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あなたの「頑張る」のベクトルはどこを向いている?

あなたは目標をお持ちだろうか。理想や夢のようなものはどうだろう。

私たちは時に、日常と周りの当たり前(俗にいう敷かれたレール)に甘んじて、何を考えることもなく工場で働く作業員のように毎日を右から左に受け流しがちである。

働かざる者食うべからずという諺や勤労の義務、納税の義務という法律が私たち大人をしっかりと追いたてる。羊飼いの犬が羊を檻の中に追いやるように。屋根と食べ物、世間体のために働く。「とりあえず」、で始めた仕事であった仕事をもとても器用にこなし、そのお金で娯楽を買う。そのような日常を私たちはハムスターが毎晩滑車を回すように回し続ける。



変わり映えのしない毎日、変わっていかない自分、変わっていかない現実。確実に変わっていく私たちに残された人生の時間。





「このままの生活を続けたらどんな人生が10年後あなたを待っているだろう。それはあなたが望んだものとどれだけの距離があるだろう。いや、そもそもあなたはきちんとあなたの欲しいものを把握しているのだろうか」



あなたが手に入れたいものは何ですか。
あなたの人生の目的は何ですか。

車、家、子供、パートナー、夢の仕事。
環境問題を解決するためのプロジェクトを実行すること。貧困をなくすことに尽力すること。シェルターの動物を救うこと。子供の教育に携わり、彼らの未来を作るための手助けをすること。


そもそも自分のやりたいことというのを考えずにとりあえず生きていっている人もいる。それが悪いとは言わない。そう生きていきたいと考えているのであれば、それもあなたの選択として尊重される。


ただ何も考えずに流されるように生きた人は40代、50代の時に壁にぶつかるかもしれない。「私は何をしてき他のだろう、何のために生きているのだろう」と。


だから、どうか一度ここで立ち止まって時間をとって考えてみてほしい。
「あなたはどのような人生を送りたいですか」

目標というのは目的に近づくためのステップであり、目標というのは叶えたらそこで終わってしまうが、目的はずっとそこにあり続けるという。

「あなたの人生の目的は何ですか。その目標を達成するための目標は何ですか」



その答えを持ってしても、それに向かってコツコツと努力をしていける人は多くはない。毎日の変わり映えのしない、だが安定した日々。居心地はある意味でいいのかもしれない。もし不安があったとしても、変わることから生じる未知の出来事への恐怖心を避けたい気持ちは私たちの肩を力強く止める。


初めに述べたように、毎日のタスクに追われて、それをそつなくこなすことで1日が終わってしまう。そのようにして、半年、3年、5年と時間だけが経っていく。




大丈夫、あなたはちゃんと毎日頑張っている。生きることは一筋縄ではいかないことが多い。



私がここで言えることは、目標を達成するために積み重ねていくべきステップを明らかにし、忙しい毎日でこれならできるという小さなタスクを毎日に加えることである。そして、そこに頑張るベクトルに注意を向けていこうということだ。

例えば、ダイエットを例にあげよう。10回の腹筋を週5日一週間続ける。2週間目は20回に増やし、週5日続ける。このようにして、あなたの日常を少しずつ変形させていく。

私たちは次の日に起きたら目標が達成されていればいいのに、といった具合に劇的な変化や努力ができるだけなく目標達成ができればいいのにと願う。それは自分の能力への過信からくることもある。

「いや、僕はきっとそんな手順を踏まなくてもできる。ただ時間がないからできないだけだ」
時間がないのであれば、プロセスを分割して毎日できる範囲で進めていけばいいのではないか。時間を作る、有効活用することはできていないのではないか。

「いや、僕にはきっとできる。だけど挑戦してダメだったらどうしよう」
ダメだったら、できなかったという事実を受け止めてどうすればできるようになるかを考え直して再挑戦すればいいのではないか。





大丈夫、あなたにはできる。いきなり、「はい目標達成!」とはいかないかもしれない。階段を6弾飛ばしで登っていけないように。だから噛み砕いて自分の歩幅に合わせてステップを作ろう。ステップが自分の歩幅に対して小さすぎる、または大きすぎるのであれば調整していけばいい。

イーロンマスクは1日でロケットを作り上げたわけではない。
スティーブ・ジョブズは3日でI PHONE を作ったわけではない。
ローマは1日にしてならず。


今日あなたの目標に1mmでも近づくためにできることは何ですか。



cloudy







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