1年間の記録。苦しい決断、、そして新たな蕾へ
障害の生き方⑥
僕は去年の8月に保育園に保育補助として入職しました。
そこの園は都内で、入園料が高くて、お子さんもそうですが、お母さまは美人な方で、お父さまはかっこいい方が多く、きっと中には芸能人さんとお子さんもいるんでしょう。それくらい綺麗でセレブな園です。
何回もお伝えしていると思いますが、僕は軽い知的障害を持っていて、てんかんの薬を飲んでいます。最後に発作が起きたのは高校生だったので、あれ以来は起きていません。
なので、そのせいで理解力が低くて数字が苦手だったり、文章がおかしかったり、うまく説明できなかったりなど、健常者にとっては普通にできることができなかったり苦戦することが多い人間です。
僕は、そこの保育園で保育補助のパートとして健常者の方たちと働いてます。
意外に皆さん保育補助の意味がわからない方が多いので教えます。
保育補助とは「保育士の業務のサポートする」ことをいいます。
副担任みたいな感じ?って聞かれますが、まあそんな感じです。笑
僕は、その保育補助を仕事して、今年で1年が経ちました。入ったのは1年前なのに長く感じる時もあれば、早いと感じる時もあります。
入職した初日は緊張しました。まず保育業界ですら仕事をしたことがなかったので1ミリもわからないことだらけでした。経験者だったら少しは知識があって、すぐ慣れると思いますが、僕は未経験だったので不安や緊張がとても大きかったです。
正直今でも緊張してるんですけど、当時よりはマシになり、知識も増え、慣れました。
そして、初めの頃は少し風邪が引きました。
熱はなかったですが、咳が出て喉が痛かったです。でも、それが普通みたいです。保育園や幼稚園で働くと誰しも初めは体調を崩す人が多いそうです。ベテランでも今勤めてる園が平気でも、他の園に移ると風邪は引くそうです。
ちなみに園児もそうみたいです。
園内は、子供たちがいるので、いろんな菌やウイルスがあるので、もらってくるのでしょう。環境の影響で体調を崩しやすいそうです。
これは「保育園の洗礼」とも言われてます。
僕は、熱が出るほど辛いわけではなかったので大丈夫でしたが、熱で休む方もいました。
僕はそれを乗り越えて、普段通りに4ヶ月間
保育の補助をしました。
しかし、その4ヶ月後、冬が始まった頃に子供にノロウイルスが流行りました。そして、次々に色んな子が嘔吐をしました。言い方が変かもしれませんが、僕はグロいのは大丈夫なので、見るのは平気な人間でした。まあそうしないと仕事になりませんので当然かもしれません。
僕は嘔吐処理はマニュアルぐらいしか見たことがなく、実技では教えてくれませんでした。
なので、嘔吐処理ができないので担当の保育士さんを呼ぼうとしたが、少し緊急事態になりました。担当の保育士さんが1人しかいなかったんです。もちろん、園内は大きいので先生はたくさんいますが、お部屋にいたのが1人だけでした。僕が勤めてる園はそれぞれのクラスがあります。それぞれ保育士2、3人がいつもいるのですが、園児が吐いた時に珍しく担当の先生が1人しかいなくて、それ以外の先生がいなかったんです。きっと他の園児のお迎え対応でいなかったと思いますが。
どこの園でも、きっとそうかもしれませんが、ここの園では部屋に必ず保育士が1人はいないといけないことになってます。保育補助の人だけとか園児だけしかいないというのは絶対にダメです。当たり前ですが、子供が万が一何か起こったら重大になるので、必ず保育士1人はいるようにするという決まりがあります。
(当時は正直わからなかったです、、、)
なので本題に戻りますが、嘔吐しちゃった子がいた時は保育士1人しかいなくて離れられない状況でした。もどした子供も苦しそうに泣いていて、とても可哀想と思いました。見てるだけで苦しみが伝わってきました。そして10分後くらいに、ようやく他の先生がお部屋に戻ってきました。そして対応してもらいました。その子はその日早退しました。そして、その後も他の子がもどしちゃって僕はやっていませんが、他の保育補助の人や保育士が嘔吐処理をしていて大変そうでした。
でも3日後ぐらいになると、早退した園児が元気よく園に来ました。
それはよかったのですが、、、
ある日、去年の12月の上旬くらいに僕は仕事から帰って、いつものように親が夕食を作ってくれたのですが、その日は珍しく食欲がなかったんです。腹痛ならよく起こることで、下痢もよくあることなので、「これはまた長い腹痛のパターンかな」と思って、仕方なくご飯を食べたら、突然苦しくなったのです。その時の感じは正直忘れました。でも、体の中に水がどんどん溜まってくるかのように苦しかったんです。「これってまさか」と思った瞬間、小学5年生以来14年ぶりに家でもどしました。
すごく久しぶりだったので、こんなに苦しいんだなと思いました。1回もどすとスッキリしましたが、それだけではなく、ここから地獄を味わいました。1時間後、1時間後と1時間ごとにもどしたんです。その日は夜から次の朝までだったので、眠れずにとても苦しかったです。
その時は金曜日の夜だったので、土日は休みだから月曜日行けるだろうと思ってはいたんですが、やっぱりまだ体調が悪かったので初めて仕事を休みました。でも、月曜日は元気で来たとしても他の人に移す可能性もあるから、どっちにしろお休みをとる予定でした。
本当は内定が決まった時に
「1日も休まずに最低5年間は勤めよう」という目標があったのですが、その目標は叶わなくなってしまい、ショックと罪悪感を覚えました。でも、すぐに「次から休まなければいい」という気持ちで前向きになれました。
そして、12月最後の仕事の日にいつも通り仕事をして、業務が終わった後、みんなで忘年会をやりました。まだ4ヶ月しか経っていなかったので、まだこの時も緊張していました。
もちろん、忘年会も緊張しました。まあ僕は聞いてるなり見てるだけで、あとは好きなご飯を食べたり飲み物を飲んでたので、まあ楽しかったのですが、忘年会が終わった帰りの日に、また体調が悪くなりました。
でも、これはきっと緊張しすぎたせいだと思いました。帰る時に喉がかなり痛くて、唾を飲み込むのが苦しいくらい辛かったんです。
そして、次の日に病院に行って薬をもらったのですが、全然治らなくて12月30日に熱を出しました。そして、今度は頭痛がきました。かなり痛くて救急車に呼ぶレベルで、親に「救急車呼んでほしい」と頼みました。でも、年末でもあったせいか繋がらなかったみたいでした。
なので、仕方なく大晦日の夜に夜間の病院に行きました。年末でやってる病院が少ないのか、人が多かったです。それで僕は診察をして「副鼻腔炎」と言われました。
ハンマーやバットで頭を叩かれてるような痛みだったので、とても痛くて最悪な大晦日でした。
そして、新しい年を迎えて今年の1月2日に僕は家の階段でめまいで転倒しました。痛かったは痛かったのですが、そこまで怪我はしませんでした。だが、右手の人差し指が痛かったのです。この時は、まだ突き指かなと思っていました。そして1月3日、やっと救急相談センターに繋がったみたいなので救急車を呼んでもらっで人生初の救急車に乗りました。
といってもこの時は頭痛薬が効いてるおかげで、少し治っていたのです。よかったはよかったのですが、正直腹立ちました。
「もっと早く来てほしかった」と思ったからです。
でも、完全に治ったわけでもないので、そのまま僕は救急車に乗って病院へ行きました。
色々検査した結果、そこの病院も「副鼻腔炎」と言われ薬をもらいました。
そして次の日の1月4日、僕はまた家の階段で転倒しました。この時はめまいではありません。ストレスも溜まっていて、落ち込みもあったのでしょう。死神に取り憑かれたかのように、自ら死のうとしたのです。もちろん意識は大丈夫でしたが、首が痛かったです。
そして1月5日、整形外科に行きました。
1月2日にめまいで階段から落ちて指が痛くなったのと1月4日の自殺未遂で階段から落ちて首が痛かったところを見てもらいました。
結果は指も首も骨折でした。全治3ヶ月でした。僕は骨折という言葉を聞いて、中学生以来全然泣いてない僕が久しぶりに涙が出ました。
メンタル的にもやられていたので僕は「入院したい」と強く強く思いました。そして、前から通院してる精神科に行って先生に「入院したい」と伝えました。
一応「入院できるところ探して、見つかったら伝えます。」みたいなことは言ってくれたのですが、連絡は1本も来ませんでした。
どうして入院したかというと家にいたくなかったからです。入院せずに、このまま家で過ごすのが、嫌で嫌で仕方ないくらい辛かったからです。当時は、もう辛くて辛くて消えたいしか思ってませんでした。もちろん職場には「骨折で3ヶ月休養をとります。」ということを伝えて、3ヶ月苦しみながら家で過ごしていました。
僕は障害者なので、健常者を毎日嫉妬したり自分と比較をしたりしてました。その件に関しては今もそうなんですけどね。
でも、この時はあまりにも頭痛が激しくて骨折もしたので、きっとこう思ったのでしょう。
「なんで僕がてんかんになるなり、障害者になるなり、体調を崩したおまけに骨折したりするんだよ。不公平すぎて腹立つ。神も人間も嫌い」と。。。
まあ、それから骨折してから2ヶ月後くらいからはうつ状態の薬などを飲んで落ち着くようになりました。職場に戻りたいという気持ちもあったが、戻るのが不安という気持ちもありました。でも、この時は怪我をして休職をしてるからといって辞めたいという気持ちはありませんでした。なので頑張って復職しようと思って、ようやく、4月に3ヶ月ぶりに職場に戻りました。もちろん怖かったですが、職場の先生方が優しく「おかえりなさい」と言ってくださって驚きと安心をしました。
普段挨拶してくれない人からも「おかえり」と言われたのは本当にびっくりしました。笑
3ヶ月ぶりに僕は復帰をし、仕事をした。3ヶ月いなかったので、仕事内容とかやり方とか忘れてるかな?と思っていましたが、そんなことはなく、仕事は普通に覚えていました。
それから何事もなく平和で仕事をしましたのさ。めでたしめでたし。。。
と言いたいところなのだがー!!
7月7日七夕の日にプライベートで詐欺の被害に遭いました。
でも、これに関しては「気持ち」というタイトルで伝えているので、興味あったら、ぜひご一読ください。
そして、僕はそれ以来、その原因で自分の体と病気と園児の安全面も考えると辞めざるを得ない状況へとなりました。
保育園や幼稚園や学校もそうですが、子供関係の業界は子供を預かっているところです。
要は子供の命を預かっているところです。
お子さんを守る義務があります。
僕は元々はてんかん持ちです。もちろん、高校生以来、発作は起きていませんが、ストレスを溜めすぎると、また発作が起こるといっても過言ではありません。 倒れてもおかしくはありません。
本当は辞めたくない気持ちもありますが、
僕は詐欺という被害に遭いました。
なので、今度は「精神の骨折」というわけです。なので、また怪我をしてしまいました。
先ほどもお伝えしましたが、本当は「1日も休まずに最低5年間は勤めよう」という目標がありました。しかし、両方とも叶えられませんでした。
要するに目標を目指していたアスリートさんが怪我をしてしまい、引退せざるを得ない状況と一緒です。「電撃引退」とか聞きますよね。
僕もその状況なんです。
これは施設長や上の方と話し合って僕が僕自身で決めたことです。
辞めたら、きっと必ず後悔はするでしょう。
でも、子供の安全面と自分の体を考えると、
いないほうが、園のためにはなりますし、
園にいるみなさんも安心だと思います。
最後
保育園や幼稚園など、こども業界で働きたい方や働く予定の方、保育士、幼稚園教諭など、
先生を目指している方、きっとたくさんいると思います。
その中で体が弱い方、トイレやゴミ箱の臭いが無理な方、嘔吐とかグロいものを見るのがきつい方、覚悟したほうがいいです。
でも、きっと、そのうち慣れます。
誰にも失敗することは当然ですし、苦手なものは苦手で仕方のないことです。
もし、気分がなりそうになったり、体調が悪くなったら上司や偉い方などと話して、早退するなり休むなりしてください。
自分の体と子供を守ることが何より大切です。
僕も新たな蕾からやり直して
新しい花が咲くように頑張りますから
お互いに頑張りましょう。
応援してます。💐🦋
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