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幸福とは何か
この人生何をして生きたいがない。生きるには衣食住をそろえる必要がある。そのためには金が必要で,仕事が必要だ。しかし果たして,そこまでして生きて何をしたいのか。
問いが間違っているであろうことは認める。「そこまでして生きて何をしたい」と投げかけられたら,基本否定的回答を出してしまう。これはWhatで構成される疑問文だが,私の中ではどちらかというとWhyの質問である。帰属を求め,空気に触れようにも絵には描けない。というかむしろ,「生きててどうすんの?」という,すべてを無にしてしまう回答を出すための問いを作ってしまっているので,問いを作り直そう。
例えばHowに倣う。「どのようにして生きるのか」
すこしはまともな疑問になったであろうか。いや,ここまでの疑問文を作ることには成功したが,選択をしない選択をしている私は,その先へは進めない。なので,また別の視点から見ようと思う。
「幸福とはなにか」
幸福とはなんだろう。自分にとっての幸福は?他者にとっての幸福は?万物にとっての幸福とはなにか?
意味を見出すことが幸福なのだろうか。何にでも名前をつけて,それで分かったつもりになったり,自分の中で発見があることは幸福の一つとは思う。そこに何かがあったのだと今生きる者が思いたくて,そう思えて生きていけるならば,それは幸福ではなかろうか。
しかしそれだけではドストエフスキーも嘲笑し抱腹絶倒するかもしれない。エゴに生きる存在だと,己の存在を大きく取り上げて,そして自らを苦しめ,苦しんだ自らを嘲笑する。そんな存在にもなり得ない(*個人の解釈であり,ドストエフスキーに対する差別的見解はありません。かつ,そこまで私は彼を知らないのだから。地下室の手記を少し読んだくらい。)。
「何」を問うときは,知識に頼った方がいい。自分の思いつく悩みは,過去に他者が経験していることが多いに想像できる。そして幸いにも私は21世紀に生きており,書物はあふれに溢れているのだ。そこから選択をしなければならないことは,唯々苦しいことなのだが。
確かアリストテレスが「人生は最高の善」と言っているらしい。ニコマコス倫理学という本で,幸福についての言及もあったはずだ。私は哲学書は5,6年前に少し齧った程度で,知識があるわけではない。なので,全部「らしい」になる。一応”アリストテレス 幸福”で調べたら,わらわらと検索結果は出たので,あまり間違いすぎることは言っていないと思う。
「善」という言葉には深く引っかかった。確か私がこの「善」に引っかかったのは,大学1,2年の時の教職論で「善く生きる」との言葉を習った。何かの指導要領,計画の一部に使われていた気がするが,まさかそんな大きなものを持ってくるなんて。とびっくりしたものだ。その時の先生は国家公務員時代を経て,そして教職の道へと大学に入られた方だと思ったが,その先生の授業は楽しかった。
今それをネットで調べると「ソクラテス」の名が出てくる。やっぱり,人は常に同じ悩みを持っているのだ。そしてそれを紡いでいくところと,毎回,1世紀が回るたびに誰かの苦しみや命題や希望となっていて,それを世代で受け継ぐところと,受け継ぐ学問と,受け継がない人々がいる。受け継いでも受け継がなくとも突き当たる問題である。
「➀生きるとは何か」「②何故生きているのか」「③どのように生きるのか」
これらの中で引っかかりやすいのは2つ目「何故生きているのか」だが,命題の選択をするならば「どのように生きるのか」が ”今ここ” を作り上げていくのであろう。
そして,「生きる」ことについて,「幸福とは何か」について考えていくことが,一つの道をつなげていくことになるのではなかろうか。
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因みに幸福について,上智大学文学部哲学科に荻野 弘之 教授がいらっしゃる。彼は幸福についても述べている。まだ荻野氏の本や,哲学書は読んでいないが,とっかかりやすい記事があったので載せておく。
彼もここで「選択」について述べている。私は「境界」についての研究をしているが,「選択」とは非常に近く,そして一線を画す必要のある言葉だ。
なぜなら私の世界でも「自己の拡大」は問題となっており,拡大した自己と他者をどのように切り分けるのかが私の研究テーマだからだ。
「選択」は一つの線引きである。選択によって失われる多くの未来と,選択しないことによってどこにも存在しない世界にあり続けるなら,選択をし続け,そしてその選択は自分の意思によるものであるという言葉が必要なのだ。
なぜなら選択する意思は善であるから。いや,なぜを問うのはまだ止そうか。
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とりとめのない言葉も今日はここまで。
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