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やさしくないけどやさしくて

やさしいよね、と繰り返し言ってくれる人がいる。「やさしいよ、やさしいんだよ」と、まるで私を諭すようにいつでも何度も言ってくれるものだから、「そっか、私ってやさしいのかも」とうっかり思うようになってしまった。

謙虚じゃないなあと自身をちょっと恥ずかしく思う一方で、彼の言葉をお世辞として受け取ることはできない。言葉は偉大だ、人を包む力がある。

何度も書いているけれど、私と母の関係性には少々歪なところがある。歯車がどうにも噛み合わず、上手に思いやることができない。最初に傷ついたのは私の方、でも、それを引き合いに冷たくし続けているのも、私の方。

久しぶりに会った日、私は上手く母に歩み寄れなかった。母に非はなかったのに、無性に嫌な気持ちになって、怒りが湧いてきて、そんな自分がひどく辛くて涙が込み上げた。そこまでの感情が噴き上げる理由、最早自分でもよくわからなくなっている。それなのに心は勝手に暴走する。いったい私は何に支配されているんだろう。

楽しい瞬間もあるのだけれど、悪い循環が巡るとき、私と母は結局互いを傷つけ続ける。どんな些細なことでも、胸の内で何かがぐにゃりと歪み、相手を不快にさせてしまう。開いた古傷を撫でながらも、こんなことはもうやめたいと、ずっとずっと思っている。けれどそうならない。私の性根は曲がってしまっているのかもしれない、心の狭さは一生このままかもしれない。そんなことを思って、気持ちは落ち込む。

そんな時にふと、そばで小さく灯る声がある。
私をやさしいと言ってくれた人の言葉だ。
「あなたは十分やさしいんだよ」

善人にはなれない、母に優しくすることもできない、
そんな私にもちゃんと、やさしい一面があるらしい。人として100点は取れなくとも0点ということもないと、信じられる。言葉で包んでくれた人がいるおかげで、私は自分を真っ向から否定せずに済むのだ。

私の生活を、気持ちを、過去と未来を想ってくれる母だってやさしい。それもわかっている。誰かのあたたかい部分を素通りせずに感知できる心、失いたくないなと思う。そうしてなにより、包んでくれた人のことも、包み返せる自分でいたい。

涼しい風が首元を抜けていく。
夜の始まりに、切っても切り離せない人たちのことを思う。


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