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noteに助けられた、新米主婦の自尊心

こんにちは😊今回は恥ずかしながら、ガッツリ自分の話です。

私はカナダに来て、専業主婦をしております。専業主婦歴、9ヶ月です。まだまだ新米主婦です。

まだ慣れていないせいか、「主婦になる」ということに色々戸惑っています… 大学を卒業したころは、「早く結婚して、家庭に入って、仕事をしない人生を送りたい。」とまで思っていました。

それが今では、仕事がしたい、収入がほしい、社会と繋がりたい、誰かの役に立ちたい、とりあえず経済的、精神的に自立したい。専業主婦になってから、仕事のありがたみや、社会貢献のありがたみを、とてもとても感じています。

主婦の自尊心の保ち方などは、私にはまだわかりません。ただ、旦那さんを含め、周りの方に助けられていること、そしてnoteに助けられていることは事実です。

現在わたしは、私が書いたnoteを読んでくださっている方々に本当に毎日支えられています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうでは表しきれません。


今回は、「新米主婦の自尊心」と題し、私が主婦になった経緯、私のひどい主婦レベル、私の主婦としてのズタボロな自尊心、(笑ってやってください。笑) そしてnoteへの感謝、読んでくださっている方への感謝などについて書きました。何かに少しでも共感していただけると、嬉しいです😊


コロナにちゃぶ台をひっくり返された、2020年。

私は2019年に入籍しましたが、遠距離結婚でした。籍を入れても、私は日本で彼はカナダでの生活。私の仕事が落ち着いたら、カナダに行く予定でした。

2020年春、仕事が落ち着き、退職の話を進めてたところ、コロナ到来。旅行の予定も、ハワイでの結婚式も、カナダ行きも、一旦全て無かったことに。「コロナさん」という人に怒鳴られて、ちゃぶ台をひっくり返されたような気分でした。笑

2020年の目標は、とりあえずカナダに渡ること。

そのために、大使館やいろんなところに問い合わせしまくりました。仕事ももうほとんど辞めていました。しかし、というかやはり、たらい回しに合いました。コロナへの恐怖と、物事が上手くいかないストレスで、頭がおかしくなりそうな時期でした。

たらい回しの末、6月8日にこんなニュースが。

「カナダ、入国規制緩和。家族は入国できることに。」

6月8日、実はこの日は、叶わなかったハワイでの結婚式の予定日でした。まさかのトルドー首相からのプレゼント🎁

その後、無事にカナダに渡ることができました。後にも先にも、あんなガラガラの成田空港を歩いたり、あんなに人のいないジャンボ機に乗ることはないと思います。


主婦レベル、Lv.1程度。旦那さんを病気にさせた、私の家事能力。

カナダに来ることで精一杯だった私。やっと彼と会えて、一緒に生活ができることに、一安心していました。目の前のことでいっぱいいっぱいで、私はこれから「主婦になる」という自覚が全くありませんでした。今から考えたら、自分でも抜け過ぎてて本当にビックリします。笑


私は家事が得意ではありません。特に料理が得意ではありません。左利きで、先端恐怖症なため、包丁がとてもとても恐いです。その上、小学校の頃に、お母さんから「そうめんを湯がいて」と言われ、間違ってそうめんを燃やした経験から、火も恐いです。笑

その上、カナダでの生活です。馴染みのスーパーはカナダには存在せず、近くのスーパーでは見たこともない大きさのお肉の塊が売られています。

「こっちの人って、こんな大量のお肉を買って、どうするの?」と聞くと、「小分けにして、全部冷凍。食べたい分だけ解凍して、料理する。」と彼に教えてもらいました。


ある日、ハンバーグを作ろうと思って、ひき肉を解凍。しかしめんどくさくなり、ハンバーグを延長しました。数日後、「解凍したひき肉、使わないともったいないな〜」と思い、重い腰をあげてハンバーグを作りました。腐りかけの肉とも知らずに…笑

食後、2人でトイレの取り合いです。私は前に、お医者さんから「あなた、胃腸が結構強いね〜。胃腸炎なら普通、もっと苦しんでるよ。笑」と言われたことがありました。私は数時間で回復しましたが、彼はのたうちまわり、死にそうな顔をしていました。

その上、彼は「胃食道逆流症」という病気持ち。そんなか弱い胃に、腐ったハンバーグを… 「私はなんてことをしてしまったんだ」と自責の念に駆られました。

彼のパパを呼び、薬を買い、回復を見守り、私は何回も謝罪しました。解凍した肉の扱いを知らなかった自分を恥じ、「普通の人なら肉の匂いで気付くやろ〜」と自分で自分にツッコミ、それに気付かなかった自分を責めました。

ひき肉は、解凍した日、もしくは翌日に使い切ることを学びました。


その他にも、「ポトフを作って、彼の両親やお友達に配ろう」と思い、ぼーっとポトフを2時間も煮込み、気がついたら野菜が溶けてしまい、何かわからないものを大量に作ってしまったこともあります。

普通の方なら「これは配れないなぁ」となるのかもしれませんが、私は味見をして「美味しいからいっか!」と思い配りました。

しかし、誰から何の反応もなく、あれは幻だったと思うことにしました。


また、こんな料理スキルなのに、おせちにも挑戦しました。やる気があった12月半ばに、揃えれる食材をオンラインで購入。しかし、クリスマスには食材を注文してたことすら、ほとんど忘れていました。

12月28日に、注文していた大量の食材が届きました。「自分で自分にサプライズって出来るんやな。」となぜか感心しました。「こんなものまで!」と本気でビックリするものまで届きました。

さすがにこの量の食材を無駄にすることはできないと、ネットで色々調べて作り始めました。なぜか大量の煮物ができたり、昆布巻きの昆布がぶあつ過ぎて巻けなかったり、「甘栗むいちゃいました」を栗きんとんにしてみたり、缶詰の黒豆をなんとか甘くしてみたり。

所要時間、3日間。もはや時間じゃなくて日数。

そんなおせちも、美味しかったので、自信満々で彼のパパとママ、お姉さんとお兄さん、お友達に配りました。「美味しかったよ〜」という反応が本心である事を祈ります。笑


もうこちらに来てから半年以上経ちますが、私の料理スキルは一向に上達しません。

先日も、缶詰のパスタソースを使い、パスタを作るのになぜか2時間もかかり、義理の弟から「ある意味才能やな」と言われたり、

トンカツを作るのにパニックになり、お肉がまだ半生の状態で油から上げてしまい、考えた末に、切ったトンカツを油の中に戻して油が大暴れしたり、

と、何かに失敗することが多い日々です。


主婦になった私の自尊心はズタボロ。

料理中や、家事を頑張れている時は、まだ大丈夫なんです。苦手な料理に落ち込むことも多々ありますが(笑)まだ「挑戦している感」がありますし、「美味しい」と言ってもらえれば嬉しいです。

私の場合、問題は「もう料理も家事も、何も頑張れなくなった時」です。仕事と社会貢献、人とのつながりを無くしたことは、意外ととても大きなダメージでした。


これでも、日本での職業は英語の非常勤講師でした。とても大変でしたが、とても充実していました。いろんな企業や大学などで英語を教える立場は、毎日たくさんの人との出会いがあり、つながりがありました。

誰かの手助けになっている、と実感できる場面も多々ありました。誰かの手助けになっていない場合でも、「少しでも何かインスパイアできないかな〜?」と考えたり、受講生から「楽しかった!英語に興味が湧いてきたかも!」など感じてもらえるように工夫したり、気がついたら常に他人を考えて行動していました。(バランスが大変でした。笑)

レッスンプランに費やした時間を考えると、お給料と割に合いませんでした。(これもバランス、自己責任。笑)

それでも、受講生とのつながりや、講師の方々とのつながりはとても温かくて、思いやりがあって、幸せでした。プレッシャーや緊張もありましたが、授業が”乗った”時の快感や、受講生からの温かい感想は、かけがえのないものとなりました。

私ができる範囲で、誰かに何かをgiveする。それが、その人の役に立っているかもしれない。「与えるほうが幸せだ」と言うのは、本当だと感じました。英語講師としての最後の授業は、何を言っているのか分からないほど号泣してしまい、講師としては失格でした。笑


そんな人間が、急に主婦になり、家庭に入ったのです。しかも異国の地で。永住権待ちなので、今はこちらで仕事はできません。プラス、コロナで外出規制です。

私の存在意義が、一気に失われた気分でした。

主婦としての自尊心を保つのは、容易なことではないと感じました。

料理に時間がかかり過ぎて、夕食が21時ごろになる。掃除が少し面倒になってサボる。洗濯は週に一回、ひどい時は2週間ほったらかし。食材の買い出しが面倒になり、冷蔵庫が空っぽ。

毎日毎日やってもやっても、毎日毎日同じことの繰り返し。もう毎日続ける気力もない。毎日続けたところで、特別褒められることをしている訳ではない。全て「当たり前のこと」とみなしている自分がいる。(旦那さんはその当たり前のことに感謝してくれますが…)

とうとう一日中ベッドから出ない。ベッドから出ても、もう何もやる気が起きない。料理も掃除も洗濯も全てめんどくさい。主婦として、私はダメ人間になりました。こんな状態では、自尊心もなにもありません。笑

私がこれまで頑張って養ってきた、自分を大切にする力はどこにいったんや〜というぐらい、なんか全部どうでも良くなってしまいました。


とりあえず応急処置で、ぬいぐるみを買いました。笑
ぬいぐるみが話し相手なんて…かわいそう過ぎる。笑
誰かに話したい時に誰もいない時は、ぬいぐるみに話しかけて、ぬいぐるみに応援してもらいました。

今でも波はあります。昨日も彼と話し合いになりました。

でも、なんとかどん底から這い上がれたのは、なんと言っても、彼を含めて周りの方々のサポートがあったからでした。そして、自分自身から自分へのサポート。周りの方々と自分に感謝です。

そしてもう一つ、大きな手助けになったのが、noteでした。


noteを書くのは「人のためと」いう大義名分。

ある講師の方とお電話していた時に、「note始めてみたら?」と言われたのがきっかけでした。(その方には本当に感謝です。)

時間も有り余っており、その前から、「ブログとかしたいかも…」と思っていたので、思い切って始めることにしました。


私は講師をしていた頃、とても大きなモヤモヤを抱えていました。特に大学生と向き合い始めてから、モヤモヤは増えるばかりでした。

「この子達に必要なのは、英語ではなく、もっとほかにあるんじゃないか…」

でも、わたしの仕事は英語講師です。私情は禁物です。英語を教えることに徹しましたが、需要と供給が合っていないもどかしさを抑えるのに必死でした。


私が大学生の頃に知りたかったことを考えると、確かに英語じゃなかったです。英語には確かにのめり込みましたが、将来が不安でいっぱいでした。

私が大学生の頃に知りたかったのは、卒業後の、その先の人生について、仕事について、社会について、恋愛から結婚、家庭について、そんなことが知りたかったです。

私は10代の頃にトラウマを経験しました。卒業後は荒波に呑まれ、ここまで来るのに結構大変でした。しかし、それだけの大きな学びもありました。

それを経験したと言うのに、それを若い世代に伝えれる機会が目の前あると言うのに、実際に伝えれることは、英語のみ。


その溜まりに溜まったもどかしさを、ここnoteで爆発させてしまいました。

私が書くのは、基本的に大学生に向けてです。実際に向き合った「あの子たち」もしくは「あの子」に向けた文章です。あの時、あの授業で、出来なかったこと。本当に伝えたかったこと。

それを書き始めると、止まらなくなりました。笑
基本的にとてもとても長文になってしまいます。


「人ために、また、なにかgiveできるかも。」

noteを始めた頃は、これが嬉しくてあまり深く考えていませんでした。しかし、主婦としての自分の自尊心と向き合った時、「書くことは、ほかの人のためと言いながら、実は自分のためだったんだ。」と気付きました。

講師をしていた頃も、受講生のために、その方のことを本気で考えていましたが、結局あれは自分のためだったんだと気付きました。

実際に週に2回、noteを書いていると、大学生のみならず、同世代の方から反応を頂くことが多いことに気付きました。本当にありがたいです。

会ったこともない、どこの誰かもわからない。
けど、今書いていることが、その方の役に立っているかもしれない。発信すること=giveになるのだと学びました。そして、それが今の私の幸せと安定につながる。

毎回、「人のために少しでも役に立てば嬉しいです。」と書いているのは、本気でそう思っています。本気で私が幸せになるには、本気で誰かの役に立てないといけないので…笑

noteを通して、私は落ち着きを取り戻しました。


noteに助けられた、私の自尊心。noteは日本とカナダにいる私を繋いでくれています。

書いて、発信し始めると、読んでくださった方からの反応が嬉しくなりました。

スキやコメント、フォロー、またオススメまで…

感謝しても、しきれません。皆様の反応が、今の私にとても大きな意味をもたらしているのは、間違いないです。

私が書いたことが本当に役に立っているかどうかは、私にはわかりません。実際に読んでくださった方とお話ししたい欲求が生まれてきております。笑

一時期、「暗黙のルールがあるのか…?」などと感じて、noteに混乱した時期もありましたが、今はこの街の住人として、安定して発信することを心がけています。

のめり込み過ぎず、引き過ぎず、実際の生活とnoteのバランスを大切にしたいと思います。


noteを始めてから、私の心はずいぶん安定しました。仕事をしていた頃よりは、まだ不安定ですが、(収入がないので。笑)それでも、お世話になった日本の社会に少しでも貢献できること、誰かに何かをgiveできることは、幸せなことだなぁと感じています。

そして、noteは日本とカナダにいる私を繋いでくれています

カナダに来てから、とても孤独でした。コロナもあり、人と会えない。いつも旦那さんと2人。(旦那さんに不満があるわけではありません。)

noteを始めてからは、その孤独感が少し薄れました。私はカナダにいるのに、日本にいる方や世界中にいる方と、こんな形で繋がれるとは、夢にも思っていませんでした。

この私が感じている「つながり」は、あのポトフのような幻ではないことを信じたいです。笑


家事へのとまどい。今でも時々、何もできなくなります。

今回、私の弱いところを全面的に出してしまいました。お恥ずかしい限りですが、自分の気持ちには正直でいたいと思います。

先ほど書いたように、私はnoteを始めてから少し精神的に安定しましたが、まだまだ波があります。昨日も旦那さんと話し合いになりました。イキイキ生活をしている旦那さんに、私が嫉妬してしまい、落ち込み、「自分なんて」と考え始めると、毎回話し合いになります。笑

「私はひとりぼっちで、彼は家族と友人に囲まれている。」
「彼は思う存分仕事で社会貢献し、収入もやりがいも得てるのに、私には何もできない。」
「彼がゲームを楽しんでいる横で、私はひとり、洗濯物をたたむ。夕食の片付けをする。」

そんな彼に嫉妬心が湧き、家事もまともにできない、社会にも誰にも貢献できてない自分に羞恥心すら湧く。そして充電切れとなり、ベッドから動かなくなる。彼は、私が元気がないのを見ると、彼も元気がなくなります。共倒れ〜。笑

彼は罪悪感を感じている様子で、
「妻をこんな状態にしたのは、僕のせいだ。」
「自分が彼女の幸せを奪った。」
「僕は夫として十分じゃない。」

…そんなことを言ってるんじゃない。
責めてるわけじゃない、自分を責めて欲しいわけじゃない。

私は彼と一緒にいて幸せなのに、こんな状態になってしまった自分に、自分でガッカリする。負のループ。笑


彼は家事には積極的に参加してくれる方だと思います。夕食の片付けも、洗濯物も、ゴミ出しも、色々手伝ってくれます。しかし、ここに違和感がとてもあるんです。

私「手伝ってくれてありがとう。」
彼「全然いいよ、いつでも言ってね。」

彼は働いており、私は専業主婦。ということは、これで正しいはずなのに。

違和感があるのは、多分、「ご飯も掃除も洗濯も、全て2人が生活していくための家事なのに… 全て私責任?」と時々感じてしまう自分がいることです。彼が在宅ワークでずっと家にいるので、そう感じてしまうのかもしれません。


母のようになりたい自分 vs 母のようになる自信がない自分。

私は自分の母をこの世で一番尊敬しています。
幼いころから、仕事の上に、家事や子育て、おばあちゃんの世話、全てをこなす母を見てきました。母の苦労は計り知れず、「私はお母さんみたいになれない。」と思ったことすらあります。

父も家事を「手伝って」いました。私は父のことも大好きです。母も父も、お互いを思いやって尊重していることは、言葉にしなくてもわかります。

しかし、家事に関して思い返すと、時代でしょうか… 
台所に立つのは女性、家事をするのは女性。仕事が大変で家事をする時間がなければ、仕事をやめればいい。口には誰も出しませんでしたが、そんな風習を肌で感じていた頃がありました。

母は時々、「もうお母さんやめるわ。」と言っていたことがありました。その時は、私もまだ幼くて、「子育てをやめるの?お母さん辞めるって、どう言う意味?」と理解できませんでした。もちろんそんな事を言いながら、母がお母さんを辞めた日なんて一日もありません。

「なんで全部、私がせなあかんねん。」
「自分のことは自分でする。なんでそれが出来ひんねん。」

母は忙しくなると、こんな愚痴をこぼしていましたが、私はその愚痴に納得していました。先日、母と電話した時に、「お母さんは子ども3人を育て上げたんとちゃうな。お母さんは子ども3人プラス大人2人を育ててたんやで。」と私なりの気付きを母に伝えると、思わず母は涙してしまいました。


そんな母を見て育ってきて、今、私は妻として、家事を任される立場になりました。母の苦労や偉大さを感じます。

母のように家事も全てこなしたい反面、母のようになれない、なりたくない、と思ってしまうこともあります。計り知れない自己犠牲を払って、ここまで母は生きてきたことを、私は知っています。


彼との話し合いの中、彼は、
「夫として十分じゃなかった。家事をもっと手伝う。」
と言ってくれます。

私はそれを断ります。彼が手伝えば手伝うほど、私の母みたいになることは、理想となってしまいます。自分の家事の出来なさ具合に、落ち込むことが増えそうで、怖くなります。

「じゃあ僕はどうしたら…」

私にもわかりません。笑
どうして欲しいのかわからない〜と正直に伝えると、もちろん困惑していました。笑


3日間ほど、色々話し合いをしました。ここに書いたこと、全て彼に伝えました。すると、彼がこんなことを言いました。

「お義母さんみたいに自己犠牲を払わずに、お義母さんみたいに素晴らしい偉大な妻や母になることは可能なんじゃないかな?」

…そんなこと考えたこともなかった。笑
彼は私が考えたこともないことを、よく言います。笑

偉大な母になるには、自己犠牲が必要で、
自分の幸せより他人の幸せを優先することが、必要不可欠だと思っていました。(実際そうなのかもしれません。)

しかし彼は、
「自分も、家族も、みんな幸せになったっていいじゃないか。」
「家事もバランスだと思う。」
「お互いが幸せになれるバランスを見つけていこう。」

確かに、母は不幸なのか?と考えると、そうではないと感じました。母は色々言いながらも、幸せなのかもしれないです。彼は、私のどっちつかずな気持ちを、上手にまとめてくれました。笑


ここ3日間、旦那さんと話し合っては、noteを書き、を繰り返したので、最後は色々話が逸れてしまいました。(すみません…)

noteを書き始めて気付いたことは、noteを書くことで、自分の気持ちを見つめなおして、整理することが出来るということです。母に対しての複雑な想いなんて、ここに書かなかったら気付かなかったことだったと思います。これもnoteのおかげだと感じました。


家事に関しては、子どもができたら変わるのかもしれません。私が仕事をして稼ぎを得るようになれば、変わるのかもしれません。とりあえず今は、こうやって喧嘩や話し合いを繰り返しながら、しんどい時は素直に彼を頼りながら、夫婦のベース作りを頑張りたいと思っています。


まとめ。皆様、本当にありがとうございます。これからも頑張ります。

今回は「主婦の自尊心」と題し、とても個人的なことを書いてしまいました。等身大の素直な自分をさらけ出してみてもいいかも…と思い書き始めましたが、120%さらけ出してしまいました。笑

これを含め、これまで、私のnoteを1つでも読んでくださった方々に、この場を借りて本当に感謝を伝えたいと思います。

書いたことが読まれる嬉しさ、誰かに共感してもらえたり、誰かの役に立ったりする嬉しさは、言葉では表しきれません。カナダに住んでいるにも関わらず、日本社会に対して私の存在意義をもう一度与えてくれたnoteと、読んでくださる方々に本当に感謝です。

こんな私ですが、これからもカナダのこと、旦那さんと話したこと、気付いたこと、学んだことを色々発信していき、より生きやすい社会に少しでも貢献できるように努めたいと思います。

微力ですが、応援して頂ければ嬉しいです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


Listen to yourself.
Heal yourself first and 
everything will fall into places.

自分自身の心の声を聞きなさい。
まずは自分自身を癒すと、
全てが落ち着くべきところに、落ち着くでしょう。





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