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取り戻したい、「またね」を交わせる世界

どうしても言葉にして残しておきたかった、「見知らぬおばあちゃんたちとの出会い」について。

そもそも、街中で誰かに道を聞かれたり券売機でヘルプを求められたりする経験がしょっちゅうありました。1人で出かければいつも、と言ってもいいくらいの頻度で声をかけられている気がします。おそらく私は端から見て、話しかけにくいタイプではない、ということなのでしょう。

大学生の頃から、声をかけてくれる相手がおばあちゃんであることが増えたように思います。数えればキリがないのですが、記憶に新しい2人のおばあちゃんについて少しお話ししたいと思います。


たとえばコーラスのコンクール。
母の所属グループが出場したある大会。出番の3つか4つ前の団体から客席で1人聴いていました。10分間の休憩に入ったタイミングで、隣のおばあちゃんが私に「こんなに空調きかせとったらお腹冷えるわなあ」、とそこそこ大きな声で言いました。真夏の開催、かつ人の出入りが盛んだったこともあり、たしかにホールは十分すぎるくらいに冷やされていました。「上着あっても肌寒いですもんね」と答えてからの10分、私とおばあちゃんのラリーが続きます。ボールは行ったり来たりというよりも、おばあちゃんから多めに送られてきており、けれどこの天井の高い空間の中ではそれくらいのバランスでちょうどいいように感じました。おばあちゃんは同じアパートの2つ隣に住む佐々木さんからチケットをもらい、(興味はなかったけれど)「なんや悪いし」ということでコンクールに足を運んでいました。佐々木さんとおばあちゃんが時々区民センターで卓球をする仲だと知った頃、再開のブザーがなりました。

歌声が響いている間も、おばあちゃんはこそこそっと私に何かを呟きます。「おばあちゃん、しーっ」と焦った私が思わず言うと、ひっひっひと面白そうに笑います。私の母が壇上に上がってきたときは、「1番上の段の右から4番目やろ。あんたとよう似てる」とすぐに言い当てました。それがなんだか嬉しくて、母たちの歌を聴きながら、ちょっとにやけてしまいました。

おばあちゃんは母の出番が終わると、「そろそろ帰るわ、ほなまたね」と言って座席の間を縫うようにゆっくり扉から出て行きました。私の2/3くらいしかない姿は、夏の夕方の向こうへと帰って行きました。


たとえば病院の待合室。
原因不明の動悸に悩まされ、地元で一番大きな総合病院で検査を受けた夏のこと。診察室のドアの隣のベンチの上で、82歳のおばあちゃんとお話をしました。淡路島で生まれ育ったおばあちゃんは、2人のお兄さんと渦潮の手前をよく泳いだのだそうです。「3人で楽団も作ったのよ。1人はバイオリン、1人はドラム、そして私は踊り。ふふふ」

調理師のおじいちゃんとの馴れ初めも聞き、穏やかでときめきのある幸せの日々を少し分けていただきました。けれど普段は坂の上のアパートで80代のご夫婦が2人きり。「だからお外でこうやって誰かとお話しできるのが楽しいのよ、つまらない話ばかりでごめんなさいね」と何度も繰り返します。
私の名前が木の扉の向こうから呼ばれ、会釈して立ち上がると、やっぱりそのおばあちゃんも「またね」と言って手を振ってくれました。


時計の長い針が数字を2つか3つまたぐ程度の間、名も知らぬ私に人生の一部を共有してくれる人たち。病院で出会ったおばあちゃんが言うように、話し相手がいる嬉しさから思わず言葉が弾むということなのでしょう。私がもっと上手にお話しできる人なら尚良いのでしょうが、にこにこの笑顔を見ていると、そのままのあなたで十分だと言ってくれている気持ちにもなります。嬉しくなるのは結局私の方で、「またね」の言葉を、満たされた心で再生したりします。
私の祖母も日中は家で退屈に過ごしているとよくこぼしていて、聞くたびに胸が切なくなります。すぐ会いに行ける距離ではないので電話で話すのが精一杯なのだけれど、どうか祖母の地域にも、祖母とお話をしてくれる人がいたら有難いなと切に感じます。


出会おうとして出会ったわけではない人たちと言葉を交わすということが、今では奇跡のようになってしまいました。隣り合った人と同じものを眺めるとか、偶然助け合うとか、そういうことが珍しいようでいて、実は当たり前に遭遇できる世界だったのだということに今更気がつきます。

おばあちゃんと私の束の間の触れ合いは、今は"不要不急"とみなされてしまうのでしょう。なくても困らない、今でなくとも構わない。けれどどうしても考えてしまいます。あのおばあちゃんたちはどこに行ってしまったのだろう。

おばあちゃんたちは別に、本当にどこかに消えてしまったわけではありません、私が出会えなくなっただけです。でも、少なくとも、はじめましての誰かと顔を合わせて不意にくすくす笑う時間はもうなくなってしまいました。
相槌を打つだけの分際で烏滸がましいのですが、くらしのなかの寂しさをほんの少しだけ埋める手伝いが私にもできていた気がするのです。あれこそが「優しい間(ま)」だったのではないかと、過去の会話に思いを馳せては胸がぎゅんと鳴るのです。

「顔が浮かぶ相手だけが大切な人」ではないのだと私はよく知っています。すれ違う未来さえ想像できない、まさしく一期一会のあの時間に、癒されてきた私がここにいるからです。
二度と会うことは叶わないかもしれない、けれど「またね」を交わしたおばあちゃんたち。もしくは今後「またね」を言えたかもしれないおばあちゃんたち。どうかみなさんの心の潤いが最低限でも保たれていますようにと願わずにいられません。

世間にとっては些末な出来事。けれどそんな出会いや言葉の交差が、私たちをこの社会に繋ぎ止めてくれているように思います。ぽつんと一人きりだと感じたり、どうにもならない今を憂いたり、そんな空虚でゆとりのない世界を少し明るくするのは、結局人の力のような気がしてならないのです。出会いたいよ、また。私の独りよがりかもしれないけれど、また会いたいと私も思っているからね。もらった「またね」に答えるように、口の中で何度も小さく転がしています。

先日近所のスーパーにて、アボカドの食べごろについておばあちゃんとふた言ほど言葉を交わしました。
私が選んだものは若干熟れ過ぎでした。おばあちゃんの方はどうだったでしょうか。いつか、教えてもらえると嬉しいです。またね。


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