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父が難病に・・階段のある実家での暮らしをどうする?【家族のケア*親の介護♯2】

2014年5月
父の事故後、一時は介護という文字がよぎりながらも、
何度かの入退院の末、何とか父は自宅に戻ることができました。

私も不安に思いながらなんとか仕事復帰をし、
夫が朝の保育園送り→出勤→私がお迎え、というサイクルで初めてのワーキングマザー生活がスタート。
私自身は職場の人に恵まれていたので、平日のランチや、
職場の方々との交流で大変ながらも充実しているなあと感じる日々でした。

両親が建てていた八ヶ岳の別荘へは、
夫が母を車に乗せて八ヶ岳まで何度か連れていき、最終のチェックや引き渡し等も終えることができ、
父の容体が落ち着けばみんなで八ヶ岳にも行けるね、と少しずつ家族にも明るさが戻り、介護というほど大きな問題には至らなくてよかったなあ、なんて能天気なことを思っていました。

ところが、実はこのころから父の手足に小さな震えが出始めていました。
事故のドタバタで検査が遅れていたため、しっかりと診断がついたのはこの年の夏くらいだったように記憶しています。
父の病名はパーキンソン病でした。

当時の診断時にお医者様に言われたことは、5年で車いす、10年で寝たきり。
父はこの年64歳を迎える年だったので、まだまだこれから悠々自適の生活を送るはずが、また重たい気持ちになったことをよく覚えています。

ただ、パーキンソン病は今日明日すぐに急変する病気ではないこと、
本人の気持ちや努力で進行を遅らせることも可能ではあることなどを聞いて、少しずつ環境を整えていかないとと考えるようになりました。

この時に最大の悩みの種になったのが実家です。
階段を上らないと家に辿り着けない作り。
ただそれ以外は公園に隣接し見晴らしもよく、住んでいた町もとても雰囲気の良いところ。もちろん治安もよい。両親は八ヶ岳に別荘を持つけれど、自宅はこの横浜の家が終の棲家と思っていたので、どうしようかと思いながらも、ゆっくりとどうしていくかを考えなければ…。

またまた、介護そのものではありませんが実家問題が発生してしまったのでした。

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