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The Emulator - ザ・エミュレータ - #63

7.2 フォークストーリー

 アールシュがオリーブ色の髪をした男に名前を訪ねると、使うことがなくなって忘れてしまったと男は答えた。探せば出てくると思うが感傷的になりたくないので今はやめておく、と少し笑う。

「それでもインベントリに登録できないと不便だろうから『ノース』と名乗っておこう。」

 ノースと名乗る男は話を続ける。

「君たちの言葉で方角の一つを表す意味を持つ『ノース』だ。方角は4つあるんだろ? 4つというのがいい。我々にはちょうどいい数字だからな。」

 ノースはそう言い、髪と同じ色の瞳でアールシュを見た。それからノースは、少し昔の話でもしようと言い、話を始めた。

 西暦で言えばアールシュよりも50年ほど前からノースは生きている。ノースの世界は『あの日』を迎えることはなかった。ノースの世界でもかつてビッグテックやUCLと似たような、組織が存在したという。人類が一つの組織へと統合に向かうための初期段階に生まれた組織だった。俺の世界もサリリサの世界も、そしてアールシュの世界も抽象化すれば同じだろうといい、問題はどこまで抽象化するかということだけどな、とノースは笑った。

 ノースはビッグテックの1社の創業者だった。ノースは世界で最も大きな資本を一代で生み出した。大きな権力や資本を持つものは結局のところ遺伝子的に優れていることが重要だということに気が付いている。家柄とは遺伝子であり、家柄をよくするとは、より良い遺伝子を得るために、さらに大きな資本を蓄え、さらに優れた遺伝子を持つものを血統に取り込むことだ。

 しかし、ノースは、そうした旧来から信じられてきた権力者たちの価値基準を蹂躙した。ノースはソフトウェア、ロボティクス、遺伝子操作、再生医療、その他にも利用できる最先端のテクノロジーがあれば全てを駆使して延命した。延命しながらも自身をアップデートし続けていた。

 ノースの延命は当初、倫理観を欠いた強欲にまみれた狂気として人々から批判された。ノースは世紀が一つ繰り上がるころに大掛かりな外科手術を伴うフィジカルアップデートの施術を決断した。術後まもない頃、不自然に引きつり、腫れて爛れたダウンタイム中のノースの顔が情報チャネルで取り上げられ、怪物になってまで生き長らえたいのかと罵られた。

 ノースが初めて人類最長の年齢を記録する頃に、ノースは再び情報チャネルに姿を晒した。そこには間もなく死期を迎える老人には見えない、若々しい少年のような姿でエコノミックチャネルのインタビューに答えるノースが映し出されていた。それを見た人々はノースの老化治療を批判することをやめ、自分も若いまま生き続けられるのではないかとノースの延命に期待し始めた。

 ノースは人々の期待通り、その後も若い姿のまま生き続けた。いつしかノースの狂気と呼ばれた延命は、老化治療と呼ばれるようになり、人間にとって健康を維持する当たり前の医療の一つとなっていった。死ぬことが前提にならない世界でノースは、自身をアップデートし続けた。そして、次の世紀に繰り上がる前に、生まれ持った遺伝子の壁を克服した。ノースは自身のフィジカルに徐々に別の遺伝子の細胞を取り込み、アップデートを続けていた。

 だが、初期の遺伝子デザイニングは良いことばかりではなかった。ノースは、『君もそれを見たんだろ?』とシンタロウを見つめる。シンタロウは『この話題に触れないで』と言うカミラの表情と言葉を思い出す。それが何を意味しているのかまでは分からなかったが、カミラは遺伝子デザイニングに関わる深刻な問題を抱えていたのだと理解した。

 ノースの世界でも生物と計算機を繋ぐためのプロセッサが生み出されていた。プロセッサは人の利便性を向上させたが同時に人の進歩を歪めた。人々は自身が抱える問題の答えを集合知の中から探し、その中から最も自分にふさわしいものを選び取ることに夢中になった。

 熱心に何時間も集合知へ問い続ける姿は、熱心に祈りを捧げ、神へ告白し、啓示を受けようとする姿と重なった。集合知の出す答えは神の福音と重なり、神の言葉を諳んじて、神はこうおっしゃたに違いないと、自分がふさわしいと思う言葉でその意味を重ね、徐々に自らが欲しい言葉に染めあげた。人々が言葉遊びをしながら集合知の出す答えを操る姿はまるで、神の言葉を使って、自分自身が欲しい言葉を紡ぎだす倒錯したカルト信仰と重なった。

 だが、人々は取り違えていた。人間だけが、自分たちが欲しいものに答えをすり替えていたわけではなかった。すり替えられたのは人間の欲しいものも同じだった。神の導きを求め、神がお下し下さった、その導きに示された通りに生きる。そうすることで嫉妬を感じずに不毛な不満を忘れることが出来た。神の思し召しのままに。自分の置かれた状況は神の采配であり天命である。

 人々は最終的に手にしたそれは、行き過ぎた他人との比較から解放される方法を得たように錯覚した。急速に巻き戻る人間社会。その先に『思考しない人々』は生まれた。正確に言えば集合知のような情報テクノロジーにより生み出されたわけではない。テクノロジーが『思考しない人々』を炙り出しただけだった。

次話:7.3 ナキナリ
前話:7.1 ストゥル

目次:The Emulator - ザ・エミュレータ -

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