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The Emulator - ザ・エミュレータ - #65

7.4 必然

 ノースは考えていた。いずれ自分も自分を終わらせる時が来る。そしておそらくもう、この地球史からは、今残っている4人以外にオリジナルをもつ人類は生まれてくることはない。死ぬことが必然でなくなった世界で延々と生き続けるノースの精神はすでに生存本能を忘れ始めている。だから、ノースは希望を生み出そうと考えた。自分たちと異なる人類が生きる地球史を創造しようと考え、それを自分の生存本能に据えようとした。

 その手段として、ナキナリを保護するためにアンドロイドが高度に発展させたエミュレータを使うことにした。ノースは無数のエミュレータを並列稼働させ、様々な地球史を辿った。しかし、いくら試してもナキナリが蔓延し、知性の大半を吸収した挙句、無意味な時間を延々と続け、結局はノースたちと同じ道を辿る人類ばかりを見ることになり、いつしかそんな地球史に嫌気がさしていた。

 ノースは『あの日』を導入することにした。エミュレータ内の人類に自分たちが置かれている状況を認識させる必要があると考えたからだ。放っておけばノースたちと同じことを繰り返すだけだ。そして、ナキナリをあぶりだして、無意味な時間を延々に過ごさせることを阻止するためにジャーナル・レコードを残すことにした。

 ナキナリが生み出される可能性が高い地球史には、抽象化したメッセージで伝えるのをやめた。そういった地球史ではメッセージの意味を見落とし、ジャーナル・レコードが発見されずに『あの日』の意味を成さないことが頻発したからだった。だから、その意味が解りやすいメッセージとジャーナル・レコードを見つけやすいように直接位置を示すようにした。その地球史はすで手遅れかもしれないが、それでもまったく可能性がないわけではない。苦肉の策として『あの日』のバリエーションにローコンテクストを加えた。

 そして、ジャーナル・レコードに『あの日』の実行コードを決して取り外せないようにした上でエミュレータの仕様書を文献として残した。そうすることで下層のエミュレータにもノースの意思が伝搬することになる。

「あなたにはそれを無理やり押し付ける権利があると思っているの?」

 サリリサが口を挟んだ。ノースはサリリサを睨みつけるように見る。

「元々エミュレータの原型は私や他の3人が作ったものだ。エミュレータはテクノロジーの進歩による必然だった。自分たちや自分たちが住む世界を作ることができるのならば、そうしない手はない。

 当初、そこには意思も思想もなく、出来るから作っただけだ。ただそれだけの理由で作られたエミュレータだったが、ナキナリの移住を経て、人類の希望を創造するために使われることになった。

 それに、ナキナリ以外が住むリージョンもかつて存在していた。彼らはそれを与えられたわけではない。私が関与しようがしまいが、放っておいてもいずれ人間が生み出し、利用し始める。利便性を求めてたどり着いた結果だ。必然とはつまりそういうことだ。」

「でも私たちは、まだそれを知らなかった。両親も兄もそれを受け止められなかった。それは自分たちの意思ではなかったからよ。」

「テクノロジーの進歩により、犠牲が出たことは事実だ。だが、それは私たちの世界でも同じだった。いつも同じだ。誰かが自分の理想を勝手に押し付けてくる。私も誰かに押し付けられた世界と遺伝子に縛られて生きていた。ただ、私はそれに抗って自分のアップデートを行い続けた。そして、今では誰かに私の理想の世界を押し付けている。

 構造自体は何も変わっていないだろ? 結局誰かがやることだ。私という自我であろうが、他の誰かの自我であろうが、誰かがこのロールを引き受けるだけだ。このロールはどうやったところで、テクノロジーの進歩を促す。そして必ずその対極の人間を作り出してしまう。どう取り繕って言おうが事実だろう?」

 ノースはテクノロジーの進歩ゆえの『必然』だという。あまりにもありふれた空虚な理論を並べ立てただけの言葉だった。そしてそれは、サリリサが自分自身にかけ続けてきた、慰めの言葉でしかなかった。サリリサは首を振った。そんな無意味な言葉をノースから聞きたくなかった。

「あなたのような人だけじゃない。」

 私は人間の歩みを進めるためにジャーナル・レコードを作った。ナキナリの遺伝子の本質を早期にあぶりだして、人の知性と分離させようと考えた。私たちの世界でもプロセッサを拒否した人々にその兆しは見られたが手遅れだった。彼らと人類は別の存在になってしまった。どちらにせよ、今さらテクノロジーを拒んだ先に未来はない。だから、そうなる前に希望を残したつもりだった。

 それなのに、目の前で震えて涙を浮かべる彼女をどうしろというのか。いずれはナキナリになるか、そうでなければ自らの命を自らの意志で終わらせるであろう、サリリサをどう考えればいいというのか。

次話:7.5 分岐
前話:7.3 ナキナリ

目次:The Emulator - ザ・エミュレータ -

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