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一度でも成功してしまえばそれは絶対的な自信になる

一度習慣化できてたことをやめて、もう一度取り組もうとしたとき、最初にはじめたとき並み、もしくはそれ以上のエネルギーが必要になるということに気づく。


習慣にするまでに必要な時間は21日間といわれている。21日間継続できれば、それはほぼ自動的に習慣化されていくというものだ。


その習慣を数日間やめてしまっただけで、また再開しようとしたときのエネルギーたるや。


習慣化できていたウォーキングだが、先週から体調不良だったり悪天候だったりで歩かない日がつづいてる。


今日も歩けそうにないし週末までこの悪天候がつづく予報だ。


もし、今日チャンスがあれば歩いてみようか?と考えてみた。もちろん今日は歩けないのだが、考えただけで歩こうという気力がないことに気づく。


こ、これは、習慣化する前の状態に戻ってい……る?


そうなのだ。ウォーキングを習慣化する前の思考になっているのだ。



こんなにつづけて習慣化できたと思っていても、いともカンタンに元に戻ってしまう。



は〜、歩くって考えただけでしんどいな~とか、着替えるのもめんどくさいな~とか、歩いて帰ってきてからやることいっぱいだしな~なんて。


でも習慣化する前とちがう点は、やってしまえばまたつづけられるってこと。一度でも成功してしまえばそれは絶対的な自信になる。



それは成功の大きさに関係なく、だ。



自信ってじぶんを信じる力でしょ?一度できたんだから、またできるって信じられる。



あとは、じぶんを動かすための方法を知っているか知らないかの差だ。


そう、わたしは知っているのだ。


どんな思考がわいてじぶんのことを邪魔しようとするのか、外に出るまでにじぶんを止めようとするさも正当で耳障りのいい、いい訳の数々を知っているのだ。


できない理由をたくさん探して並べ立てるのが得意。自慢じゃないが、いままでチャレンジしてきたことは一つではない。


いろんなことに挑戦してきたはずなのに、なに一つつづいてないのは、この「できない理由」をじぶんにとって耳障りのいい正当な理由に変換し、罪悪感なくやめてしまうのが得意中の得意だったからだ。エッヘン


それを知っていてもなお、はじめようとするときのエネルギーは相当なものであるにちがいない。


それを考えるとnoteの習慣化もそうだ。


きっとわたしの場合、2~3日ぐらいの休みであればまたラクに習慣化のリズムに乗ることができるだろう。


それ以上になると、またできない理由をたくさん探しはじめるにちがいない。



やれ休んだぶん、それなりの質の高い記事にしないとダメだとか、やっぱり人の目が気になって恐いだとか、読む人の貴重な時間をさくのだから、ちょっとでも役に立てるような話をしなきゃダメだとかね。


それをあげればきりがない。だから、いま、なんとしてもnoteを書きつづけるってことがわたしにとってはまだラクであり楽しいのだ。



それに未来のわたしは書くことを楽しみ、それが仕事になっている人生を選んでいる気もする。



どういうじぶんで在りたいかで、いまを選択するのもありだ。


こんなにといってもまだペーペーな日数しか書けていなのになんなんだが、それでも書くことによってじぶんの挫折ポイントってのがよくわかってきた。これだけでもつづけてきた甲斐があるってもの。


いつになったらだれかの役に立つ質の高い記事が書けるようになるかはサッパリわからないが、それでもわたしが書きたいと思いつづけるかぎり、じぶんの頭の中を整理する意味でも、じぶんがどんな人間なのか知っていく意味でも書いていこうと思う。



Revenge Day80クリア

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