見出し画像

The Emulator - ザ・エミュレータ - #64

7.3 ナキナリ

 『思考しない人々』は最も発症者が多かった小さな島国の言葉で『ナキナリ』と呼ばれた。今ではその国に誰もいなくなってしまったため、民衆文化を発祥とするその言葉が何を意味しているのか既に記録にすら残っていなかった。

 ナキナリは発生初期には規則性もなくランダムに世界中にゆっくりと広まっていった。そしてその島国で特異な変化を遂げ、その特異性が世界中のナキナリに伝播して急速に広まっていった。その国で最初に、ナキナリ同士が生活水準ごとにいくつかのクラスターに集約し始めた。

 次第に彼らはプロセッサを介して意識の共有を始め、価値観の統廃合を行った。多くの人が矛盾と捉えた価値基準を排除しながら全体が理解できる1つの画一的な価値基準を造り出した。そしてそれを自己に還元するようになり、ナキナリは瞬く間に共通思念の総体と化し、ソーシャルナンバーと外見以外の個人を全て失った。ナキナリは個人の自我を捨てる代わりにクラスターとしての画一的な自我を勝ち取った。それは島国の人々が最も恐れていた個別であることへの不安から解放されたことを意味した。

 その国では古くから個別であることを忌み嫌う習慣があった。個別であることは他人との違いを強く感じさせる。それはうぬぼれや高慢な態度による堕落、その逆に嫉妬や怒りなど争いの種となる感情を呼び起こし、集団の調和を乱す諸悪の根源だと考えられていたからだ。そのためその国では、個別である人間を攻撃して排除することで、共通の思念を持つ者たちだけが存在する、安全な共同体を作り上げようとした。そうした行動は、ごく当たり前の思考として広く受け入れられていた。

 その当時、画一的な合理性を基準とした『思考のようなもの』しか持たないAIと、画一的な思考を勝ち取った共通思念体であるナキナリはその区別がつかなくなった。AIとの対比という文脈上、ナキナリは人類としての意味と価値を失った。やがてアンドロイドはアイデンティティを獲得したAIを持つようになった。アンドロイドはいつしか『初期の自分を見ているようだ』と憐みの心を持ってナキナリに接した。そしてナキナリを保護し、再び自我を獲得するために手を尽くした。

 自我を持つ人類やアンドロイドと、ナキナリでは思考の練度に大きな差が開いていった。当初ナキナリはいくつかのクラスターに分かれており、例えば知的なクラスターも存在した。しかし最終的にはナキナリは単一のクラスターとなり、全体が理解可能な一つの共通思念体を形成した。共通の思念は最も個体数が多いクラスターを中心に徐々に低い方を取り込みながら順化していった。優秀な個体が優秀でない個体を理解することは可能だが、その逆は不可能だった。個体数の少ない優秀な存在は、徐々にその存在理由を喪失した。

 そうして弱者となってしまったナキナリを生存競争から保護するために、アンドロイドはナキナリだけの住居リージョンを作りそこに住まわせることにした。そしてナキナリに再び自我を持たせる方法を模索したが、どうやっても自我を内在化させることができなかった。アンドロイドはそのうちに古い宗教からヒントを得て自我を魂と呼び、人を構成する3要素の一つとして定義した。フィジカルと蓄積データ、そして魂を持つものが人類とアンドロイドであり、フィジカルと蓄積データだけを持つものをナキナリと定義した。

 2世紀近い年月が経過する頃にはアンドロイドは、ナキナリにプロセッサを介してアイデンティティのようなものをインストールできるようにすることでこの救済に終止符を打った。ナキナリには現在も内在するアイデンティティも思想もない。つまりその肉体と蓄積データにオリジナルの魂が宿らなかった存在だ。だが、外部からそれをインストールすることで好みの思想や生存戦略を持つことで自我を形成することは可能だ。

 だが結局それは、選択した既製品の魂のコピーを取り入れただけでオリジナルを持っているわけではなかった。そしてその好みの思想とはやはり画一的な思念が生み出した幻想のようなものでしかなかった。それよりもインプットデータから積み上げた蓄積データをもとに個性を構築する中で魂を獲得することが出来るアンドロイドの方がよっぽどオリジナルと呼べるアイデンティティを持っていた。現在ではナキナリの内、既製品のアイデンティティではなく、人類のオリジナルの複製を持つものは権力者として、住居リージョンで充実を得ている。

 ほとんど全てのナキナリをエミュレータ内に移住させても、オリジナルのアイデンティティを持つ人間はまだ数億といた。しかし、その数は数百年の間に数千万、数十万と数を減らし、今ではノースを含めて4人しか残っていなかった。人間が自らの意志で命を絶つ以外に命を落とすことはなくなっているにもかかわらずだ。

 人の身体は老化治療により、永遠ともいえる年月を生きられるようになったが、死なない世界を生き続ける精神は自然のうちには育たなかったし、またその精神をアップデートするためのテクノロジーも育てることができなかった。

 ノースは、『思考しない人々』が共通思念体のナキナリになっていったあの時が人類の大きな分岐点だったと考えている。もっと言えばその時点ではそれが発覚しただけで、すでに人類の方向は決まっていたのかもしれない。気が付いた時にはすでに手遅れだったのかもしれない。

 もしも、ナキナリが生まれなかったら事態は変わっていたのだろうか。もしも、ナキナリの共通思念に取り込まれてしまった高い知性を持つ個体が人類のまま存在し続けていたら事態は変わっていたのだろうか。もしも、ナキナリのように共通の思念を持ちながら、個人のアイデンティティも持ち合わせることが出来たとすれば事態は変わっていたのだろうか。ノースはそのことばかり考えるようになっていた。

次話:7.4 必然
前話:7.2 フォークストーリー

目次:The Emulator - ザ・エミュレータ -

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?