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【人間関係】エゴと優しさは別物だという自覚ありますか

小学校あたりでよく聞く言葉にこういうものがある。「自分がしてもらって嬉しいことをお友達やほかの人にもしてあげましょう」みたいな内容のものだ。これ、発達障害人が自分にしてほしいことを定型発達相手にしても喜ばれないので無意味である。人によって、してもらったら嬉しいことが違うということに気付いたのは、わたしの場合高校時代だった。

それと同時に、自分のことを完璧に理解して共感してくれる人間などこの世に存在しないのだ、という事実を受け入れることになったのは、発達障害の診断を出された高校2年あたりだった。
これに気付いたときはとてもショックだった。母の癖になんでわたしの気持ちを分かってくれないんだ、と母に対して思っていたからだ。今思えば当たり前なのだが、分かるわけがない。家族も友達もみな他人なのだという事実に気付いて愕然としたのだった。この自覚ができるまで、早かったのか遅かったのかは分からない。

エゴと優しさを履き違えていたのは、長い間わたしと同じくらい重度の発達障害疑い(未診断)の毒母と共依存だったせいなのかもしれない。わたしの自他境界が曖昧だったせいもあると思っている。
自分と他人の存在は別個で、完全なひとつ、全く同じ存在にはなれる訳がないのだ。

発達障害人は、このあたりの自覚ができないと余計にメンタルをやられる気がしている。読んでくれているあなた自身はどうだろうか。

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■例①
普通、自分勝手な気持ちを押し付けるのは迷惑なのだが、わたしの母は自分と娘をひとつだと思い込んでいたところがあった。
母は、「祖母からこうされて嫌だったからお前にはこうしてやる、だから感謝しろ!」というひとだった。あくまで考えているのは自分のことであり、娘のためという視点がごっそり抜けている。娘と自分はイコールだと思い込んでいるのだった。
母はわたしに同じものを着せて同じものを食べさせた。母とわたしの体型が全く違うことも、体質や胃の強さが全く違うことも考えてすらいなかったと思う。娘の好みや自我も認めなかった。
太っている母と同じ食事は、胃腸の弱いわたしには脂っぽ過ぎて拷問だった。それなのにご飯を残すことは許されなかった。家での食事が苦痛だった。また、買い物ではこうだった。勝手にモノを買ってきては押し付け、反応がいまいちだったり、喜ばないと怒りまくる。「せっかくおまえのために買ってきてやったのに」が口癖だ。
まるで親鳥がひなのいる巣の上に座って覆い被さるように、自分の腕のなかに閉じ込めて決して外に出さないようにしているようだった。
わたしにとっての家や、母は牢獄だった。



■例②
発達障害は未診断だが、言動がどこからどう見ても確実に重度のADHD男性(30歳前後)がいた。彼とは毒親育ちの苦しみを共有して共通点が多く、知り合ってすぐ打ち解けたのだった。

彼と久しぶりに会ったときに、頼んでもいないのにお土産にお菓子をもらった。大きい紙袋にパンパンに詰め込まれたチョコ菓子やらクッキーやら。非常にハイカロリーなものばかりだった。彼は「こんなにたくさん食べきれないよね、友達とかに分けてあげてね!みんなonemuさんが食べたらむしろ身体に悪いと思うし!」と言いながら押し付けるように渡してきたのだった。遠慮したが受け取るしかない状況だった。
……失礼だとは思うのだが、正直全く要らなかった。甘いものは好きではないのだ。わたしは以前に記事で書いたように砂糖断ち生活が長いし、ADHD症状が強まったり体調不良のきっかけになることもあり得るからだ。ただ、その時彼にはADHDのことは伏せていたから仕方ないとは思う。彼の言ってくれたお言葉に甘えて、わたしの友人何人かにお菓子をお裾分けして食べてもらった。みんな喜んでくれて嬉しかった。

後日彼にあげたお菓子はどうなったか、と聞かれたので(他人にあげたものをどうしたのか確認するのもいかがなものかと思うけれど)正直に答えた。
「あれ嬉しかった。だけど、わたし体質に合わないから極力、砂糖抜いてて… 得意じゃないものばかりだったから少しもらったけど残りは友達にあげた。喜んでくれたよ、ありがとうね😊」と伝えたのだ。
すると、彼は顔を真っ赤にして怒った。「なんでそんなことできるの😡!?onemuのために買っていったのに!許せない!!💢」とブチ切れて目の前で泣かれたのだった。……訳がわからなくてただびっくりした。30代男性が泣くところを眺めて、コイツはなんてガキなんだろうと思ってしまったのだった。
この人は"お土産をあげれば自分に好意を持ってもらえるに違いない"と考え、好かれたいがためにお土産だと言ってわたしにプレゼントをしてきたのだということが透けて見えてしまったからだ。



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例②の彼の立場にわたしがいるとして考える。
ほんとうに相手のことを思うなら、最低限でも相手の好みを先に聞いておく。
少なくともわたしは、ひとにお土産を買っていくとしたらこんなことを考える。↓

①食べ物をあげたら困るタイプかどうか
・まず、食べることが好きな相手なのか?
・ダイエット中ではないか?
・1人暮らしだと少ない量
・実家暮らしならみんなで食べてもらえる量

②甘いものかしょっぱいものならどっち派か、苦手な食べものやアレルギーはないか
・甘い派かしょっぱい派かわからなければどちらも半分ずつ買っていく
・アレルギーの可能性のある食材は避ける

③渡すならいつ?手持ちの袋は邪魔にならないか
・相手の交通手段は?→電車で帰るなら大きな紙袋は邪魔だし避ける
・帰り際まで自分が持っておき、渡す(最初に渡してしまうと持ち歩かないといけなくなる)

このあたりを考えるのは、相手を思いやることになると思う。この違いを理解できないまま大人になってしまった発達障害人はとても人間関係で苦戦するように感じる。境界性パーソナリティ障害などは25すぎると途端に世間から冷たい顔される気がする。年齢を重ねているのに自他の区別ができない、情緒が育っていないというのはかなりイタいのだ。

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最終的に気持ちの矢印が自分のほうを向いているのであればそれは優しさではなくエゴです。

例えば、自分のことを気に入って欲しいからプレゼントしたりもてなしたりする。それで好かれないと、思っていた通りにならない!と怒るとか。
自分のことを好きになりたいから他人を褒める。そしてそんな自分悪くないなと思ったり、あわよくば褒め返してもらおうとする、とか。
自分の好きなものは他人にとっても価値が高いと思い込んで、自分のハマっているものをほかの人にゴリ押しする。それが好みと違っていたら人生損してると決めつける。とかですね。

以上、私怨の入った"エゴと優しさ履き違えるな"という記事でした。コンサータの効果切れてる状態で書いてるので誤字脱字多いはずです、すみません。頭が回らないまま書いて何度も消したり足したりしています。

ごちゃごちゃした長い文章に最後まで付き合ってくださったあなたさま、心が広い方ですね。本当にありがとうございます☺️

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