【短編】運がいい
僕は本当に運が良いらしい。
昨日たまたま開いた動画で、自分が生まれてくる確率が多大なる分母のうちの一であると言っていた。
ああ、なんて僕は運がいいのだろうか。
「日本時間今日未明、〇〇と△△が戦闘状態に入ったと―」
夕暮れ時のニュースから流れてくるのは、少し遠い国の戦争の話だった。
「最近物騒ね」
「うん」
そう母に返事をしながら、網戸越しのセミの鳴き声を背に、出された唐揚げを頬張る。
サクサクの衣と、中から旨みしかない油が口の中に押し寄せた。
舌鼓を打ちながら、テレビに視線を向けると、そこに映し出されていたのは、人間が硬直したままぐでっと動かなくなった映像。そして、それを急ぎでこしらえたように掘られた穴に、放り込む映像。
ふと思った。この人たちは、この美味しさを知っていたのだろうか。
ああ、本当に僕は運がいい。
「お風呂沸いたわよ。入っちゃいなさい」
「あー、ちょっと今いいとこだから後で入るわ」
そう返して僕はまた、ゲーム画面へと向かった。
明日までにこのクリアしとこ。
昨日買った新作のRPG。本当に楽しい。
コントローラーを握って数分すると、耳元にぷ~んという不快な音が入ってきた。
僕が少し手で払うと、今度は腕にかすかに違和感があった。
バチンッと叩くと、黒と赤が混じって僕の腕に張り付いた。ティッシュでそれを拭き取って、僕は虫刺されの薬を塗りたくった。
「おかあさんっ。蚊取りせんこーあるっ?」
「なに? 蚊いたの? いやねぇ」
すぐして、僕の鼻を夏の匂いがかすめた。
自分がさっき潰した蚊をくるんだティッシュをゴミ箱に投げ捨てる。
そうして一つ思った。
理不尽になにかに殺されにくい、ヒトという生命体に生まれて良かったと。
ああ、僕は本当に運がいい。
外はもう暗くなり、僕の部屋の開いた小さな窓からは、月明かりが床を照らしていた。
僕は、軽い涼しさを通り越した寒気を感じ、窓を閉めた。そのままベッドに倒れ込むと、なんとはなしにスマホで映画を見る。
じーっと画面とにらめっこして、とうとうクライマックス近辺へ差し掛かった。
「っ。な、なんであなたが」
「なぜって? そんなの、お前らのことが嫌いだったからに決まってるじゃないか」
「…どうして」
「はっ、理由を言わなきゃわかんねぇかよ! まあいいさ、どうせどちらが死ぬんだ―」
結果、主人公が裏切った味方を殺して終わった。
時刻は午前一時を回って、世界はしんと静まり返っていた。
もう寝ようかと、スマホの画面を消して、目をつむる。
その時ふと思った。
さっきの映画の主人公のように、親に捨てられ、孤独の所を実験施設にぶち込まれ、そこでの唯一の苦をともにしてきた友を自らの手で殺すような人生ではなくて良かったと。
ほんと、僕は運がいい。
「行ってきます」
日曜の昼下がり、刺す様な日光に降られながら僕はコンビニへと一人向かった。コンクリートからも照り返しがひどく、何かゴムが焦げたような、異様な匂いが漂っている。
あー、マジで暑い。アイスも買って帰ろ。
計画を立てて、渡る横断歩道。
「危ないっ!!」
少し遠くから響いてくる声。
前方にいる人は、口と目を大きく開けている。
視界の右にはうっすらと、突進してくる赤い車が映る。
僕の口元に浮かんだのは、微笑みだった。
ようやく、この世の中で一番不幸せになれる。一番辛い人間になれる。一番自分が不幸だと言い張れる。もう自分が運が良いだなんて言い聞かせなくたっていい。自分に嘘つかなくていい。ようやく苦しくなくなる。ちょうど死にたかったんだ。
ああ、本当に、本当に本当にほんとにほんとに本当に、とてもとてもとてもとてもとてもとても、とっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっても!
僕は運がいい。
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