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ママが、「主語」を取り戻すために

私は2児の母で、新聞記者です。水戸、つくば、仙台、東京、千葉…と各地で暮らし、記事を書いてきました。保活(保育園探し)も7回経験しています。

「議論の中心にいるべき(子どもを知る)ママたち不在のまま、決められてしまう制度が多すぎる」。

取材を通じて知り合ったママたちと話していて、強く感じたことです。

例えば、コロナ禍の休校、休園、少人数学級、給食、宿題、学童……。効率重視で分かりやすい形で物事がどんどん切り取られていく印象です。

本来、子育ては、非効率で目に見えないものです。

私は以前、新聞にこんなコラムを書きました。

イヤイヤ期に突入した息子(1)は毎朝、オムツを替えようとすると、体をひねらせ足をばたつかせ、脱走する。夫と2人で抱きかかえて服を着せ、1日分のオムツと着替えを抱えて保育園へ送った後、仕事へ向かう。夕方、帰宅後の息子は疲れてぐずる。夕食に好物の納豆を出すことが多いが、気を抜くと直接触り、手と顔と服と机がねちょねちょになる。引退した首長を取材した際、なぜ政治家は教育や福祉より、経済政策に力を入れがちなのかが話題になった。「工場は絵になるでしょ。観光も目立って、マスコミも取り上げやすい。でも、教育や子育ては『見えない』」。子どもは権力者にお礼を言わないし、1票を投じることもない。外からは見えない、家庭内労働の苦労を知る女性は、政治の世界ではまだ少数派だ。社会は、見えない営みに支えられている…

「見えない営み」を知るママの発信を広めるため、7月29日にママライター塾@オンラインを開きます。→無事終了いたしました。ありがとうございました。

最近は、こんな記事を書きました。