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現状を打開するために大事な「対話」について

こんにちは。クロスメディアグループ広報の濱中です。

ゴールデンウィーク、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

私は今年のゴールデンウィークは初日を家に籠って一日、ひとりで過ごし、土曜日も一日ひとりで過ごしてみました。自分と向き合う時間はとても大切ですね。

今回は、ブレイクスルーしたいときに大事な、自分自身と、そして他人との「対話」について考えてみようと思います。

「孤独」を感じたら、徹底的に「独り」になってみる

まずは自分自身との対話について考えてみます。

不思議なのですが、私はひとりでいる時のほうが孤独を感じません。多数の人といると孤独を感じることがあります。(私だけでしょうか…)

これについて、私なりに分析してみました。

その結果分かったのは、自分の軸がわからなくなったり、自分自身の心の状態を認識できていないときに私は孤独を感じるのだということです。私が大人数でいるのが苦手だと感じるのは、決して人と過ごすのが苦手なのではなく、大人数の中で自分という人間をどう表現するのか、どう活かすのか、よくわからないときのような気がします。

人は孤独を感じると、誰かに自分の感情を整理するのを手伝ってもらいたくなる。そして、「誰か話し相手になってくれる人はいないかな」とか、「誰か自分の存在意義を教えてくれないかな」(大袈裟かもしれませんが…)と、自分では気づかないところで考えているのかもしれません。

そこで、混同しがちなのは、孤独と「寂しい」という気持ち。孤独というのは、自分の状態や自分の存在意義がわからなくなっているときに感じるもやもやした気持ちのことをいうと思うのです。なので、人に会って、解消できることもありますが、大抵は自分で解消するほうが早いしスッキリするものだと私は考えます。

孤独を感じるとき、私は自分の時間が必要なときだと思っています。孤独感=「自分はいま寂しがっている、人に会いたいんだな」という発想では、孤独のもやもや感を完璧に消すことができない気がします。だからあえて徹底的にひとりになってみる。

人に会ったり、好きな映画を観たり、むやみやたらに予定を立てて忙しくするのではなく、一旦外に向いてしまってジタバタしている心と身体の動きを止めて、自分と向き合ってみること。

これを分かっていながら自分との時間を十分にもっていなかったので、ゴールデンウィーク前半は自分との時間にしようと決めました。

プロは誰とでも対等にコミュニケーションをとる

自分と向き合うことと同じくらい大事にしたいのが、仲間や先輩との対話です。単なる「おしゃべり」ではありません。熱のこもった話です。

恐れ多いのですが、私は経営者の方々や一つの道を極めているプロフェッショナルな方とお話できる機会を多くいただいています。

そんなプロフェッショナルの方に共通しているのが、こんな私にも対等に、そしてオープンに接してくださるところです。私の好奇心を大きな心で受け止め、また私からも何か得ようとしてくださります。そんな方々との対話の機会は私にとって何にも代えがたい、大切な時間です。

誰かと対等にフラットにコミュニケーションをとっていると感じることは、日常生活では親友と話をしているときくらい、そう感じる人が日本ではほとんどかもしれません。私は大学時代、世界各国の仲間や教授と接する機会に恵まれました。そういうこともあり、日本の上下関係の窮屈さから解放されたときの「自由」の感覚を知りました。

それまでは自分の意見やアイデアは、そっと胸の内にとどめていることが多かったのですが、オープンで上下関係もない場では、ひらめきと同時くらいに夢をありのままに語れるようになりました。もちろん日本人としての律義さや硬さが出てしまうこともありましたが、こういった環境で過ごす機会に恵まれたことで、新しい自分を知り、自己表現の仕方を学ぶことができました。

年齢や経験、国籍も関係なく平等に自分を表現し、相手を受け止め、お互いの中から価値を引き出す。その素晴らしさを体感したのです。

そしていま、その対等なコミュニケーションを日常で、しかも仕事の中ですることができる。これは本当に幸運なことだと思えてなりません。noteを書いているいま、感謝の気持ちでいっぱいになっています。

これからは「ダイアローグ」の時代

先日、編集部の先輩から「ダイアローグ」についてお伺いしました。その先輩は私よりもはるかに経験も知見も実績もあるので、私は「もっと未熟な私を指導してください。学ばせてください」と言ったのですが、「これからの時代はティーチングではなく、ダイアローグの時代だよ」と、その先輩はおっしゃいました。

その先輩いわく、先輩自身も答えはわからないということ。でも一緒に答えを探すことはできる、とおっしゃいました。そのときに私は自分の軸をもって、仲間と一緒に答えを探しに行く時代を生きているのだ、と実感したのです。

先輩が簡単にティーチング、コーチング、ダイアローグの違いを話してくれたので、それを簡単にまとめてみます。

まず、ティーチングです。知識の単なる受け渡しのことをいいます。先輩や自分より知識や経験のある人から「答え」を教えてもらうことです。

これに対し、自分の力を引き出してもらいながら、答えにたどり着くのがコーチングです。コーチにはゴールが見えていますが、その人には見えていません。コーチはその人のポテンシャルを引き出しながら、ゴールまで導いていきます。

一方で、ダイアローグとは、自分も相手(仲間)も見えていない答えやゴールを共に対話を通してみつけていくことです。ダイアローグの目的は、お互いの中から価値やイノベーションのヒントを引き出すことであり、創造的なコミュニケーションの手法です。ミーティングのように、はっきりとしたアジェンダがあるわけでもないため、雑談と混同されがちですが、私なりにダイアローグと雑談の違いを考えてみたのですが、前者は夢や目的がはっきりしておらず、後者には価値創造のための情熱とこだわりがあります。

残念ながらダイアローグは、雑談と混同されたり、もしくは雑談そのものだと思われがちなので、なかなか確保されるものではありません。ダイアローグのもつパワーと大切さが理解されていないのです。仕事でもダイアローグをする機会がないのがほとんどの組織や企業でしょう。

クロスメディアでは、オフィシャルにダイアローグの時間を設けているわけではありませんが、ダイアローグをさせていただくことが多い気がします。雑談がほとんどないのです。(私が何でも本気で話をしてしまうので、相手の方も本気でお話をさせてしまっているのかもしれません…(笑))

そこで、最初の話に戻りますが、自分自身とのダイアローグも大事にしなければなりません。どれだけ素晴らしいダイアローグを仲間や先輩としたところで、自分との対話無しでは、知恵として自分の中に蓄積されていきません。本当の成長のためには自分とのダイアローグが必要です。(私は数か月できていませんでした…)

自分と向き合うのは、他人と向き合うこと以上に怖いと感じます。ついつい後回しにしたり、目をそらしてしまいがちです。また、自分との時間はどうしても「約束」にならずに、他の予定を優先してしまいます。

しかし、私がきづいたのは、自分に厳しい人だけが自分にしっかりと向き合えるわけではないということ。誰でも自分と向き合っていると思います。

ただ無意識的なだけであり、もっと意識して言語化してみたり(書くというのは一番効果があると思います。あとはYouTubeやPodcast、Twitter等で音声で配信してみることもできますよね。私はYouTubeを使って海外の人たちに自分の学びを英語で発信していこうと思っています)、目に見えるかたちにしてみると案外、自分の醜い部分、嫌いな部分も改善できる気がしてきます。

私の場合は、まずありのままに自分の気持ちや客観的な自分についてをノートに書き出してみます。そして嫌な部分に触れて、惨めさもしっかり味わってみる。他人が口を挟めないくらい、これ以上ないだろうというくらい、自分を批判してみる。それから、自分の文章を読んでみます。すると、初めは気持ちが重くなるのですが、次第にクスッと笑えてきたりします。

落ち込んでいる場合じゃない、次に進むための策を考えないと。そんな前向きな気持ちが生まれます。気合いが湧いてきます。何も怖いものがなくなったような、そんな気持ちにさえなります。

自分自身とのダイアローグで「深化」、仲間や先輩方とのダイアローグで「進化」を促すこと。これは本当に大事だなと改めて思います。

正解のない答えを自分で探していくためにはこの二種類のダイアローグを重ねるしかないようです。

なんだか心が重たい。胸が痛いし、もやもやする。それはダイアローグの時間をもつべきだというサインだと、私はとらえることにしました。

皆さんもゴールデンウィーク中に、一時間でも自分をリセットする有意義な「孤独」の時間をもってみるのはいかがでしょうか。

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