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The Emulator - ザ・エミュレータ - #67

7.6 使命 「アールシュ、君がエミュレータに『ヴィシュヌ』と名付けたんだろう? 元はと言えばエミュレータは私たちが作ったんだ。残っている『4人』ともそれぞれエミュレータの開発に関りが深い。そして私は、私が期待する地球史を創造しようと考えている。これが偶然だと思うか?」  アールシュはノースの言葉の意味を察した。 「あなたたちが『ブラフマ』だとでも? なぜわざわざ私のルーツに合わせるのですか?」  ヴィシュヌは『世界を維持する神』であり、唯一の神聖な存在が持つ『3つの

    • The Emulator - ザ・エミュレータ - #66

      7.5 分岐  ノースはサリリサをシークして言葉に詰まった。サリリサのリージョンで起こった『あの日』は数あるバリエーションの中でもノースたちと同じ道を歩む可能性が最も高いと判断された時に選択されるものだったからだ。そういった地球史ではナキナリがすでに表面化している。  サリリサの経験した『あの日』のメッセージは抽象化されずにローコンテクストで言語化されていた。ナキナリが人類の主体であれば、人類は新しい価値観を創造する力が非常に弱く『あの日』が意味を成さない可能性が高いから

      • The Emulator - ザ・エミュレータ - #65

        7.4 必然  ノースは考えていた。いずれ自分も自分を終わらせる時が来る。そしておそらくもう、この地球史からは、今残っている4人以外にオリジナルをもつ人類は生まれてくることはない。死ぬことが必然でなくなった世界で延々と生き続けるノースの精神はすでに生存本能を忘れ始めている。だから、ノースは希望を生み出そうと考えた。自分たちと異なる人類が生きる地球史を創造しようと考え、それを自分の生存本能に据えようとした。  その手段として、ナキナリを保護するためにアンドロイドが高度に発展

        • The Emulator - ザ・エミュレータ - #64

          7.3 ナキナリ  『思考しない人々』は最も発症者が多かった小さな島国の言葉で『ナキナリ』と呼ばれた。今ではその国に誰もいなくなってしまったため、民衆文化を発祥とするその言葉が何を意味しているのか既に記録にすら残っていなかった。  ナキナリは発生初期には規則性もなくランダムに世界中にゆっくりと広まっていった。そしてその島国で特異な変化を遂げ、その特異性が世界中のナキナリに伝播して急速に広まっていった。その国で最初に、ナキナリ同士が生活水準ごとにいくつかのクラスターに集約し

        The Emulator - ザ・エミュレータ - #67

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #63

          7.2 フォークストーリー  アールシュがオリーブ色の髪をした男に名前を訪ねると、使うことがなくなって忘れてしまったと男は答えた。探せば出てくると思うが感傷的になりたくないので今はやめておく、と少し笑う。 「それでもインベントリに登録できないと不便だろうから『ノース』と名乗っておこう。」  ノースと名乗る男は話を続ける。 「君たちの言葉で方角の一つを表す意味を持つ『ノース』だ。方角は4つあるんだろ? 4つというのがいい。我々にはちょうどいい数字だからな。」  ノース

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #63

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #62

          7. 真実の現実7.1 ストゥル  月明りに照らされた深く青い夜だった。湿った苔で覆われた大木が青く照らされる。大きく張りだした根にもたれるように身体を預ける。湿った苔の心地よい冷たさを肩口に感じながら、森の奥から流れる川を見ていた。手前で大きく湾曲した川は勢いがなくなり静かな水面となり鏡のようにあたりの景色を映している。川から少し離れたところに淀んだ水辺が広がっている。  雲間から時折現れる月明りが濡れた周囲の木々を青く輝かせる。額に汗が滲む。蒸れた大気の匂いが夏の夜を

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #62

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #61

          6.12 束の間  どのくらい時間が経っただろうか。ベッドの上で指先を動かすとあまり違和感はなかった。数時間、もしかしたらもっと時間が経ったのかもしれない。部屋の外から紅茶の匂いが漂ってきた。その瞬間、脳裏に鮮やかな映像が流れる。緑の葉が蒸され発酵し、そして乾燥していく映像。ヒューが入れてくれた紅茶だろうか。 「何か特別な紅茶でしょうか?」  思わず口を開いてアールシュが尋ねた。まだ少し聴覚に違和感があり、もしかして自分にだけに聞こえる程度の声だったのか、そもそも声自体

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #61

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #60

          6.11 2度目のエクスチェンジ  翌日、シンタロウとサクラは中層階の中庭を散歩したり、展望フロアからシアトルの街を眺めたりして午前中を過ごした。サクラが気に入っているトラディショナル料理のレストランで朝食と昼食をとった。そして、昼過ぎにアールシュと合流した。アールシュはエミュレータ史やジャーナル・レコードからサルベージされたテクノロジーに関する文献をずっと読んでいたようだ。それらは外部データとしてコピーはできるが、前提となる蓄積データが少なすぎてアールシュにはインストール

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #60

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #59

          6.10 灯火 『真実の現実』から明日、迎えを遣わせるという連絡があったのは、サリリサが夕食をとっている時だった。決意したあの日以来、両親と兄の記憶には一度もアクセスしていない。だが、今日だけは許される。サリリサは過去の記憶をシークする。  ふいに夏の花の香りと蒸し暑さを感じてあの頃の記憶で満たされる。頬を伝って流れて唇の端にたまった雫を舐める。視界は滲むことなく窓の外の夜景を捉えたまま視線を外すことが出来ずにいた。  私は民間の企業体に雇用されてすぐにバイオロイド用の

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #59

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #58

          6.9 アンサー 「俺は行くのは構いませんよ。だけど、その代わりに1つだけ、お聞きしたいことがあります。サクラを人間にする方法はないでしょうか? 例えばここに来た時のように『真実の現実』に行くためのエクスチェンジでサクラを人間として変換するとか、何か方法は考えられないでしょうか?」  シンタロウからすれば全てがもどかしかった。サリリサの後に続く言葉が見当たらず間延びした空気を黙ってやり過ごすことが出来なかった。だからその空気を割くように唐突にシンタロウが切り出した のだ。

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #58

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #57

          6.8 面会  アールシュはコーヒーを飲みながら窓外の景色を見ている。低層階のここからでも海岸線が見える。おそらく太平洋側だろう。シアトルのあたりだと言っていたので地形そのものに大きな違いはないはずだ。海の上には建造物とも船とも判断がつかない巨大な人工物が見える。さっきまでいたティア3住居リージョンでは見なかったものだ。  ティア3住居リージョンの研究者たちに聞く限り、彼らはティア2現実の研究者からジャーナル・レコードの情報をサルベージする方法を教わっている。サルベージす

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #57

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #56

          6.7 エクスチェンジ  ノア・バーンズはサリリサからの指示通り、ティア3検証リージョンの人間をUCLー1に招いてしばらく観察する時間を作った。そして、彼らがこちらで過ごして4週間が経過した頃、サリリサから次の指示があった。アールシュとシンタロウとサクラをエクスチェンジに通せということだった。ノア・バーンズはイーサン・エヴァンズや他の人間にはエクスチェンジを通過するための適合条件を今回満たせなかったと伝えた。  イーサン・エヴァンズとスカイラー・グリーンは先に進むことに不

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #56

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #55

          6.6 キャンディデイト  シンタロウから生成されたヴィノの方も不可解な履歴があった。そのヴィノはティア3住居リージョンにリリースされたエミュレータの新機能『ワールドセット』が一般公開された際のクリア報酬を得て、人間になることを要求したという。エミュレータ運営の保全コードが働いてリジェクトされているがバリデーション結果は正常を示している。つまりはこのヴィノは人間として変換移行が可能だということだ。  このヴィノの名前はサクラという。変換移行が可能という根拠は、ワールドセッ

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #55

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #54

          6.5 インヴィテーション  サリリサはUCLに参画して間もない頃にティア2住居リージョンに住む人間と初期コンタクトをとったという、UCLの研究者からティア2住居リージョンが少なくとも800年程度進んだ世界であることを聞かされた。  そして、サリリサたちティア2現実の人類は、ティア1現実はおろか、ティア1の移住先の仮想世界であるティア2住居リージョンに招かれた人間すらいないことを知った。今もなお、こちらからメッセージを発信し続けているが、ティア2住居リージョンの住人から初

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #54

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #53

          6.4 サリリサ・エリミテ  サリリサ・エリミテが『鐘の音』と『神の使いの言葉』を聞いたのは、成人までの教育期間を終えたばかりの頃に『あの日』のプログラムが発動した。そして、それから3年後にサリリサの両親と兄が自殺した。サリリサが両親と兄との生活になじみ、家族の温かさを実感し始めた矢先だった。  原因は情報チャネルに出回った『神の使いの言葉』の意訳と、人々の不安を煽る社会情勢にあった。『あの日』以来、この世界が仮想世界であることが徐々に解明され始めていった。この仮想世界で

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #53

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #52

          6.3 ティア2現実  ティア2現実では一般階級の子供は全員、企業体が運営する教育機関で育てられる。衣食住は企業体から提供され、地域差や経済的、文化的な差が子供の育成に影響を及ぼさないように管理されている。両親や親族の価値基準が子供本人の価値基準として内在化し、自我を形成するのを避けるため、子供と肉親が生活を共にすることが許可されなかった。  ティア2現実では両親は生後一日だけわが子と過ごすことができる。それが両親と幼少期の子供の記憶の全てだった。子供が両親や他の肉親に会

          The Emulator - ザ・エミュレータ - #52