naho

東京→大阪 ◆夫、小学生の息子との3人家族 ◆国家資格 キャリアコンサルタント ◆人…

naho

東京→大阪 ◆夫、小学生の息子との3人家族 ◆国家資格 キャリアコンサルタント ◆人材業界16年、人材育成 ◆ちょっぴり早めにやってきた親の介護と、仕事と子育てとの両立のこと ◆instgramでは、暮らしのことを

最近の記事

3.11のこと

3.11から、13年。 毎年この日は僅かな金額でも寄付をするようにしています。 13年前のあの日、私は東京に住んで共働きをしており、ちょうど営業先に出かけていました。 営業途中で、少し時間ができたので、 なぜ、本屋さんに入ったのかもうあまり覚えていないのですが、 とある駅の1階に入っている本屋さんに入って数分後。 急にがたがたと揺れを感じました。 徐々に大きくなる揺れ。 小さな駅中の本屋さんは、天井近くまで本が積みあがっています。 「すぐに外に出てください!!」 店員さん

    • 母の手術【家族のケア*親の介護#8】

      母が、肺がんステージⅠと診断されてからは、目まぐるしい日々でした。 母と一緒に母の病状や手術の流れを主治医の先生からお聞きしたり、麻酔科の先生との面談等が続きました。 この頃は母には自覚症状はなく、はたから見ている限りはいつもの元気な母でした。 心の中では相当な葛藤があったと思いますが、それでも娘の私の前では笑顔で振るまってくれていました。 「手術したら治るよね?出産以来の入院だわ~」なんて言いながら。 母の明るさと、1つ前の本を読んで気持ちの整理もできていたのか、当時の

      • 参考にした1冊の本【家族のケア*親の介護#7】

        母に病気が見つかり、仕事と子育ての両立に、両親のサポートが加わり一気に慌ただしくなりました。 父の認知機能が少しずつ弱り始めていたので、母の主治医の先生とのお話には私が同席することになりました。 母の病状を聞き、実家のやるべきことと、私の家族のやるべきことを整理し・・・頭ではわかっていましたが、どう進めようか不安に思っていたころに1冊の本に出合いました。 大西秀樹先生の「家族ががんになりました」という本です。 がんと診断されたからと言って、今日明日何かが起こるわけではな

        • 母の病気が発覚【家族のケア*親の介護#6】

          両親が近居になり、息子も認可保育園に転園でき、私自身の仕事は多少パタパタしつつも、充実していて、ずっと、平和な日々が続くように感じていた2017年。 息子が4歳になった年の秋に、母に病気が見つかりました。 父の病気や、引っ越しなどで1年スキップしてしまっていた人間ドックで肺に影が…と、どこかで聞いたことのあるような診断。 不思議なもので、肺に影があると聞いても、 『何かの間違いかもしれない』と思ってしまっていた当時の私。 精密検査が進む中、今までずっと元気だった母なので

        3.11のこと

          本格的な介護の前に、自身のキャリアを考えた【家族のケア*仕事との両立♯1】

          両親の近居が始まる半年ほど前に遡ります。 父の病気が発覚してから、両親の新居探しをしながら、改めて自分のキャリアや仕事について考えるようになりました。 父の事故、その後の病気発覚時に、私は契約社員で働いていました。 契約社員として勤務した6年目で産育休を取得し、7年目のタイミングで職場復帰をしています。 当時の私は、キャリアを積むというよりも、家庭との両立をいつも模索していました。 会社では上司や同僚にも恵まれていたので、契約社員で働く不安はあまりなかったものの、正社員との

          本格的な介護の前に、自身のキャリアを考えた【家族のケア*仕事との両立♯1】

          ワーママ3年目にして両親と近居スタート【家族のケア*子育て♯2】

          2016年の春。 実家の片付けも順調に進み、いよいよ両親の近居が始まりました。 息子は2歳半。 認証保育園から認可保育園に転園もでき、 両親の介護を見据えた近居とはいえ、まだまだ父の病状は軽く、 このころは母は大きな病気一つしたことないほど元気で、 息子や私のサポートに自分の仕事や習い事、友人との旅行といつも張り切っていたように思います。 私自身は、会社の制度で息子が3歳になると時短勤務が明けるため、 やっていけるかなあ・・・と戦々恐々としながらも、上司や同僚にも恵まれ忙

          ワーママ3年目にして両親と近居スタート【家族のケア*子育て♯2】

          実家の引っ越し。まずは片付けから【家族のケア*親の介護♯5】

          両親の近居が決まり、20年近く住んだ実家の片づけを始めました。 両親の新居は、もともとの家からひと回りコンパクトなマンション暮らしになるため、 荷物をぐっと減らす必要がありました。 両親たちも、まだ体力のある60代前半で自分たちの持ち物を見直すきっかけになり、これは今思うと、少し早めの両親の終活になり、ゆくゆく私を助けてくれました。 両親の荷物のほかにも、私や弟の小さい頃の作品や、文集、卒業アルバム、ぬいぐるみなど。。」 私も一度横浜の実家に帰り自分の荷物の整理をしたの

          実家の引っ越し。まずは片付けから【家族のケア*親の介護♯5】

          今年の一文字「整」

          新年、あけましておめでとうございます。 またこの度の能登地震の被害に遭われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。 今年のお正月はいつになく、家族でゆっくり過ごせていました。 元旦当日は、年末に頑張ったお節をゆっくり食べて、午後から初詣にでかけ… 平凡だけれどお正月らしくていいなぁ、と思っていた矢先の地震。 私たちが住む北大阪も震度4でしたが、 外にいたため揺れにも気づかず、 夫の会社の人からの連絡で地震を知ったような状況でした。 その後の日本航空機事故もあり、 どうしても気

          今年の一文字「整」

          介護と子育てが重なったとき、大切なのは夫婦のパートナーシップ【家族のケア*子育て♯1】

          前回までの記事のとおり、我が家は少しだけ早めの介護を意識した暮らしがスタートしました。 ちょうど息子が1歳を迎える頃、私も育休明け~育休明け直後のタイミングとも重なっていました。 介護はまだ本格的ではなかったものの、週末は両親の別荘の手続き、新居の物件探しや、実家から両親の新居へ動かすモノの整理など。。 慣れない仕事と子育ての合間の週末に、実家の用事が重なり、とにかく毎日必死で、当時の私はとても疲れていました。 今になってつくづく思うのが、このとき一人で頑張りすぎなくてよ

          介護と子育てが重なったとき、大切なのは夫婦のパートナーシップ【家族のケア*子育て♯1】

          両親が選んだ近居の住まいは?【家族のケア*親の介護♯4】

          父の難病が見つかり、将来的に両親と私たち家族が暮らしやすい毎日を送るために、徐々に話し合いを始めました。 横浜の自宅を売却して、私たちの住まいの近くへの住み替えの提案。 最初は、当然のことながら難航しました。 一番は、父の気持ちです。 後になって母が教えてくれましたが、近居を進めるにあたり「私(父)が病気になったから引っ越さなきゃいけないのか?」「私(父)のせいか?」と、母を責めたこともあったようです。 父の気持ちも、とてもよくわかりました。 年齢的に60歳を超えてい

          両親が選んだ近居の住まいは?【家族のケア*親の介護♯4】

          両親と私たちにとって大切なことを整理してみる【家族のケア*親の介護♯3】

          父にパーキンソン病が見つかり、早急に暮らしを変える必要はないけれど、 将来的に両親とどんなふうに関わっていくか、少しずつ話し合いを始めました。 その時に私が大切にしていたことは、以下、3つでした。 私の家族(夫、息子)との暮らしを大切にすること 私自身の仕事や時間を大切にすること 両親にとっての暮らしやすさを大切にすること ①私の家族(夫、息子)との暮らしを大切にすること両親はもちろん大事。けれども、自分の家族はもっと大事。 心のどこかで両親はいつか見送ることになる

          両親と私たちにとって大切なことを整理してみる【家族のケア*親の介護♯3】

          父が難病に・・階段のある実家での暮らしをどうする?【家族のケア*親の介護♯2】

          2014年5月 父の事故後、一時は介護という文字がよぎりながらも、 何度かの入退院の末、何とか父は自宅に戻ることができました。 私も不安に思いながらなんとか仕事復帰をし、 夫が朝の保育園送り→出勤→私がお迎え、というサイクルで初めてのワーキングマザー生活がスタート。 私自身は職場の人に恵まれていたので、平日のランチや、 職場の方々との交流で大変ながらも充実しているなあと感じる日々でした。 両親が建てていた八ヶ岳の別荘へは、 夫が母を車に乗せて八ヶ岳まで何度か連れていき、最

          父が難病に・・階段のある実家での暮らしをどうする?【家族のケア*親の介護♯2】

          介護という言葉が初めて過ぎった日【家族のケア*親の介護♯1】

          2014年3月 認可保育園が落ち、育休延長かなぁと思っていた矢先に、認証保育園が決まり、息子が生後8ヶ月で職場復帰をすることに不安を抱えていた頃です。 突然母から電話がありました。 母から前触れなく電話がかかることが少なかったので、ざらっとした嫌な予感がしたことを今も覚えています。 『お父さんが事故に遭って…命に別状はないんだけど、顔が何箇所も折れていて…自転車に撥ねられて、病院は平塚…』 要件だけ伝えた母はお見舞いに行きたいという私に、 『お仕事復帰前で大変だろうか

          介護という言葉が初めて過ぎった日【家族のケア*親の介護♯1】

          過去を振り返る前に*発信しようと思ったきっかけと、今のこと*

          *なぜ発信しようと思ったか それは、私自身が介護をスタートさせた当時、仕事、子育て、介護を両立するための情報が圧倒的に少なく、後になってもっと早く知れていたら、と思うことがいくつもあったからです。 仕事と子育ての両立の経験談や、一方で介護に絞った経験談などは目にする機会はあったのですが、仕事と子育てをしながら介護をしていた方の経験談は少なく、なかなか参考になる情報に辿り着くことができませんでした。 私の経験が誰かに届いたら…と思ってはいたものの、 それでもすぐには行動には移

          過去を振り返る前に*発信しようと思ったきっかけと、今のこと*

          はじめに*自己紹介*

          世間一般的には、ちょっぴり早いかな?と思う30代半ばで親の介護が始まりました。因みに、父が29歳、母が25歳の時に私が産まれたので、そういう意味でも早いなと感じることの多い介護のスタートでした。 当時、同世代の友人たちは仕事や子育てが中心で、どちらかというと「じじばば(自分たちの親)にとても助けてもらっている!」という人が多かったように思います。 私もはじめは、そうでした。 仕事と子育ての両立に悩みつつも、息子の明るさに助けられて日々何とかこなす日々… ところがある日

          はじめに*自己紹介*