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ねじまき鳥クロニクルから学ぶスペキュラティヴ・デザイン

台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。

ねじまき鳥クロニクル1巻

この後、何かが始まる。
それもきっと普通ではない、何か不吉な予感を含んだある種非現実的な出来事だ。

そう読者に語り掛けるような書き出しで始まる、村上春樹による『ねじまき鳥クロニクル』だが、ストーリーの運び方といい、展開の角度といい、私としてはどこを切り取っても実に素晴らしく、魅力的な作品と言いたい。
主人公の岡田トオルは、妻であったクミコを取り戻すために様々な出来事を乗り越えながら物語を進めていくが、特に、タイトルにもある通り、様々な出来事をあくまで村上春樹としてクロニックに表現しながら、現実の世界とクミコが存在するとされる世界とをパラレルに、かといって非現実には思えないようなテイストで物事が進む点については、読者を強く惹きつける魅力が感じ取れる。

岡田トオルは井戸の底でバットを握りながら、現実とは異なる世界に潜り込む。
潜り込んだ先は、現実世界とは異なる別の世界だ。
夢の一部のような場所と表現すると分かりやすいかもしれないが、現実であると感じることができないような、そんな空間に岡田トオルは潜り込む。
しかし、前述した通り、そこは決して現実世界ではない、そこで起こることは決して現実世界では起こりうることはない、と、そう断言することが必ずしもできないという点に、私は個人的に強く惹かれている。
非現実の世界では、正体の分からない女や顔のない男、口笛吹ボーイ、ドアを強くノックする得体の知れない男など、様々な人物が登場し、それと同時に様々な出来事が岡田トオルの身に起こるが、一見非現実的であるにも関わらず、改めて見返すと実に生々しく、それらが自分の身に起こってもおかしくないと考えさせられる。

題名にもある「クロニクル」とは何を意味しているのか、そう考えながら読むと、より奥行きを深く物語を楽しむことができるだろう。

さて、本題だが、私はこの非現実でのシーンを読むたびに(非現実でのシーンは何度も描写されるわけだが)、「スペキュラティヴ・デザイン(Speculative Design)」という考え方を思い出すようになっていた。
スペキュラティヴ・デザインの意味としては下記の通りである。

「問い」を生み出し、いま私たちが生きている世界に別の可能性を示すデザインのことである

スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。
—未来を思索するためにデザインができること
アンソニー・ダン

かなり漠然とした定義だが、造語のため仕方がない。
もともとデザインとは、ポスターや雑誌のグラフィックデザインから、建築などの空間デザインを表現するための考え方だったが、近年テクノロジーの急速な進歩や地球環境の変化に対応するために、これまで当たり前だった価値観から変えていく必要性が高まっている。
これからのデザインとは、現在ある問題を解決するための手段としての手段ではなく、これから起こり得る未来を考え、あるべき形を見出すための手段として、スペキュラティヴ・デザインが生まれた。

このスペキュラティヴ・デザインとは、美術的なモノやアートなど形ある物から、ビジネスで活用されるサービスの根源となる形なき物まで多岐に渡って表現されるが、ここで私が取り上げたいものは後者である。
前述の通り、スペキュラティヴ・デザインの根幹的な用途とは、今ある状況を理解し、これからの未来に向かって思索的なアイデアを創出していくことにある。
そこではバックキャスティングなどの未来を想像するステップも少なからず存在するわけだが、VUCAとも謳われる今日に、果たして誰が未来を正確に予測することができるだろうか。

初代iPhoneが発売された2007年から15年が経った今、私たちを取り巻く環境は良くも悪くも劇的と言えるほどに変わっている。
また、今日までの15年と今日からの15年では、テクノロジーの発展速度を加味すると、同程度の変化では収まらないことは見て取れるだろう。

このようなことを考慮すると、スペキュラティヴ・デザインについて考える時、その内容は必ずしも現実的なものだけでは構成されないということだ。
仮にデザインが現実的な要素のみで構成されているとするならば、私たちからすると、一瞬で現実の世界に当てはめることができるだろう。
しかし、容易に現実の世界にフィットさせることができるアイデアは、果たしてこれからの未来に向かっていくためのアイデアとして確立するだろうか。

ねじまき鳥クロニクルで度々描写される別の世界でのシーンは、現実的な(私たちの身にも起こりうると想像することができる)要素を含みつつも、非現実的な(現実的に起こっている場面を想像することは難しくとも飛躍し過ぎていない)要素をも絶妙な塩梅で含めており、スペキュラティヴな視点から描かれたシーンと言える。

私自身のデザインの分野における知識がまだまだ浅はかなため、同分野を専門としている人からすると違和感がある内容になっているかもしれないが、現状学んでいる身としては、適度なアウトプットになったと感じている。

先日、ねじまき鳥クロニクルの実写化舞台を観に行った。
2人の俳優が、それぞれ主人公の岡田トオルを別々に演じているのだが、現実の世界と非現実の世界とで今日に振り分けをしていたのかもしれない。
(目が悪く、舞台上でのキャストの顔まで正確に判断することができなかったが。)
原作の内容と相違していた部分はあったものの、舞台なりの良さと音楽と演出で、物語の内容だけでなく、目と耳でも、ねじまき鳥クロニクルを楽しむことができた。
視聴覚がメインとなる舞台を通して、違った角度から物語を眺め、より奥行きを味わうことができるだろう。

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