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母の手術【家族のケア*親の介護#8】

母が、肺がんステージⅠと診断されてからは、目まぐるしい日々でした。
母と一緒に母の病状や手術の流れを主治医の先生からお聞きしたり、麻酔科の先生との面談等が続きました。

この頃は母には自覚症状はなく、はたから見ている限りはいつもの元気な母でした。
心の中では相当な葛藤があったと思いますが、それでも娘の私の前では笑顔で振るまってくれていました。
「手術したら治るよね?出産以来の入院だわ~」なんて言いながら。

母の明るさと、1つ前の本を読んで気持ちの整理もできていたのか、当時の私も、ステージⅠだからきっと治る!早く見つかってよかったね、と、明るく前向きで、仕事と病院のスケジュールをやりくりしながら、ちょっと大き目な山を登るようなアドレナリンが出ているような状態でした。

12月に入り、母の手術が決まりました。
ちょうどその前後だったと思います。
手術に向けた再度の検査で、肺の中に転移がありそうだ。
転移があればステージⅢという話を主治医から聞きました。
詳細は、手術で開けてみて確定する、と。

これまで毅然としていた母がこの時、初めて狼狽えた表情になり、
主治医の先生に「手術しなかったら、治療しなかったら、どうなりますか?」と聞いたのです。
「何もしないはないよ!!」と、いつも落ち着いた先生が少し声を大きく上げられ、私自身も事の重大さに、また癌という病気の怖さをようやく理解し始めました。

秋にステージⅠの診断がつき、12月にステージⅢ。
でももう、立ち止まっている時間はない。
まずは予定通りに手術を進めるしかない、という状況でした。

手術当日。
病院で待つのは私一人でも大丈夫でしたが、当時は父も認知機能が弱まっているとはいえ、まだまだ母のことや先生との話もできる状態だったので、
父と待ち合わせて病院へ。
父が時間を間違えるような症状が少しずつ出てはいましたが、
両親が近居且つ、実家が駅前のマンションという好立地だったため、
「マンションの下でね」という待ち合わせができました。
近居であること、実家が利便性の良い家に住んでいたことが、平常時はあまり強く感じなくとも、緊急時は本当に助かるものだと感じました。

病院について、母の病室へ。
手術前の母は、またいつもの母に戻っていて、
手術着を着て「似合う?笑」なんて冗談も言ってくれました。
母が明るく頑張る気持ちでいてくれるので大丈夫かな、と、私も不安な気持ちを抑えることができたように思います。

そして、いよいよ手術室へ。
笑顔でガッツポーズをして、何度も手を振って手術室の中に歩いていく母。
私もできる限り笑顔で、ガッツポーズをして頑張って!!と何度も何度も言いながら、見送りました。
母の病気が見つかってから、できる限り人前で泣かないように我慢していたのですが、母が手術室に入ったあと、とめどなく涙が流れて病院の廊下でしばらく、泣いていました。

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