入る。
受験に大事なのは「情報と戦略」だと、身をもって学んだ。
現在、大学受験において一般入試で入学する人よりも、年内入試で入学する人の方が多いという事実をご存じだろうか。
年内入試とは「総合型選抜・学校推薦型選抜」の事を指す。いわゆる「推薦入試」だ。
一般選抜による大学入学者は年々減り、逆に年内入試で合格する受験生の割合が増え、2021年度からはついに一般入学者の数を上回るようになった。つまり、今や受験生の半分以上は「推薦」で年内に入学を決めている、という事である。
そういう私も20年以上前ではあるが、推薦で大学に入った受験生の一人である。
そんな私が「なぜ、自分は実力以上の大学に入れたのか?」を20年以上経った今考察し、その戦略を、今まさに高校の推薦入試を控えている長女に伝える。
高校や大学の推薦入試を現在検討している受験生やその親御さん、または中学受験でも作文や面接があるのなら。
私の受験戦略が、少しでもあなたにも届けばいいな、と思って、今これを書いている。
高2の夏、私は志望校を上智大学に決めた。
理由は、JNSAの一員になりたかったから。
(まぁ、試験に落ちてなれなかったけど。)
担任のピーターや母の後押しもあって、猪突猛進で上智を目指した。
先に言っておくと、
私は上智大学に真正面から入れる学力もなければ、偏差値もない。
小学校までは「頭がいいねぇ!」と言われて育ったので、てっきり自分は本当に頭がいいのだと信じていた。
でも中学に入りテストの順位が出てみたら、どんなに頑張っても中の下。12歳、現実を知った。
英語だけは得意だったので中2で英検準2級を取得し、高校は普通レベルのキリスト教系女子校の英語科に推薦で入った。
授業は英語ばかりだったし、苦手な理系の授業も少なかったので、成績は上がった。でも、学内の特進クラスや市内の水準と比べてみたら自分の学力がそうでもないことには気づいていた。
そんな私が、一度だけ、上智の過去問を開いたことがある。解いたことはない。開いただけ。
開いて10秒後、そっと閉じた。
あれは、ムリだ。
ぜんっぜん意味がわかんなかった。
でも上智に行きたい。
めっちゃ上智に入りたい。
実力のない私があの大学に受かるために残された唯一の可能性。それが「自己推薦」だ。
いや、もう、それしかない。
当時私の通っていた高校には上智の指定校推薦の枠はなかった。だから、自己推薦でどうにかするしかない。
当時、私の第一志望である「上智大学・文学部・社会福祉学科」の自己推薦の条件は、たった2つ。
■ 評価平均が4.3以上であること
■ 英検2級を取得していること
そして11月の推薦試験当日に面接と小論文がある。
私は思った。
「え、いけるんじゃない?」
普通レベルの英語科にいたからこそ、評価平均も4.3以上はあった。これが特進クラスや他の進学校に入っていたら、推薦基準は超えられなかったと思う。身の丈に合ったところに入るのは、戦略の一つだと知った。
5教科で英語だけは昔から好きだったので、高2で英検2級を(3回落ちて4回目で)取っていた。早慶上理やGMARCHだけでなく、多くの大学が推薦の出願条件に英検2級以上を設けているし、他にもたくさんの大学・高校・中学が入試優遇制度を設けている。推薦試験に、英検対策は必須。
なんとか第一関門はクリアした。
残すは、当日の面接と小論文だけ。
面接は得意だ。
小中高と、ほぼすべて面接だけで受験を乗り越えてきた人生だ。特技と言っても過言ではない。小論文も、まぁ、きっとどうにかなる。
万が一推薦で落ちても、一般試験で再チャレンジすればいいや、なんて甘く考えていた高3の春。いよいよ、一般試験は絶望的だと現実を突きつけられる。それが冒頭の進研模試だ。結果は、何度受けてもE判定。
早く小論文や面接の対策をしなければならない。
面接の練習?小論文の添削?
誰が教えてくれるのだろうか。
担任の先生か、はたまた国語の先生か。
高3当時の担任は、デヴィ婦人似のおばさま英語教師。決して感じが良いとは言えない上に、授業は超ハイスピードのスパルタで、自分の体裁を非常に気にするタイプ。個人面談で相談してみる。
「先生、私、推薦で上智に行きたんですけど…」
「あら、そう。」
あら、そう、て。
去年ピーターは、もっとテンション高く後押ししてくれたけどな。
「面接と小論文を見てほしいんですけど、先生、見てくれますか?」
「面接練習は出来るけど、小論文は無理ね。」
「じゃあ、やっぱり現代文の先生ですかね?」
「まぁ、それでもいいけど…」
先生は、すこし考えたあとにこう言った。
「小論文と面接は、福山先生に指導してもらったらいいと思うわ。」
福山先生?それは、誰?
教わったこともなければ、面識もない先生だ。多分男の先生?かな。そもそも、なんの教科の先生なのかも知らない。
「福山先生って、国語の先生でしたっけ?」
「いえ、社会の先生よ。」
え?社会?小論文の添削を??
「進路指導室にいるから『推薦試験のための小論文と面接指導してください!』って言ってみて。知られてないけど、福山先生は小論文と面接の指導がとってもお上手よ。」
「いや、でも、いきなり知らない生徒にそんなこと言われても、福山先生も断るんじゃ…」
「大丈夫。福山先生、クリスチャンだから。」
んな、アホな。
「ただ、これだけは約束して。」
「なんでしょう。」
「福山先生には、私から聞いたって絶対言わないで。」
なんでやねん。
次の日、覚悟を決めて進路指導室へ向かった。
この場合の覚悟とは、顔も知らない、話したこともない初対面の先生に、いきなり「私上智に行きたいので、面接と小論文の指導してください!」とお願いする覚悟だ。こわっ。
進路指導室の入口の近くにいる先生に声をかけた。
「すみません、福山先生いますか?」
なんたって、こちとら先生の顔も知らないのだ。なんなら、目の前の先生が福山先生でない事を祈りながら、今、聞いてる。
「福山先生~!」と呼ばれて振り返ったその人は、眼鏡をかけた優しそうなおじさん先生だった。席まで歩み寄る。
「あの、私、高3の○○と言います。上智大学に推薦で入りたいんですけど、面接練習と小論文を福山先生にみてほしくて…」
「あぁ、そう。上智に。自己推薦で?」
「はい。」
「そっかそっか。わかったわかった。」
わかったんだ。わかっちゃうんだ。
とりあえず、よかった、どうして僕の所へ?とか聞かれなくて。
「志望学科は?」
「社会福祉学科です。」
「おぉ、なるほどね。それはなんで?」
え、もう面接の練習始まってんのかな?
私も必死に答える。うんうん、とうなずきながら聞いてくれる先生。
「なるほど、わかった。じゃあ、小論文から書いてみよっか。」
よかった。とりあえず面接は合格したらしい。
その日から、先生の指導が始まった。
まず、小論文の添削からスタートする。
福山先生の添削は細かく、的確で丁寧だった。
社会福祉に関する様々な議題から、環境問題や社会問題まで、1週間に1つずつ議題が与えられる。そうか、だから社会の先生がいいのか。小論文を書いては添削してもらい、そして書き直す。何度も、何度も、完璧な小論文が完成するまで。
それに並行して、面接練習もする。
「社会福祉学科を志望する理由はなんですか?」
「私は以前から児童虐待問題に関心があり…(以下略)」
「将来はどんな職業に就きたいと考えていますか?」
「児童福祉司になり、児童相談所などで子どもの直接的なケアに携わりたいと思っています。」
「うんうん。そうかそうか。ところで、あなたは児童相談所へ行ったことがありますか?」
「…な、ないです。」
「じゃあ、ぜひ行ってみてください。」
「へ?」
もはや面接練習ではない。
「児童相談所って、急に行って中を見れるところなんですか?」
「急にはダメでしょうね。まず、児童相談所へ見学に行きたかったらどうしたらいいと思いますか?」
「…電話します。」
「そうですね。じゃ、自分で電話してアポを取ってみてください。」
アポを…、私が?自分で?
「それでだめなら、もう一度私に相談してください。この過程と行動がとても大事です。」
「わかりました。」
私は次の日、まず電話台本を作った。それを机に広げて、背筋を正して、児童相談所に電話した。
緊張しすぎて、マジで震えた。
緊張して電話した向こう側で、児童相談所の担当の方はとてもやさしく対応してくださった。ちょうど他の学校でも授業の一環で見学に来る生徒さんがいるので、その時間なら一緒にご案内出来ます、と言ってくださった。
私は、お願いします!と伝えて、福山先生に報告した。先生は喜んでくれて「これが大事なんです。」と褒めてくれた。
初めて訪れた児童相談所では、たくさんの話をきかせて貰い、色々なものを見せて頂いた。心を痛める内容や知らない事実もたくさんあった。それをレポートにまとめ、先生に提出した。
それ以外にも、先生は
「なぜ上智大学の社会福祉学科でなければいけないのか、もっと相手の情報を知る必要があります。」と教えてくれた。「もっともっとたくさん調べてください。」と。
とはいえ、当時SNSも今のようには普及してはいない。簡単に情報は集まらない。
それでも受験雑誌を熟読したり、大学のHPを隅から隅まで見て、「上智大学社会福祉学科」と検索して出てくる情報をまとめたりしていた。
そんな時、偶然「上智社会福祉学科1年生」と名乗る人のHPを見つけた。
どうやら、大学の授業で作成した個人のHPらしい。今では考えられないが、そこには本名とメールアドレスが書いてあった。
すぐさまメールを打つ。
私は現在高3で、上智の社会福祉を第一志望にしていること。秋に推薦の試験を受けること、大学の授業ではどんなことが学べて、どんな大学生活を送れるのか知りたいと思っていること。質問もいくつか書いた。
すると、数日後、丁寧な返信があった。
その人の名前はリノさん、という。
偶然にも児童福祉専攻で、ゼミの先生の名前、そこで学べる授業内容、入っているサークルの話、色々教えてくれた。何度かリノさんとメールのやりとりをしたおかげで、私は大学生活のイメージが持てたし、それを先生との面接練習で話すと、先生はとても良い反応をしてくれた。
私の小論文の腕も少しずつ上がっていった。
その証拠に、現代文の成績も少しあがった。
面接練習も何度も何度もした。圧迫面接も練習した。普段は優しい福山先生も、圧迫面接官役の時は、超憎たらしかった。
デヴィ夫人似の担任の先生も、何度も面接練習をしてくれた。
「だんだん上手になってるじゃない。」と無表情で言われて嬉しかった。
願書提出の時期がやってきた。
願書にも、志望動機やら社会福祉に関する作文やらを同封しなければならない。その他、特技や部活動などを書く履歴書みたいなやつも、先生と一緒に何度も書き直してバッチリまとめた。最後に先生が言った。
「カナさん、子ども歌舞伎に10年在籍してたんでしょう?舞台での写真とかはないの?」
「ありますけど、え?一緒に入れるってことですか?」
「それはぜひ入れましょう!」
「え、でもそういうのって勝手に入れていいんですか?」
「もちろんです。写真が一番インパクトがありますし、説得力があります。」
そういうものなのか。私一人で準備してたら、リストにない写真も入れようなんて考えつかなかった。
私は家じゅうの歌舞伎の舞台写真を探して、その中から最後の舞台で演じた、華やかな色打掛が目立つ一番派手な静御前の写真を選んだ。
「チアリーダー部の写真はないんですか?」
そう。何を隠そう、私はチアリーダー部だった。
「ありますけど…、舞台袖でギャルピースしてる写真しかありません。」
それも、膝上20㎝くらいの短いスカートで。
「わかりました。やめましょう。」
先生は笑っていた。
11月初旬。
ついに迎えた、試験当日。
私は生まれて初めて、リポビタンDを飲んだ。
よしっ、と気合を入れて四ツ谷のキャンパスに向かう。
試験会場となる教室には、たくさんの生徒が来ていた。ここにいる人全部、社会福祉学科希望なのか。割合でいったら半分落ちる感じか。絶対に負けられない。
まずは小論文の試験から始まった。
「よーい、はじめ!」の声と共に、
バッと問題用紙をひっくり返す。
議題が見えた。
「以下の新聞記事を読み、社会福祉的観点からあなたの見解を述べなさい。」
見た瞬間、勝った、と思った。
だって、書いた事あるもん、これ。
福山先生とやったもん。
提示されてる新聞記事は、少子高齢化に関する記事だった。見た事ある。
そして私は何度も練習してきた。少子高齢化でも、貧困でも、すべて児童虐待問題に絡めて問題提起し、自分の見解を述べる練習を。
福山先生が教えてくれた戦略の一つだ。
どんな議題が来ても、最終的に得意分野の話題に置き換え、自分のペースにもっていくのだ。社会問題は全て繋がってる。
記事を読んだら、小論文の道筋がブワーーーっと見えた。書きたいことは山ほどある。そして、それは全部まとまってる。だって、完璧になるまで何度も何度も書いたもん。
私の手は止まらなかった。書き続けた。
書いて書いて書いて…
途中で、力が入らなくなった。
急に体が重い。だるい。
あれ、なんだ、これ。
多分だけど、リポDが切れた。
6:30に飲んじゃったもんな。
ちょっと早かった。効き目が切れた。
それでも、最後まで書いた。
時間も足りた。やってやったぜ!!
完全に調子に乗った。なんかいつも以上にフラフラではあったけど。
そのあとは面接だ。
最初に指定校推薦の子たちから呼ばれていく。いいよな、指定校は。落ちないらしいじゃん。
私たちは自己推薦だ。ここにいる半分は落ちるのだ。でも、私は落ちない。絶対受かって見せる。
私の名前が呼ばれる。
個室の前のパイプ椅子で一人待たされる。
調子に乗っているとは言え、緊張がピークに達する。
「ありがとうございました。」
前の子が出てきた。よし、つぎだ。
と思ってその子を見ると、
泣いてた。
前の子はボロボロ泣いて、部屋から出てきた。
「えっ…、大丈夫??」つい声をかけた
「ごめん、大丈夫。大丈夫だから、あなたは頑張って…。」
がんばれるかーい!!!!
「次の方、どうぞ~。」
さっきまでの根拠のない自信は吹っ飛んでしまった。
面接室に入るとおじさんの教授が3人、並んで座っていた。決して感じの良い雰囲気とは言えない。
「どうぞ、座ってください。」
何百回も練習してきた。大丈夫。大丈夫。
志望動機をはじめ、色々な質問が色々な先生から次々に来る。それにひとつづつ答える。
「小論文は、何について書いたか説明してもらえますか?」と聞かれた。
私は少子高齢化と児童虐待の関連性について話した。その際に出た「私が児童相談所に行った際にも…」という言葉を、教授は聞き逃さなかった。
「キミ、児童相談所に行ったことあるの?」
「はい。現状を知るためにお話を伺いたくて。」
「学校の授業の一環で?」
「いえ、個人的に…。」
「個人的に!?」
「はい。電話でアポを取ったら快く応じて下さって、色々なお話をきかせて頂きました。」
その時、教授たちの目の色が変わった気がした。
空気も変わった、と思った。両端の教授が、明らかにうなずいた。
今でもその瞬間を覚えてる。
面接しながら、私は初めて理解したからだ。
そうか、福山先生が言っていたのはこれだったんだ。
ただ受け身で情報を得るだけじゃなく、自分の力で、足で、学べと言う先生の教え。そうか、それがこの場で評価されることを先生はわかってたんだ。だから、自分でアポを取らせ、実際に児童相談所に行ってみろと言ったんだ。
圧迫面接かと思うくらい雰囲気の悪かった面接の空気が、緩んだ気がした。
そこからは、どんな質問が来ても自分の話したい内容に持っていく、という福山戦略と練習成果を出せた。
違う先生が、封筒から大きな写真を取り出し、見せてきた。
「これも、君なの?」
それは、歌舞伎の写真だった。
「はい、私です。義経千本桜という演目の静御前を演じた時の写真です。」
「そうか、これはすごいねぇ。大学でも歌舞伎は続けるの?」
いや、ムリだろ。
私、歌舞伎役者の家に生まれた訳でも、そもそも男子でもないし。
「いえ、大学では新しいことにチャレンジしたいと思っています。」
「大学に入ったら、どんなことを学びたいと思ってますか?」
「大学では、特に児童福祉について学びたいと思っていますが、具体的には、児童福祉論や家庭福祉論の授業を受けるのを今から楽しみにしています。3年生になったら網野先生の児童福祉のゼミに入り、4年生では長期実習の現場でたくさんの事を経験したいです。」
「かなり具体的だね。」また教授たちが頷く。
ありがとう、福山先生!
先生が相手の情報を調べ尽くせと言ってくれたおかげです!そして、リノさん!今の情報は、あなたに聞いた情報ばかりです!!
「網野先生、聞きましたか。先生がお目当てだそうですよ。」
正方形の顔をした眼鏡の先生が、隣のやさしそうなおじいちゃん先生にニヤニヤと話しかける。
「いやぁ、うれしいですねぇ。」
あ、この人が網野先生なのか。初めまして。
お世話になりたいと思ってます。
「部活は何かしてたの?」
「はい、チアリーダー部でした。」
「おお、上智はチアリーディングも有名だからねぇ。あれ、きみ、チアリーダー部の時の写真はないの?」
真ん中に座っている教授が、封筒の中から写真を探す仕草をする。他の教授たちが笑う。
おじさんはみんな、考えることが一緒なんだなーと、なんとなく福山先生の顔を思い浮かべた。
数日後。
学校に合格通知が届いた。
当時はネットで合否が見れるわけではない。封書で届くのだ。
朝から何度も進路指導室に行って、封書届いてないですか?そろそろ届いてないですか?と何度も確認しに行った。
何度行っても封筒は届いてなかった。
帰る間際に最後にもう一回聞きに行こうと廊下を歩いていたら、進路担当の先生と鉢合わせになり「おめでとう!キミ受かったよ!」と言われた。
泣いた。叫んだ。喜んだ。
担任の先生がクラスのみんなに発表してくれて、みんな喜んでくれた。一般受験の子もいたのに、推薦に落ちた子もいたのに、みんな喜んでくれた。みんな優しかった。ありがとう。みんな。
担任のデヴィ夫人は、
「どうせあなた携帯持ってるんでしょ!今お母さんに電話してあげて!私何も見てないから!」と席を外してくれた。いつでも、自分の体裁はしっかり守る先生だった。
校内持ち込み禁止の携帯電話で教室から母に電話をかけると、母は泣いていた。私も泣いていた。
福山先生に、走って報告に行った。
先生はいつも通り進路指導室にいて、すで私の合格の一報を知っていた。
進路指導室に飛び込んで行った私を、満面の笑みで迎えてくれた。両手を差し出し「おめでとう!!」と握手で祝福してくれた。私はハグしたいくらいだった。
この進路指導室に、
顔も知らない先生を訪ねたあの日から、半年。
私の受験は終わった。
冷静になって、福山先生の推薦受験戦略と、
それが上手くいった理由を考察する。
戦略①評価平均のため、最初からあえてレベルの高いところに所属しない。
私の高校は、田舎の普通レベルの私立高校だ。
特進コースは有名大学に入る人もいたが、英語科は当時偏差値も高い訳ではなかった。だからこそ、そのクラス内で良い成績が取れれば評価平均をキープできた。
あれが、他の進学校や特進コースにいたら評価平均4.3は無理だった。推薦を狙うために、あえてレベルの高いところに行かないというのは戦略としてアリだと思う。
ただ、デメリットもある。
人間は、周りにいる人間や環境に流される。レベルの高い学校やコースには、やはり勉学においては意識の高い人が多いのも事実。クラスの雰囲気も含め、勉強する環境は整っていると思う。
そしてどちらにせよ、履歴書の「学歴」の欄には卒業した学校の名前が刻まれる。メリット・デメリット、両方考えて判断してほしい。
戦略②出願条件の英検級を必ず確認し、早めに対策せよ。
悪いことは言わない。
早いうちから英検に力を入れろ。
「一つだけ得意教科を作るなら、英語に限る」と私は思っている。文系に進もうが理系に進もうが、英語は必須。そして、英検は早めに取れるだけ取っておけ。まだまだこの日本における、英検がもたらす恩恵は大きい。きっといつかあなたを助けてくれる武器になるだろう。
戦略③他人のアドバイスを素直に聞いて、まず行動にうつす。
キミたちは今まさに思春期だとは思うけど、大人のアドバイスは聞いておけ。そして、一回試してみてくれ。勇気を出して実行せよ。素直な子は、チャンスをつかむ。もし、自分に合わなかったらやめればいい。意外と行動にまで移せる人間は、少ない。
戦略④興味のある場所には自分で訪れ、感じ、学び、それを活かせ。
私の一番の勝因はと聞かれたら、あの児童相談所に行った事だったのかなと思う。
教授の立場で考えたら、興味あることを調べるために、実際に自分でアポを取り、主体的に行動して学んだ生徒に見えたであろう。
私も社会に出て、先生になって、よくわかる。
主体的に勉強し、主体的に行動にうつせる子は多くはない。
人に聞いた話よりも、本で読んだ事よりも、体験したことが一番説得力がある。そんな子は、社会でも活躍しそうだと大人は判断するだろう。
勉強だけではなく、どんどん外に出て、体験しよう。そして、興味のある事をどんどん掘り下げて、突き詰めよう。そして、それをアピールする練習をしておこう。
戦略⑤徹底的に情報を集め、比較し、見極めよ。
受験はとにかく情報戦だ。それは、今も昔も変わらないが、むしろ今の方が情報が多いので苦労するかもしれない。
私が自己推薦の募集要項を調べなかったら、あの大学を受けようともしなかったと思う。
でも、推薦条件を知ったからこそ、可能性はあると諦めなかったし、評価平均をキープすることと英検を取得する事、そして小論文と面接対策に全神経を注いだ。
ちなみに、兄は第一希望の大学に一般受験で入ったが、得意な科目だけ点数が2倍という試験方式を利用したらしい。今は多様な受験方式がある。
早目に志望校を決め、どんな入試形態があるかしっかりと調べ、どの方法で行くか決めたら、自分のやるべきことが見えてくる。
戦略⑥図々しいなんて言ってられない、自己アピールはやりすぎるくらいでちょうど良い。
最後に写真を入れた、あのひと手間。
あれは先生の判断が正しかった。
どこにも「あなたが学生時代頑張った写真を入れてください」なんて書いてなかったけど、関係ない。入れちまえ!!
それは、一つのキッカケでしかない。
目を引く写真を入れておけば、必ず面接官はそこに触れてくれる。触れたとたんに、自分の話したい話題に持っていくのだ。
戦略⑦どんな話題でも、自分の得意分野に持っていけ。
これは、何度も練習した。
小論文ではどんな議題が来ても、できる限り自分の得意分野の話題に繋げて、自信のある文章で終わる。
面接では「絶対に聞かれること」と「絶対に自分が話したい事」を繋げておく。これ、大事。
絶対に聞かれる事=例えば志望動機。それを聞かれたら、児童相談所に行った話をする、ボランティアに参加した話に繋げる、部活の大会の話をする、とかね。あとは、目を引く写真や経歴があれば、そこからアピールに持っていけば良い。
面接では、面接官がこちらが話したい事を質問してくれるとは限らない。ならば、繋げろ。その話に持っていく練習を、徹底的にするのだ。
ちなみに、この①~⑥の戦略は、中学受験、高校受験、大学受験、何なら就職試験にも使える。私は就活でも同じ戦略でいった。おかげで第一志望の会社に入れた。
私は、大学も会社も、実力以上のところに入ったと今でも思う。
それは、私の頭が良かったからではない。何度も言うが、私の学力はずっと中の下だ。
その証拠に、入った大学では授業が難しすぎて全然わかんなかったし、就職した会社では電話にも出れず成約も取れず、人事部長には「君、イチオシやったのに、おかしいなぁ…」と言われた。
なので、私が得意げに教えれらるのは、入るとこまで。(入ってからは、自分で頑張れ!)
それが出来るのは戦略を身体に叩き込んだからだ。頭が良い訳でもない私にできたんだから、多分誰にでも出来る。あなたにも。
まず、最初は
頑張れ、受験生。
頑張れ、受験生を支える人!!
さて、ここに出てきた登場人物とは、後日談がある。
入学前に知り合ったリノさんとは試験前日に初対面を果たし、入学後も何度か飲みに行った。同じサークルにも入り、悩みを聞いてもらったり大変お世話になった。めっちゃいい先輩だった。
不愛想なおばさま担任のデヴィ婦人とは卒業から20年後、娘の中学の入学式でバッタリ再会した。偶然にも今は娘たちの通う中学校に時間講師として来ていて、今はうちの双子の英語の授業を受け持ってくれている。
そして、私の合格を誰よりも喜んでくれた福山先生とは、高校を卒業してからも年賀状のやり取りをしたり、帰省した時にご挨拶に行ったりしていたが、20年近くお会いしていない。
そんな福山先生は、まだ私の母校にいる。
いや。いる、どころではない。
今やうちの高校の、校長先生である。
指導力もあり、頭がよく、人望のある福山先生なら納得だ。
福山先生が校長先生になってから、我が母校は進路実績も部活動の大会実績も目に見える発展を遂げている。新聞でも福山先生の名前を目にする機会が増えた。
そんな福山先生が校長を務める高校に入るために、今、うちの長女は毎日受験勉強を頑張っている。本当に良い先生の多い、良い学校なのだ。
福山先生の事は、今年に入り入学説明会で何度かお見かけしたが、まだ話しかけてはいない。幸いマスク姿で気づかれてはいないと思う。
娘が受験を控えたこの時期に話かけるのはなんかいやらしいから、娘が高校に無事に受かったら、「先生!!」と声をかけたいと思っている。
先生。
先生のおかげで私、行きたい大学に行けました。
大学では面白い友人や先輩に出会えて、
人生の基盤となる経験をたくさんしました。
学歴は関係ないって言うけれど、学校の名前に助けられたことはたくさんあります。
いまだにあの大学に入れる学力はなかったと思うし、実力以上の大学に入ってしまったから4年間めちゃくちゃ苦労したけど、そんな日々も今の私を作り上げる、宝物のような日々でした。
先生。
私も先生になりました。
胸を張って、先生に会いに行ける日を楽しみにしております。
その日まで、また!
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