Yuki Tamura

東京03の4人目になりたいが、烏滸がましくてとてもできない。

Yuki Tamura

東京03の4人目になりたいが、烏滸がましくてとてもできない。

最近の記事

  • 固定された記事

言葉は少ないほうがいい

「思うことは何でも話して、信頼を築いていこうね!」 喫茶店で近くに座っていたカップルははちきれんばかりの笑顔を浮かべていた。 どちらも感じの良さそうな顔つきで、きっと最近付き合い始めたのだろう。 見たところ同じ大学に通う1~2年生で、英語の必修授業かなんかで知り合っていわゆる意気投合でもしたのだと私の馴れ初め予報は呟く。 そんな夢見る若者たちを横目に私はいつものように''夢見る''モーニングのトーストを口に運ぶわけだが、どうも最初に聞こえてきた会話が喉に引っかかってしまう

    • 私は今日、歯医者に行く

      私は今日、すこぶる気分が晴れない。 雨が降っているからではない。 もちろん雨も嫌いだが、それを遥かに上回る程の強敵、私の気分をいとも簡単に揺さぶることのできる確固たる存在、そう歯医者である。 私は今日、歯医者に行かなければならない。 もちろん月々の光熱費を支払うことと同じように、半ば強制的に歯医者には通っているのだが、何を隠そう、私は歯医者が嫌いなのだよ。 (同じくらいに耳鼻科も嫌いなのだがね。) 歯医者というワードを文章の中に含めているだけでも口の奥の方がチクリと痛む程

      • 私の水滴は石を穿てるほど強固ではなさそうだ~駆け込み三番街~

        継続は力なり。 塵も積もれば山となる。 どんな小さなことでも根気よく続けていれば大きな成果が得られる、といった慣用句はいくつもあるが、そんな中で私が最もイメージしやすいものとして、『水滴石を穿つ』という言葉である。 軒先からぽたぽた落ちる雨のしずくのような小さなしずくでも、長い間ずっと同じところに落ち続けると、硬い石に穴をあけてしまうことがある、という昔ながらのたとえが語源となっている、まあ簡単に言えば継続は力になるということだ。 こんなことを書いているからには、私自身の

        • Be curious, not judgmental.

          我々日本人の性格的な特徴として、好奇心、探求心が比較的乏しいということが言えると考える。 セミナーや講義、大学の授業における質疑応答の場で挙手で溢れかえる場面を目にした人はかなり少ないだろう。 講義内容に関する質問は、せいぜい片手で数えられる程度で終わり、中には鼻から質疑が寄せられないと判断し、質疑応答の時間を設けない指導者もいるほどだ。 私も漏れることなく純日本人的な思考の持ち主であり、好奇心が旺盛な人間とは到底言えないだろう。 講義の場面を考えてみよう。 会場はオンライ

        • 固定された記事

        言葉は少ないほうがいい

          ねじまき鳥クロニクルから学ぶスペキュラティヴ・デザイン

          この後、何かが始まる。 それもきっと普通ではない、何か不吉な予感を含んだある種非現実的な出来事だ。 そう読者に語り掛けるような書き出しで始まる、村上春樹による『ねじまき鳥クロニクル』だが、ストーリーの運び方といい、展開の角度といい、私としてはどこを切り取っても実に素晴らしく、魅力的な作品と言いたい。 主人公の岡田トオルは、妻であったクミコを取り戻すために様々な出来事を乗り越えながら物語を進めていくが、特に、タイトルにもある通り、様々な出来事をあくまで村上春樹としてクロニック

          ねじまき鳥クロニクルから学ぶスペキュラティヴ・デザイン

          グループワークから学ぶ多角的視点と普遍性の遷移

          人間とは、往々にして普遍的な生き物である。 原人だとかアウストラロピテクスだとか進化の過程の話ではなく、現代に生きている我々個人に関する話だ。 特に苦手と感じるものに対しての感情はそう簡単に変わることはない。 人間関係や住む場所、交通手段を取っても、人それぞれに苦手な側面があることだろう。 私は、「グループワーク」が心底苦手である。 嫌いと言っても過言ではないほど、今からグループワークを始めるという時には、胃の中にどっしりとした重りのようなものを入れられたような気分になる。

          グループワークから学ぶ多角的視点と普遍性の遷移

          日曜日の昼下がりには拙いユーモアを

          日曜日の商店街を歩いていると、色々な会話が聞こえてくる。 日曜日という事実だけでさえ重荷を背負っているような感覚に陥るのだが、今年の夏は日差しが強いだの、どこかの服屋がまだ閉店セールをやってるだの、そういった類がほとんどだった。 稀にあそこのパン屋のクロワッサンは本物だという耳よりな会話を聞くことがあるが、そんな素敵な会話は3ヵ月に一度程度であって、そもそも何をもって本物なのかをまず説明してほしいところだ。 そんなドーナツのように穴が開いたような会話を聞いていると、私は何か

          日曜日の昼下がりには拙いユーモアを

          主人公Aと僕が送る内省的異文化交流

          私はよく本を読む。 物としては、村上春樹だとか、薬丸岳だとか、読書を嗜んできた人なら誰しもが一度は手に取ったことがあるようなものがほとんどだ。 友人との待ち合わせ前、日曜日の昼下がり、仕事が終わり帰宅する道中の電車内など、手の届くところに本があれば無意識に読み始めてしまう。 そんな無意識下で行われている「読書」という行為と「私」の関係を端的に書ければと思う。 本を読むことが私に与える最大の影響として、私自身が作品の中の人物に過度に影響を受けるということだった。 人物そのもの

          主人公Aと僕が送る内省的異文化交流

          シュークリームの花

          金曜日の昼下がり、私は喫茶店の中にいる。 アイスコーヒーの氷は溶け、ガラスのコースターには小さな水溜りができている。 『カラマーゾフの兄弟(上)』の詩織を外してから30分が経過しているが、見事なまでにページが進んでいない。 今日は本を読む気分ではなさそうだ。 店内に流れるクラシック音楽。 それは静けさという名の空白を均等に、そしてあくまで自然に埋めていく。 この曲の作曲者が今世界のどこで過ごしているかは検討もつかないが、まさか自分が作った曲が東京にある小さな喫茶店で流されて

          シュークリームの花

          これは見事なダブルトゥーループだ!

          私は先週、入社してから今までで一番忙しい一週間を過ごした。 原因の詳細は省くが、保有しているシステムでいろいろと起こったのだ。 「システムでいろいろと起こる」 そういった会社に勤めている人からすると、耳をお鍋の蓋で塞ぎたくなるような言葉だろう。 文字通り色々と起こってしまい、私はまだ空いている電車に乗って出社し、平日の真ん中にも関わらず酒気を身に纏った人と同じ電車に乗って帰宅するような日々を過ごすこととなった。 幸い私の家は会社から1時間圏内だったため、比較的遅い時間まで働

          これは見事なダブルトゥーループだ!

          書いている小説の一部を頭出しする

           僕は空を飛んでいた。風の流れに身を任せながら体よりも一回り大きな羽を広げ、最小限の体力を消費しながらこの空を飛んでいた。風は弱かったが、一種のカラスとしては空を飛ぶには十分な風だった。  僕がいる遥か上空には、大きな飛行機が飛んでいた。飛行機の羽は我々のもののように器用に羽ばたいたり風を切ったりすることはできないが、予想外の悪天候を抜きにすれば、我々よりが想像するよりも速く、そして正確に空を飛んでいた。そういう意味では我々よりも器用なのかもしれない。  僕の羽毛は青かっ

          書いている小説の一部を頭出しする

          人間の形成要因〜誘導灯の回しがいつもより2.8倍速いな〜

          誰もが朝目覚めた時に自分とは違う誰かになっていまいか、と思って生きてるわけではない。 この場合私は例外である。 雨の日も、風の日も、もし自分が違う誰かとして生きていたらと、1日を36時間にするように叶わぬ希望を抱いていることに気づくことが多々ある。 しかし本当に自分ではない何者かになることを望んで生きていることが正しいのだろうか。 言うまでもないが、誰かに憧れることは間違っていることではないと私は思う。 明確な目標を抱くことは、ゴールテープを切るまでの道のりを形作っていく

          人間の形成要因〜誘導灯の回しがいつもより2.8倍速いな〜

          別れ際から学ぶ対人コミュニケーション

          別れ際「ああ、もっと気持ちの良い別れ文句があったのではないか」 私は友人と別れた後の電車のホームでそんなことを考える。 一人でいる時にそんなことを考えることは容易だ。 脳内で別れ際のシチュエーションを再生し、好き勝手に編集を加え、私が思い描くセリフをテキストで埋め込み、演者である我々に話させるだけでいい。 ただリアルな場面では私の場合、全くもって異なるものとなる。 大学の入学試験で、英単語の和訳が思うように浮かび上がってこないように、私は別れ際、なぜか思うように、気持ちよ

          別れ際から学ぶ対人コミュニケーション