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サッカーありがとう、サッカー万歳。

2023年9月15日に新卒で入社した会社を辞めた。
1年半勤めたが、飽き性な自分にとってはよく続いたと思う。
自分としては、少し長く居座ったのかもしれない。
そのくらい居心地が良く、楽しく、熱中できたのかなと。
会社を辞めたいなんて思ったことなんて1度もないし、ノンストレスでむしろ超絶ホワイトだったと思う。
人それぞれのキャパはあると思うが、僕自身全く嫌になることはなかった。
じゃあ、なんでやめるのか。


「ちょっと、足りんなぁ。」

それだけ。本当にこの感覚に尽きる。
正直、昨年の1年はめちゃくちゃ仕事に熱中できた。
「あと、1日半で50万。よし、いける」
そうやって毎月過ごし、どんな状況でも達成できる自信度胸がついた。
これまでの自分にはなかったものだ。

「俺にはできる。多分あんたらにはわからない。とにかく、俺はできる。」

ようやく心の底からそのように思える気がした。
スタートラインにたてた気がする。
これが欲しかった。サッカーを辞めたあの日から、本当に欲しかったもの。

根拠のない自信は、これまでもあった。
けど、どこかで自信がなかった。
だって、サッカーで勝てなかったから。
常に僕の中居る。
プロサッカー選手になれなかった自分を悔やんでいる自分。
あの時を考えると今でも胸がキュッと苦しくなる感じがする。
今でも鮮明に覚えている。

最後の試合で成立学園に負けて泣いている選手をみて
「俺もそっちに行きたい。気持ちよく泣かせてくれ。」
と心の底から思った日。

卒団式の日に
「お母さん、お父さん試合に出れなくてごめんなさい。そして進学させてくれてありがとうございます。」
と泣きそうになった日。

お母さんに
「東京進学させなきゃよかったかな。失敗だったのかね笑」
と心細くなった日。

弟の合格発表で家族全員抱き合っている姿を見て、自分の居場所がなくなった気がした日。

今思えば、自信なさすぎて「気にすんな。だせえよ(笑)」って背中叩いてやりたいけど、まあきつかった。
全てはあの時から始まっていたのだと思う。
ただ、この1年半で初めて思える気がする。


「あの選択は間違っていない。あの時挑戦したことで、今がある。ありがとう。」

思えば、高校卒業から大学を卒業する5年間は、常に孤独感でいっぱいだった気がする。
入学してすぐ馴染めなかったサークルと大学。
「サッカーで鍛えたから衰えるの勿体無いな」と思って始めた筋トレ。
サッカー以外価値の無いと思って始めたスタートアップでのインターン。
学生だからといって数字から逃げたくないと思い、休学した1年。

決断は、自分で決めてきた。
反骨心とサッカーへのプライドだけでこれまで突き進んできた。
たくさん逃げたし、迷走もした。

2日で辞めた叙々苑のバイト。
休学して2ヶ月後に、精神的に限界がきてインターン退職。
そこから、派遣のバイトを始め、お昼のお弁当のもやし炒めを食べながら、東京湾を見て、「俺何してんだろう」と泣きじゃくった日。

けど、進むのを辞めなかった。
だって、サッカーしていたことが否定されちゃうような気がしたから

ただ、悪いことばかりじゃないのが人生。
派遣バイトから心機一転、インスタの広告で出てきた外資系のインターンに応募し、スタートアップでの経験を話したら受かった。
なんか、猛烈に嬉しかった。ほんまに嬉しかった。これまでやってきたことが報われた気がして。
そして、遅れてやってきた青春を味わうことができた。
華金で新橋オール。
インターン生たちとたくさんゲロ吐いて、遊んだ。
学歴とか、優秀とかはお前が判断するものじゃないってことを学んだ。

人生は面白い。
苦しい時は、「もうだめだ。俺ってなんで、、」とか
断片敵にしか物事を捉えることができない。
けど、人生100年時代で考えた時に、本当に鼻くそくらい。
多分俺もそう。
けど、この件で学んだし、スタートアップでのインターン時代に言われたことを思い出した。

「明けない夜はない」

そんなこんなで就活始めて、自信のあった営業力を活かせるを会社はないかなと。そして、その対価としてお金が欲しい。たくさんの。
なぜなら、学生時代にお金にしか困らなかったから。

「なんで、私達が汗水垂らしたお金をあんたなんかに。」
復学する前に、成城学園前の三菱UFJ銀行の中でお母さんに叫ばれ、そう言われて初めて気づいた自分の愚かさを。

「恥ずかしいから、俺の大学言わないでほしい。」
学費を払って頂いてる身なのに、失礼極まりないことを当たり前に言っていた、大学1、2年時。
その時の自分を殴って隠したいくらい、ダサいことを言っていた。
銀行にお金を借りてまで、自分に奨学金を払わせないように努力してくださった、両親のことを考えると胸が痛いし、苦しい。
けど、今なら言える。

「お母さんごめん。苦しい中、進学させてくれてありがとう。」

だからこそ、金銭的余裕があり、これまでしてきたことが報われるような企業に行きたい。そんなミーハーな自分は、M&A仲介を志望するようになるが、もちろん撃沈。

「なんで、結果出せるのに俺のこと採用しないの?」

そんな新卒誰が採用するねんと皆様思いますが、当時の長瀬学夫は本気でそう思っていました。
なぜなら、インターンの時に死ぬほどやりきったからです。

「そこらへんの口がうまい学生と俺は違う。頼むから、やらせてくれ」

そして、撃沈した長瀬は納得できずに中途枠で履歴書をお送りし、無事某有名M&A会社の社内ベンチャーのインターン生として迎えられ、新卒一期生としての条件を掲げられます。

「1ヶ月以内に1件の受注。そしたら、正社員として採用する。」

そして、その言葉を信じた長瀬は、猛烈に働き2週間後に無事1件受注し、新卒一期生として迎えられる予定でしたが、あるエンジニアの方の言葉で考え始めます。

「同期ってめっちゃ大事だと思うけどなぁ。俺は、7年前に新卒で入った会社の同期とは今でも仲良くやってるで」

ここで長瀬は考えました。

「俺ってずっと1人じゃね?」

振り返るとずっとそう。
頑張っている時は、いつも孤独でそれが当たり前だと思っていた。

けど、いつもおんなじことばかりの人生おもろくないな。
何も知らないで、独断と偏見で決めるのはおかしい。
そうして、僕はM&A業界にチャレンジするのをやめました。
同期や仲間を知るために。

ちょうどその時にキミスカという就活サイトからオファーが来ていた。

「dip株式会社?何それ?バイトルって?」

そんなきっかけで、dip株式会社に運命的な出会いをし、無事入社することになる。入社理由は、「人の適材適所と最大価値を引き出す」が建前で、本音は「リクルートに落ちたから」である。
ほぼ、選考の準備もせず、その場しのぎで耐え、笑わせることに必死だった。

「僕、数字へのこだわりハンパないですよ。」

大枠これしか言ってないが、なんか受け入れてくれるし、内定くれたからいいかなと。そんなことより、沖縄旅行が迫っていたため内定承諾をすぐした記憶がある。
そして、無事就活を終え、筋トレと学校を行き来する中でインターンできることを知り「営業やっていたし、楽やろ」といった理由で内定者インターンのアルバイトを始めることになった。
このふっかるな長瀬を褒め称えたい。
なぜなら、今では親友とも呼べる仲間(よんちゃん)に出会うことができたから。手を上げなかった自分を想像するとゾッとする。そのくらい僕にとっては大事な人たちである。

その1人つっちーを紹介しようと思う。
つっちーとの出会いは、インターン先のトイレである。

「俺、蓮!よろしく!」

と勢いよく放尿しながら自己紹介してくださり、おもろい奴きたなと思ったの今でも覚えている。
そんな出会いをしてからは、もう楽しすぎた。
終電逃して、カラオケオールして、ここでも遅れてやってきた青春を取り戻した感覚になった。
そんなつっちーは人一倍繊細で優しい。だからこそ、昨年の1年間は色々悩んだし、もがいていたんじゃないのかなと思う。僕にははかり知れない、どん底の状態を体験したと思っている。その甲斐もあり、今はお客さまからも絶大な信頼を得ているし、それが今の数字となって現れているのだと思う。(確か事業部1位)
そんなつっちーが俺は大好き。いつもありがとう。多分愛を語るには、改めてnote書く必要があると思うので割愛させていただきます。

そうして僕達は、22新卒として「dip株式会社」に入社することになる。
僕の目標はもちろん「通期新人賞&全達成」
そして、早くここを出ていく。俺は他の会社でもっと輝ける。

「インターンでのたくさんの修羅場を乗り越えてきたあんたらとは苦労が違うよ。ごめんな。先に行かせてもらう。」

そんな気持ちで臨んだ予算を持った初月にまさかの未達。
恥ずかしすぎて、オフィスからすぐに出たかった。

「未達はダサい。120%越えを出して、応えるのが営業マン。」

今でも師匠である上野さんから教わってきた、考え方を全くできずに終わり、悔しすぎて電車のホームで号泣したのを覚えている。
そこから、「初月未達のダサさ」を胸に営業に励んだ。

「誰よりもやる。まずは、そこから。」

ポロシャツから塩が吹き出しても、革靴がボロボロになっても関係なく飛び込みと電話をし続けた。理由は明確。

「未達はダサい。予算は期待。達成できないのは、仕事の放棄である。」

これだけだ。本当にこれ。これしか考えてなかった。それくらい本気だった。達成することに。頭がおかしいと思われるかもしれないが、僕はマジだった。でも、そのくらい本気にならないと難しいことだと僕は考えていたし、じゃないと次に繋がらない。なぜか。サッカー選手がまさにそうだから。結果を出し続けないと、次がない。明日食う飯がないかもしれない。僕も結果を出さないと次(転職)に繋がらず、ここのお局として残ることになるかもしれない。そんな焦りを抱えながら、毎日営業をしていた。

「この営業スキル(考え方)は、どこでも通用するのか」

毎日そんな感じで仕事と向き合い、常に自分が他の会社でも通用するのかイメージをしていたと思う。そのおかげで、自己研鑽することへの抵抗感がなくなり、アップデートしていくことの大切さを学んだと思う。

そうして、初月以降は達成することができ、そこから2回くらいしか落とさず、側から見たらいわゆる売れている営業マンになったのかなと思う。
改めて思う。やってよかった。

けど、それよりも得たものが大きい。
それはやっぱり仲間である。
同期、先輩方々には本当に恵まれた。

「この組織で通期最優秀組織賞を獲ってハワイに行こう!」

そんな感じで、舵を切ってくださった大課長。
お酒と受注が好きすぎるので、時々困るが本当に大好きな課長である。
課長はすごい。とんでもない営業マンである。

「残り50万!?大丈夫!!学夫ならいけるよ!」

この根拠のない後押しに何度救われたか。
僕は初めて思った。

「この課長のために頑張ろう。表彰台にみんなで行こう。」

それまでの僕は、常にベクトルが自分であった。
組織賞に向かえば、自分が美味しい思いをするかもしれない。
そんな気持ちもどこかあったのかもしれない。
けど、このメンバーで勝ちたい。
初めて他者へベクトルが向いた瞬間かもしれない。
正直、旧2課メンバーを超える組織を今のdipからは想像つかない。
そのくらい熱中したし、一体感のあった組織だったと思う。
多分それもあって、この会社でどこか燃え尽きたと思う。
それくらい濃かった。

そこから、11月くらいまで僕達は好調だったが、12月に初めて組織で未達だったし、初月ぶりに僕も未達だった。
「なんかな〜」とかどこかしょうがないと思い込ませようとしている自分がいた。そして、久々に僕のほぼ愛人であるつっちーに会うことになった。

「俺、なんか見えたかもしれない。俺このままやってみるわ。」

新宿のビックロの前を歩きながら言われ、ものすごくかっこよくジェラシーを感じたのを覚えている。そうしてその後、つっちーは爆発的な予算達成の連続をすることになる。多分僕には、味わうことのない辛さをつっちーは味わってきた。そんなことが、一瞬で察することができるくらい重みのある一言だった。前の自分の感覚と似ている。派遣のバイト中に見た東京湾と。

「もがいてダメならわかるけど、もがいてもないのに諦めるのは違う。」

そうして爆発的な伸びを見せた僕は、2月新人賞・通期達成率126%とで1年目を終えた。結果、優秀組織賞は獲れたが、通期新人賞は獲れなかった。だが、それ以上に得るものが大きかった。

・同じ目標に向かえる仲間
・同じ志を持った同期
・熱中することの大切さ
・環境を言い訳にせず、自責の念で愚直に取り組むことで道は開ける

大きく筋肥大した僕は、さらに気合の入った2年目を迎えるが、なんか力の入らない日々が多かった。去年のような全力で取り組む姿勢ができない。
そんなことしなくても、達成してしまう。

「なんか、体の使い方覚えた?」

そうして一気にやる気がなくなった。力抜いていても、達成できてしまうこの状況に燃えないからだ。
また、僕とは対称的に結果が出なくなったのが、組織である。
それまでの常勝軍団が急に達成しなくなったのだ。
僕個人としては、一種の燃え尽き症候群だと考えている。

そこで僕は、爆発的に成果がで始めた時から行っていた「数値管理」を組織に落とし込むことにした。
行っていることは、至ってシンプル
予算に対して、自身の受注率を算出し、提案数、提案額…等々をシンプルに可視化することである。そうして、1日にどのくらい提案をすればいいのかを算出したのである。僕は、基本的にこの数字をノルマとしてやり切るまで退社しないことを自身に課したのである。基本的に数字は嘘をつかないを前提を基にあるので、僕個人としてはこれは真っ当な考え方であると思う。
しかしながら、意外とできないのだと組織に落とし込む中で学んだ。
また、よく陥りやすい落とし穴にも気づいた。

「手段と目的を履き違える」

「ノルマを終えるために、とりあえず提案しよう。」
「コール数足りないから、しよう」
これでは、正直数値管理が何も意味ない。
サッカーで例えるならただシュート練習を行っている状況に近い。

「この1本のシュートは、得点になるのか」
「このシュート練習は、意味があるのか」

僕はこの意識がまさに提案にもいえると考えている。

「この1提案は、数をこなすだけになっていないか」
「このリストへの提案は、正しいのか」

これが意外と難しい。だから、楽しいと僕は思う。
これを見ている中で、どこか心当たりある人には言いたい。

「その1本こだわっていますか?」

僕は、この1本にこだわれる人が圧倒的に多い組織で働きたいと多分本能的に思った。
組織に落とし込もうとしたが、やはり難しい。
けど、僕は思う。
痛みの伴わない成長はない。

そうやってもがいている時に、2通のスカウトメールが来た。
某有名SaaS企業2社からのスカウトメールだった。
僕は、嬉しかった。
自分のこれまでやってきたことが評価され、サッカーでいうヨーロッパのチームからのオファーのような感覚があったためである。
実は、1社は新卒の時に書類で落ちた企業であった。

「俺のやってきたこと、どのくらい評価されているのだろう?」

そんな気持ちで受け、1社は最終で落ちたが、もう1社とんとん拍子で選考が進み、内定を頂いた。

「これって前とおんなじような感じだな」

2年目にしては、良い条件でのオファーを頂いた。
何より、サッカーでいうシントトロイデンのような企業で営業ができることにワクワクした。

「よし、行こう。」
そんなわけで決意した、7月末。
もちろん達成していたので、心の余裕はあったが、組織が達成するか危うかったので、8月月初に課長に伝えることにした。

「課長、僕辞めます。強いところ行きたいです。」

ここから、約1ヶ月半の引き留めがスタート。
正直嬉しかった。
ここまで僕を必要としてくれている会社とメンバーに対して。
これまでの人生でもなかった気がする。

「モテるってこんな感じなのかな。」

そんなことを思いながら、勝手に気持ち良くなっている自分がいた。
残っても良いのかな。
そんなことを思い始めてから、もう1人の同志あっきーと再会した。

あっきーとは、内定者懇親会で出会い、そして同じオフィスになるというなんとも運命的な出会いをした同志である。そこからは、毎月のようにお酒なしで、サイゼリヤ、やよい軒等々でアツくるしいくらいに、自分達の目標について話し合った仲である。そんなあっきーを僕は尊敬している。
ちなみにあっきーは、外資系のベンチャーに転職をしている。

「何もわからなくてしんどいけど、楽しいよ。多分ここ乗り越えたら成長できる。」

正直ハッとした。
同期がここまで、熱中し、孤独に耐えながら頑張っていることに。
人は、人が味わっていないこと率先して行うことで成長実感できると思う。
そんなことをあっきーから感じとった。
なんか羨ましかったし、かっこよかった。
孤独に耐えながら、毎日熱中している姿に。

「俺もやろう。俺もそっち側に行きたい。ボコボコにされながら進んでいくのが俺。最後は勝つ。」

そうして僕も意志が固まり、退職を決意することができた。
この決断は正解かはわからない。
けど、捉え方、解釈の仕方は自分次第である。
なんでもそう。
僕の高校サッカーだってそう。
人によっては、失敗と思うかもしれない。
けど、僕は思う。

「最後試合に出れなかったから今の自分がいる。」

僕は幸せ者だ。
こんなにもシュートを外しても、たくさんの良い人たちに恵まれ、熱中できたから。感謝しかない。都内へ進学させていただいた両親。「未達はダサい」と教えていただいた上野さん。僕の憧れ、師匠であるみやじさん。インターン初めてくれたつっちー。内定者懇親会に出てくれたあっきー。dipに入社を決意してくれた花奈子。可能性を信じてくれた大課長あゆみさん。巡り巡って、僕はこれまでの意思決定を心の底から良かったと今日をもって断言します。
そして、最後にこれまでの僕を形成してくれたサッカーに伝えたい。

「僕に出会ってくれてありがとう。サッカー万歳!」









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