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コロナで人を亡くしたことを通して、悲しみとの向き合い方を考えてみた。

こんにちは😊
今回は少し難しくて、とても悲しくて辛い、でも避けられないテーマ、「死」です。

このテーマを選んだ理由は、先日、私の旦那さんの叔父さんがコロナでお亡くなりになり… 深く「死」について色々考えるきっかけを頂いたからです。

これほどコロナの怖さを体感したのは、初めてでした…そして初めて、宗教や儀式の大切さや人との関わりの大切さを痛感しています。

誰かの「死」と、どうコーピングするのか。(どう向き合い、対処するのか。)色々考えたことをまとめてみました。また、「死」だけでなく、人間が持つ悲しみや辛さという感情についても書きました。

悲しみや、辛さをどう感じて、どう出すか。この記事が感情を失った人や、自分の感情に敏感になりたい人、そして誰かの「死」と、勇気を持って向き合おうとしている人に、少しでも役に立てば嬉しいです😊

※私の旦那さんから許可をもらい、彼の叔父さんのことを書きました。あまり暗くなりたくないので、私が経験したお通夜やお葬式などでの笑えたエピソードや、映画紹介なども織り交ぜております。


コロナを身近に感じた「死」

先ほど、「私の旦那さんの叔父さんが、お亡くなりになられました。」と書きましたが、実は私はその叔父さんにはまだご挨拶も出来ておらず、会ったこともありません。

会う予定でした…
昨年、ハワイで簡単な式をあげる予定でした。
そこでお会いして、ご挨拶する予定でした。
全てコロナのせいで、果たせなかったことです。
(せめて一度お会いして、ご挨拶したかったです。)

会ったこともない、その方との思い出もない。
それでも今回の件は、私にとってすごくショックでした。

私にとってもショックだった一番の理由は、何もできないことでした。あの、誰かが亡くなった時の「ドタバタ感」が一切なく、まるで何事もなかったかのように次の日を迎える。

「コロナ関連の死」なので、そもそもお葬式ができない。

せめてご親族で集まろう、となっても、集まること自体がコロナのリスクになる。(話は出ましたが、集まることはできなかったです。) できたのは、親族同士でのビデオ電話のみでした。

私は「こんなことってありなの?」って思いました。
旦那さんからの話や、義理のご両親からの話から、その亡くなった叔父さんは、家族からも、親族からも、沢山愛されていたことは確かです。

そんな人が亡くなったと言うのに、お葬式すらできない状態です。志村けんさんの死を思い出さずにはいられませんでした。


お通夜やお葬式の大切さ

私は今回の件で、お通夜やお葬式の大切さを身をもって感じました。

なぜ人間は人が亡くなった時に、お金をかけてまで、お通夜やお葬式という「儀式」をするのか。理由は色々あると思いますが、大きな理由の一つに、「その方が亡くなった事実を受け入れるため」というものがあると、私は思います。

その方のために集まり、一緒に泣いて、惜しむ。
その方が生きたストーリーを共有して、”祝う”。
お通夜やお葬式は、そのためにあるのだと感じました。

今回は、コロナによってその機会を奪われました。ご家族やご親族にとっては、やり切れない気持ちだったと思います… 親族と集まることも出来ず、彼のなんとも言えない、やるせない表情を見たのは、初めてでした。


もう一つ、「悲しい時、人間はある程度の忙しさや、ほかの人との関わりが必要だ」というのも、お葬式をする理由の一つなんじゃないかと感じました。

私は心理学者でもなんでもないので、学術的なことはわかりませんが、悲しみ+暇+人との関わりが少ない→ 考えすぎ、気分が落ち込む、うつになる、そんな要素がある気がします。


私は数年前に叔母を亡くしました。まだ60代でした。その日は病院に駆けつけ、叔母の最期を見届けました。その後、お通夜にお葬式にバタバタしました。母の手伝いで忙しく、悲しい反面、悲しんでいるヒマがなかったのを覚えています。

叔母のお通夜やお葬式を通して、不謹慎ながらも笑える思い出もできました。

火葬場で骨上げをする時、みんながすすり泣く中、亡くなった叔母の妹さんが「お箸、左手で持つんやったかな?」と小さな声で聞き、

いとこが(亡くなった叔母の娘さん)「そんなん左手でしてたら日が暮れてまうわ!」と思わずツッコミ、一気に笑いになったのを今でも覚えています。

叔母の妹さんはお通夜でも、読経の時にオナラが止まらなくなり、別の部屋へ移動するハプニングを起こしました。周りは爆笑をこらえるのに必死でした。笑

そんなこんなで、バタバタお通夜やお葬式を終えました。私はこれこそお通夜やお葬式の意義なんだろうなぁと感じました。


お通夜やお葬式の間は、「叔母さんがいたらこんなこと言ってるだろうな」などと考えながら、過ごしました。私が幼いころから本当にお世話になっていた叔母さんだったので、すごく悲しかったですが、それと共に、感謝の気持ちが湧いてきました。

形として叔母さんは居なくなっても、ここにいる全員の心に叔母さんはちゃんと居る。お通夜やお葬式では、それを共有することができました。


もちろん、お通夜やお葬式のみが、人の「死」と向き合う方法というわけではありません。他にも色々方法はあると思います。

しかし、人がお通夜やお葬式の「儀式」をすることにより、悲しみ+忙しさ+人との関わり→亡くなった方との思い出の共有やその方への感謝などに切り替えることができ、その方の「死」と上手に向き合うきっかけになる気がします。


誰かの「死」を受け入れられなかった時期

私は30代ですが、これまで色々な方の「死」から影響を受けてきました。

大学生の頃までは、誰かの「死」とどう向き合っていいのか分かりませんでした。お葬式に出たときも「最期に挨拶だけしておこう」という感じで、悲しいと感じることすら難しかったこともあります。

誰かが亡くなっても、涙が出ない。どこか実感がなく、まだどこかにその人がいる気がする。悲しいと感じたいのに、なぜか感じることができない。そんな時期がありました。


しかし今では、身内になったとは言え、会ったこともない方の「死」を悲しむことが出来ています。涙も出ます。

もっと言うと、漫画「ワンピース」を読んだこともないのに、旦那さんからエースの死の話を聞き、ショッピングモールで大泣きしたこともあります。笑

悲しむことすら難しかったあの頃から、なぜこんなに変わったのか。(変わってしまったのか。笑) もちろん年齢という理由もありますが、私の場合、「感情に蓋をした10年間」があります。


感情は「感じて」、「出す」必要があると思う

私は10代の頃にトラウマを負いました。それから「時が解決してくれるだろう」と、10年間その出来事に蓋をして生きてきました。

その10年間で段々と心を失いました。末期の頃は、自分の感情は本当に無かったように感じます。

笑っていても楽しいと感じれない。怒りの感情もなければ、悲しみの感情もない。裏切られても、裏切っても、なんとも思わない。自分が傷ついても、誰かを傷つけても、なんとも思わない。

誰かに同情したり共感する余裕なんて全くなかったです。その頃は、誰かが死んだことなんて、「そっか」くらいにしか受け止められず、不謹慎なことに「いいな、羨ましいな」とまで思っていました。


10年経った頃、底辺に落ちた時、ようやく「アレは時間が解決してくれるものでは… なさそうだな」と気付くことができました。自分の過去と向き合うことができるようになったのは、ここ数年です。

カナダで「それ専門の人から話を聞いた方が賢いよ」という言葉をもらい、専門家のところへ行きました。日本に帰国してからも、自分で専門家を探して、カウンセリングやEMDRを受けました。


10年ほど無視してきた、抑えつけてきた自分の感情が少しずつ蘇ってくる感覚がありました。それと共に、10年間抑えつけてきた分、感情が出た時にコントロールが効かなくなりました。

24時間、朝から晩まで泣くこともありました。誰かが辛い経験をした話を聞くだけで、共感が前へ出過ぎて、私が先に涙し、周りが「?」な顔をしたこともありました。笑

心が少しずつ戻ってきたこと、出来事に感情が伴うことで、私の人間性も昔よりはマシになりました。酷いことはできなくなりましたし、人を傷つけてしまった時は、心から申し訳ないと思うことができるようになりました。


私はトラウマを通して、辛さや苦しみに共感することを学びました。

辛い出来事がその「心」に居座る感覚を知っている。
どう頑張っても、その出来事がつきまとう感覚を知っている。
誰にも見せてないけど、
もがき苦しんでいる、その苦しさを知っている。

経験したことは違っても、その「感覚」は感じ取れる。難民の方に英語を教えていた時は、経験したこともない内戦への共感もしたほどです。笑
(10年間抑えつけてた分、私の共感の仕方は少し異常かもしれないですが。笑)


ここ数年で、ようやく、自分自身のトラウマについても感情が伴うようになりました。昔は自分自身のトラウマについて話す時、不思議と淡々と話すことが出来て、まるで作り話のように感じる時がありました。感情が伴わなかったんです。

誰かの死を受け止めれなかった時の、あの、非現実感に似ています。私も自分のトラウマを受け入れることが出来ていなかったんだと思います。


しかし今は、自分自身のトラウマについて話す時、すごく体力を使いますし、疲れます。勝手に冷や汗や涙が出ますし、身体から「逃げなきゃ」という信号を感じます。

怖い、憎い、悲しい、誰か、助けて、全部、取られる、などの、感情なのか感情でないのか、もはや分からない(笑)そんなものを感じます。

もう、淡々と、作り話のように話すことは出来なくなりました。

それでいいんだと思います。


私自身のトラウマについて書きましたが、これは誰かの「死」と向き合うことと似ているんじゃないかと思います。

誰かが亡くなったり、トラウマを負ったり、辛い出来事について、自分の感情を感じるのは簡単なことではないと思います。しかし、「悲しい」「辛い」などの自分の感情を感じて出せた時、そして誰かと共感できた時、やっと心に居座り続けたあの重いものが、少し軽くなるんだと思います。

悲しむことができるから、喜びを感じることができる。
人の心を持つためには、悲しみと喜び、両方必要で、それをちゃんと感じて出すことが必要なんだと思います。


自分の感情を「感じて」、「出す」方法

日本ではこんな風潮があるのかもしれません。
「感情を出したりするのは子どもだ」
「泣くなんて男じゃない」

子どもでも大人でも感情はあるし、(むしろ大人になってから持つ感情の方が複雑だし)、悲しむのに男も女も関係ないと個人的には思ってしまいます…

男性、女性に関わらず、生きにくい社会になってしまっている気がします。

本当の「大人」は、自分の感情を無視するのではなく、ちゃんと受け止めて、自分自身で対処する方法を知っている気がします。

泣いてもいい。悲しんでもいい。
そうすることにより、自然と立ち直ることを覚えます。

なぜか泣けない。なぜか悲しめない。
そんな時は、無理に泣いたり悲しむ必要はないと思います。時が来たら、自然に涙が出て、悲しむことができるかもしれません。私のように、カウンセリングなどの専門家が必要なのかもしれません。


悲しむことが出来ない理由の一つに、「怖さ」があります。「悲しみ」に「怖い」という感情が伴うと、余計に自分の感情を感じにくくなります。

「怖い」のサインは、自己防衛に繋がります。自分を守るために、感じることを辞めてしまいます。

まずは「怖い」要素を取り除く、もしくは「安心」と感じられる場所や、安全な所に身を置くことが大切だと思います。


また、今ある感情や考えを吐き出してみるのも一つの方法だと思います。吐き出し方は人それぞれですが、私は紙などに気が済むまで思いを書き出します。

noteを使うのも一つの手だと思います。書き手の心の中を整理する意味では、とても有意義だと思います。

実際、私もこれを書きながら、私の心の中を整理させて頂きました。(勝手にすみません。笑) ここで、会えなかった叔父さんへの思いを綴ることができ、無念で悲しいと感じて、途中涙しました。


最後の提案はプロに頼る、カウンセリングや専門家に頼る、です。私のように10年ほど感情を抑えつけて生きると、色々麻痺をしてしまい、感情がどこにあるのかさえ分からなくなります。

そんな時はプロを頼るのも一つの手だと思います。プロのカウンセリングでは、色々お話を聞いてくれるだけでなく、偏った見方をしていれば、適切に質問を投げかけて、考えさせてくれます。

カナダのカウンセリングでは、脳と感情の関係や、どういうシチュエーションの時にどのホルモンが出るかなど、心のことだけではなく身体の働きも教えてもらいました。

それにより、無闇に自分を責めることがなくなりました。「あの時逃げれなかったのは自分のせいだ」などと考えるのではなく、このシチュエーションで、この信号を身体が察知して、このホルモンが出て、だから身体が硬直したんだ、とこんな感じで俯瞰から見ることが出来ました。

他にも友達や家族と話す、などなど、自分の感情を「感じて」「出す」には様々な方法があると思います。


自分の感情を「感じて」「出す」のは、決して悪いことではないと思います。むしろ難しいけど大切なことだと個人的には思います。色んな方法を試して、感じて、出す練習をする人が増えれば嬉しいです。


オススメの映画 「インサイド・ヘッド」

今回は「死」を通して、悲しみの感情にフォーカスしてみました。悲しいことがあると、いつも思い出す映画があります。2015年に公開された、ディズニー映画「インサイド・ヘッド」(英語名: inside out)です。

子ども向けのアニメ映画なのですが、私はぜひ大人の方にも見てほしいと思います。

この映画は、人間の脳の働きと心の働きがとても分かりやすく描写されてると感じました。「人は悲しむことが出来ないと、心のバランスが崩れるんだ」ということに気付かされた作品です。

この映画を見た当時は、私は自分自身のトラウマについて悲しむことが出来ませんでした。悲しみ方がまだ分からなかった時期でした。しかし、この映画のおかげで「悲しんでもいいんだな、今はできないけど、悲しむ必要があるかも」と感じることができました。

「自分の感情はどこにいったんだろう…」という方には、ぜひ見てほしい映画です。


まとめ

誰かの「死」と向き合うこと。
辛い事を経験した自分の感情を、感じて、出すこと。
これらは簡単ではないですが、必要なことだと感じます。

感情を長年抑えつけてると、私のように後から困ることになります。笑
今でも、何でもないことで色々感じてしまい、涙することが多く、泣くたびに旦那さんからは爆笑されます。笑

「これいつ治るかなぁ?」と聞くと、「一生治らないでしょ。笑」とバッサリ斬られました。笑

コロナ禍で、辛い思いをする人や、「死」と向き合う人が増えていることだと思います。その辛さや悲しさと、どう向き合うか、いつ向き合うかは、人それぞれです。

辛くても、悲しくても、今自分が感じていることを大きく抱きしめてあげてほしいと思います。そして、何かを感じれる自分自身に、何かを感じれない自分自身にも、「ありがとう」と、愛を伝えてあげてほしいです。

一刻も早く状況が改善することを、心から願います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


Only people who are capable of loving strongly 
can also suffer great sorrow, 
but this same necessity of loving serves 
to counteract their grief and heals them.
-Leo Tolstoy

深く愛することのできる者のみが、
また大きな苦痛をも味わうことができるのだ。
しかし、悲しみを打ち消し、癒すためには
これと同じ愛が必要である。

-レフ•トルストイ










叔父さん、天国でビールを飲んでると聞きました。笑 
会えなかったけども、会ってたらきっと私のことを
気に入ってくれてたと思います。笑
(そう彼が言ってました。笑)
叔父さんが戦時に習った日本語、聞きたかったです。
(これも彼が披露してくれると言ってました。笑)
歴史やバックグラウンドなど関係なく、
日本人の私を快く受け入れてくれる、
その暖かさに本当に感謝します。

どうか、天国から見守っていてください。
夫婦共々、がんばります。












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