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The Emulator - ザ・エミュレータ - #57

6.8 面会

 アールシュはコーヒーを飲みながら窓外の景色を見ている。低層階のここからでも海岸線が見える。おそらく太平洋側だろう。シアトルのあたりだと言っていたので地形そのものに大きな違いはないはずだ。海の上には建造物とも船とも判断がつかない巨大な人工物が見える。さっきまでいたティア3住居リージョンでは見なかったものだ。

 ティア3住居リージョンの研究者たちに聞く限り、彼らはティア2現実の研究者からジャーナル・レコードの情報をサルベージする方法を教わっている。サルベージする方法を教われば、私たちのリージョンも35年と言わず、今すぐにでもこのテクノロジーを得られるだろう。下層へ行けば行くほど伝搬方法が洗練され、進歩のスピードが速くなる。ティア3住居リージョンで生じた課題も我々のリージョンでは課題とならないだろう。リカーションとはそういうものだ。

 ただしそれは、ティア2の住人が俺たちのリージョンと友好関係を結んでくれることが大前提だ。『あの日』私たちのリージョンにサリリサたちからコンタクトされることはなかったという事実は無視できない。私たちのリージョンはティア2現実とティア3住居リージョンのような友好的な関係が築けるのだろうか。

 サリリサはエミュレータ事業の責任者だ。まず現状を理解している人物とコンタクトを取るはずだ。その方が混乱は少なくて済む。そう考えれば自らと同じ立場の人間にコンタクトを取るのではないだろうか。

 アールシュは正面に座るサクラを見た。薄くスライスされた生魚の切り身を食べて笑顔をみせるサクラを見ながら、それにしてもなぜこの3人が選ばれたのだろうか。私やシンタロウが選ばれているのは分からないこともない。だが、エミュレータに精通しているという意図があるのだとしてもエミュレータ事業の創始者で責任者であるエヴァンズ教授ではないのだ。

 そして、サクラだ。確かにシンタロウとサクラの2人がいなければここまで来ることはできなかっただろう。サクラがPAやエミュレータのテクニカルなことをよく理解しているのは事実だ。だが、彼女には内在する意思があるのかどうか、それすらも私にはわからない特殊な存在だ。ノア・バーンズが言う、適正の有無というのはきっと嘘だろう。この3人が選ばれたことの意図が何か分らなかった。

 『あの日』、サリリサたちティア2現実の住人が私たちにコンタクトを取ってこなかったにも関わらず、今になってティア2現実に招かれたことも気になる。騒ぎが落ち着いた頃合いということだろうか。ため息ばかりが出てくる。だが、これまで感じた不安のどれ一つとしてその意味を理解できたものはなかった。

 アールシュは『なるようにしかならないのか』と、あきらめるようにつぶやいて、立ち上がった。

 159階のプライベートラウンジはいくつかのエリアに物理的に仕切られている。そのため、アールシュたちが乗ったエレベータは159階に到着してからフロアを半周回ってグリーンのプライベートラウンジで止まった。初めて見るエレベータの構造で、ティア3住居リージョンのUCLでは見なかったものだ。

 エレベータの扉が開く。グリーンのプライベートラウンジは、中央に向って扇状に広がる階段を下る作りになっている。石材できた階段にはガラスがはめ込まれており石材とガラスの間を水が流れている。階段の先にある中央のフロアには、テーブルを挟んで対面する黒いソファーが一組だけ据えてあった。中央のフロアに行くために石材とガラスが折り重なった小さな橋を通る。橋の下には階段から流れ落ちた水が川になって流れている。ドーム状の天板モニターと壁面モニターは森を映し出している。

 3人はフロアの中央に置かれた大きなソファーに座り、しばらく待っていると黒いスーツに黒いヒールを履いたサリリサ・エリミテが現れた。まだ20代になっていなのではないかと思うような若い容姿をしている。首元できれいに整えられた金色の髪が、神経質な印象を与えていた。

「待っていたわ。会えて本当にうれしいわ。この日が来るのをずっと待っていたの。」

 サリリサはそう言ってアールシュたちと挨拶を交わして、シンタロウとサクラから学園のこと、アールシュから研究所のことを聞いた。一通り話し終えると本題に入りましょうとサリリサが言う。

「私とあなたたちはティア1の現実にいくことになっているの。『真実の現実』というやつにね。」

 サリリサはそういながら、自分にも言い聞かせるように何度もうなずきながらアールシュたちを見た。

「初めに聞いておきたいことがあります。許可頂けますか?」

「もちろんよ、アールシュ。あなたたちにはそれを聞く権利があるわ。そして私にはそれに答える義務がある。そういう立場だということは認識しているつもりよ。」

 サリリサが3人に不安を与えないように丁寧に答えていることがアールシュにも伝わった。

「ご配慮ありがとうございます。正直、私たちはそこへ行くとは予想していませんでした、そして行く目的もまだ理解できていません。それに研究所で文献を読ませて頂いた限り、ティア1とティア2は現在コンタクトがとれていないのだと理解していました。実際は連絡を取ることができていたのでしょうか?」

 アールシュはそう聞いた。サリリサは首を小さく振った。

「そう、私もあなたと同じよ、アールシュ。わからないことばかり。35年ぶりのメッセージなの。だから無理もないでしょ? 電波望遠鏡と衛星を通じて最後のメッセージを受け取ってから35年ぶりにエミュレータの外側から連絡があったの。しかもそれがティア2住居リージョンではなく、その外側、『真実の現実』からだと言うのよ。本当に驚いたわ。」

 サリリサは本当のことをアールシュたちに言うべきかどうか迷ったが隠すリスクの方が大きいと考えた。何かが食い違って『真実の現実』の住人の意に背くようなことを引き起こしてしまう、という事態は避けたかった。

「『真実の現実』の住人はあなたたちと話をしたがっているの。その理由は分からないわ。『神の使いの言葉』に出てきた『暁の器』と『羽』に関することらしいけど、調べてみたけど私にはわからないの。本当よ。」

 アールシュはディフェクトの縁に触れたことを思い出していた。そして、今この場にいることも『真実の現実』に招かれていることも、それが関係していることは間違いないだろう。

次話:6.9 アンサー
前話:6.7 エクスチェンジ

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