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偏差値30台の僕が英語を始め、海外MBAまで取得したストーリー①

高校までは野球に没頭
私は小学生から高校生まで長崎の田舎で育ちました。子供の頃はスポーツが大好きで剣道、水泳、野球等いろいろやりました(やらせられました)。でも子供の頃から飽き性で、野球以外は3日坊主で終了!逆に野球は高校卒業まで続けました。中学時代はヤンチャな道にも進みましたが、結局は野球への興味が勝り野球に戻ってきました。昔から何かに没頭すると戦車のように進む性格で、野球も例外ではなく、理不尽な指導、尋常ではない練習時間及び練習量に耐え、高校3年次には第79回全国高校野球選手権大会に出場。下手くそだったんですが、ベンチに入れてもらいました。結果は愛知県の豊田大谷高校に延長戦で敗北。当時注目だった愛知のスラッガー古木君(元横浜ベイスターズ)に2本ホームランを打たれました。僕はこの時、何か結果を出すには、尋常ではないほどの努力が必要だと感じました。

大学生活
高校までは全く勉強せず、全国模試の偏差値も30台でした。甲子園から帰ってきてすぐに受験勉強を始めましたが、そもそも基礎能力がないので、なかなか偏差値が上がらない。あまりにも勉強が不得意で就職も考えました。しかし、親から「大学には進学したほうが良い」という言葉を受け、指定校推薦で名古屋の大学に進学しました。今思えば、私の両親は高卒で大卒の同僚との給与や出世の差に非常にギャップを感じていたからこそのメッセージだと感じました。
大学では飲食業で4年間アルバイトをしながら、必死に英語を勉強しました。当時、多くの外資系企業が日本企業を買収していた時代で、英語ができない人材=使えない人材になると、僕は考えていました。使った教材は24時間ヒアリングマラソンを毎日1時間、そして外国語学部だったので、外国籍の教授の研究室に毎週1回行ってコミュニケーションをとっていました。日中は講義、夜はバイト、バイト後は英語といったルーティーンを3年間ほど続けました。そうすると、1年の時には300点台だったTOEICが700点近くになっていました。そうなると自分の力を海外で試したくなり、思い切って夏の間の短期留学に行きました。英国の語学学校に通ったんですが、やはり生きた英語は違う。ホームステイ先の家族にもよくしてもらったんですが、ずっとヒッキーになっていました笑。その経験もあり、帰国後はもっと勉強しました。大学卒業後、地元長崎に帰って警察官になる予定でしたが、親を説得して、海外の大学院へ行くことを決めました。

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