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ワーママ3年目にして両親と近居スタート【家族のケア*子育て♯2】

2016年の春。
実家の片付けも順調に進み、いよいよ両親の近居が始まりました。

息子は2歳半。
認証保育園から認可保育園に転園もでき、
両親の介護を見据えた近居とはいえ、まだまだ父の病状は軽く、
このころは母は大きな病気一つしたことないほど元気で、
息子や私のサポートに自分の仕事や習い事、友人との旅行といつも張り切っていたように思います。

私自身は、会社の制度で息子が3歳になると時短勤務が明けるため、
やっていけるかなあ・・・と戦々恐々としながらも、上司や同僚にも恵まれ忙しい中でもなんとか、ワーキングマザーライフ3年目を過ごしていました。

当時私は営業職をしていたので、毎日違う場所・違う時間での勤務。
この時一番大事にしていたのは、
「夜ご飯は息子と一緒に食べる」こと。
出来る限り自分のハードルは上げずに、それ以外はほとんどいい加減な毎日でした。

当時のスケジュールはこんな感じでした。

6:00 夫、私、息子が起床
6:30 息子の朝ごはん、夫婦で手分けをして洗濯、洗い物は食洗器へ
7:00 夫が息子を保育園へ送り&私も少し後に出発
8:30 夫 出社
9:00~9:30 私 出社
16:30~17:30 私 退勤 
  ↑時短勤務とは思えない勤務時間。本当は16:00が定時!
18:00 私 保育園お迎え
18:45 私、息子 夕飯
19:30 私、息子 お風呂
20:30 息子就寝 私もほぼほぼ寝落ち

通勤が1時間以上かかるクライアントが主だったので、
通勤中はネット新聞、SNSやネットショップ、週1回のコープ(当時はパルシステムを利用)の注文などをして過ごしていました。
距離としては遠かったですが今思うと案外、気分転換になってもいました。

基本的には自分でスケジュールがコントロールできる仕事のスタイルでしたが、前もって18時のお迎えに間に合わないときは、母にお迎えを頼むこともありました。
母は喜んで夕飯のおかずも作ってきてくれて、さらに数日日持ちするようなおかずも冷蔵庫にセットしてくれていました。
私が作る料理とは違って、手の込んだ手作りミートボールや、日持ちのするひじきや煮豆など。。。。もう10歳になった息子に「ばあばのミートボール食べたい・・・」と今でも言われるほどです。きちんと習っておけばよかったなあ。

この頃の写真を振り返ってみると、
息子もかわいい盛りで、両親も私も一番幸せで充実した日々だったように思います。
この数年後に母が他界してしまうなんて・・この時はそんなことは露にも思わない毎日。
多分私がこの先年を重ねても、この数年間は宝物のような毎日で、楽しかったなあと、きっと懐かしく思い出すんだろうな、と。
そっと大切にしまっておきたいような、そんな日々を過ごしていました。



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