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自我はなにもできない、という話

人間は知っていることしか信じようとしない


このところ世界で起こっている異常な現象を目の当たりにして、人類はそろそろ「地球は自分たちだけのものではなかった」ということに気づき始めていると思う。

エコロジーとかSDGsとか叫ばれているけど、わかっちゃいるけど本気でそれに向き合っている人はどのくらいいるだろう。人類全体の数パーセントだと思う。

ひどい場合は企業の販促戦略のツールになってしまっている。SDGsと銘打ってつまるところ新製品を生産して大量に販売している企業も多い。

人類は「科学至上主義」という文明の進化発展という立場で、何でも科学で証明できるし、言語で表現できると思っているフシがある。もちろん全員ではないけども。

それは個人でいう「自我」の仕組みと同じで、人類という種全体が知識という枠の中に自ら閉じこめて、ぎゅっと凝縮してしまっていると思う。

教科書や著名な学者の論文や本や、分厚いマニュアルに「書いてあること」や、メディアがしつこく報道することだけが事実だと認識してしまっている。

目で見たことや聞いたことしか信じないという人がすごく多い。宇宙の目に見えないエネルギーや波動の話や精神世界の話をを嘲笑するくせに、前世だの神だのは信じている。

科学至上主義なら、なぜ今も神社仏閣がこんなに多いのか。宗教や神話が何千年も語り継がれているのはなぜなのか。

そこは深く考えずに「そういうものだから」ってことで、思考停止している。もっと言えば、電気やWi-Fiという目に見えないエネルギーの仕組みも知らないけど、それらの機器の使い方は知っている。なぜなら「そういうものだから」。

各分野のテクノロジーの発展とともに、種全体の「エゴ」が強くなってしまっている。人間も物質で周波数を飛ばしまくっているのに、人間以外は「人間がコントロールできるもの」と信じてしまっている。

できません。現象世界は「そういうもの」ではありません。すべて物質です。ということは波動周波数の強弱や波長の長さで、人類など簡単に大きな波動に飲まれて影響を受けてしまう。

いくら火星に行こうが月に行こうが、同じこと。人類が全部集まったところで、惑星の波動にかなうわけがない。

そもそも、個人でさえ自力でコントロールできないんだから、地球環境を自分たちでコントロールできるものではないのだ。

人の意識には自覚できる「顕在意識」と無自覚の「潜在意識」がある。でも、その下に種としての意識「集合的無意識」という意識層がある。

「百匹目のサル」のエピソードなんかもその集合的無意識からの現象だ。

人類の集合的無意識がどこに向かっているのか、もちろん自我に知るよしもないけれど、知らないのに知っているというところが不思議。



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人間も現象だっつうの


人間は確かにすごいと思う。有志以来さまざまな法則を発見して、それを活用してここまで発展してきたのだから。

ただ残念なのが、科学技術が発達し、叡智が増えていけばいくほど実は人類は「なにもできなくなっている」といこと。

やればやるほど空回り。問題を補うための技術を開発し、一時的に便利になる。便利になったところでまた問題が起きて、その問題を補うためにいっそうの技術開発をして、一時的に便利になる。が、しかしまた問題が起きてそれを補って・・・エンドレス。

これって「自我」の習性そのものだ。

不足感を補うために、次から次に目標かかげゴールと思いきや、また次の不足感がやってくるので次の目標を定めて、ってずっとイタチごっこをしている。

「自我」は「自分」を思考のプールの中に作っている。頭の中に浮かんでくる数々の思考の現れの中に「自分感」がある。

その「自分感」はまだ未完成で、いつも何か不足していると感じている。

「このままではいけない」「何かしなくちゃ」「もっと頑張らなくちゃ」

追いかけているうちはまだいいけど、この終わりのない不足のループに気づいて、ある時パタっと足を止める人がいる。それが探求のはじまり。

探求者はなにかしらのきっかけで「あれ?」と気づいてこのループから抜ける方法を探そうと必死に足掻く。私も足掻いている探求者のひとりだ。

輪廻転生もループからの解脱を目的としている。目的としているところがなんか自我っぽいけど。

自我は何でもコントロールしたがる。というか「コントロールしたこと」にしてしまう。

かつて自分もそうだったけど、いいことが起これば「運がよかった」で、よくないことが起これば「運が悪かった」と思っていた。もう、この時点で「自力」ではないのに。もちろん『人事をつくして天命を待つ』というように、何かうまくいったら半分くらいは自分の力だと思っていた。

私はパタっとイタチごっこから抜けたくて、足を止めてしまったクチだ。この世界は何か変だ。いくら頑張ってもキリがない。不足感がとまらない。これ以上、あと何をどう頑張ればいいのかわからない。

勢いでここまで生きてきたけど、ちょっと待って。何かおかしくないか?

マトリックスのように「何か変だ」と気づいて探求に入った人は多いと思う。というか、これから先もどんどん増えていくと思う。

今、地球がどういうことになっちゃってるのかわからないけど、わからないなりになにかしらの変革期であることはわかる。スピリチュアル的にいえば、アセンションだったり次元上昇だったり。

今、人類の多くがスピリチュアルとかに関係なく、何か大きな変動の予感を自分の奥底で感じていると思う。「ゴーストが囁くのよ。」ってやつね。

そんな心の奥底で自分の中のマグマが囁くように、無言語でザワザワうったえてくる感じを「精霊」「スピリット」「魂」「ハイヤーセルフ」あるいは「守護霊」などと呼ぶのかも知れない。

スピ系は苦手なのよ、宗教っぽいのはノーなのよ、って人でさえ、この囁きには逆らえず、探求をはじめる人が今から加速度的に増えていく、そう感じる。




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集合的無意識はどこに向かうのか


顕在意識は自覚できる意識層。氷山の一角のように意識全体の5%程度しかないという。(5%しかわからないのに、全体の100はどうやって知ったんだ?という疑問はおいとく)

自覚できる意識層は自我。そして「自我」は思考そのもの。「枠の中」に閉じ込めた知識に過ぎないということ。

その下の意識層は潜在意識。ここから下は「言語のないエリア」で、自我には理解できない場所。

だって、自我は「知っていることしか知らない」わけだから「知識ではない」ことは絶対にわからないのよ。そうは言っても潜在意識が表層に上がってきて顕在化しているから、今生きているわけなのだけど。

でも潜在意識が深くなっていくと、言語はなくなる。そもそも、200カ国くらいある世界の言語はバラバラなんだから。言語思考なんてただの言葉の羅列。

引き寄せで潜在意識を書きかえるのに難航するのは、言語のない意識層に言語で語りかけようとするからだ。むり。

以前「引き寄せと引き寄せられの法則」で書いたけど、無言語でも自覚できるギリギリの「感情エリア」で浸りきれば引き寄せられると思う。(ということは、本当は今のこの状態を引き寄せてるのよね、思考抜きで)

そして、その下にあるのが集合的無意識。

もちろん言語などない。

「種族の思考」ではなく「種族の願望」とも違う。別に何の願いもない。種の保存だけが目的で、種の本能というのが近いかも知れない。

地球の環境が変われば、何とか適応してすっごい変形してでも種を残そうとするだろう。

その時期が、今、この現代なのだと思う。

だから、火星移住だ、ムーンショット計画だ、人工知能だ、ロボット化だ、クローンだと足掻いている。足掻いているうちはまだ大丈夫。

集合的無意識が本格的に種の保存だけを実行したら、おそらく状況に適応できる「強い個体」を優先して残そうとするだろう。例えその他の個体が滅びても。

こう聞くと、すごい怖い感じがする。終末映画にそういう自己犠牲のシーンってけっこう出てくるから。

だけど、これは予測だけど「その時」が来たら、すっと概念が書き変わると思う。種の保存が優先で自己犠牲するなどという「自我」の概念ではなく、体が勝手にそうすると思うし、恐怖もなくなる。ただ、なるようになることに何の疑問も抱かないと思う。不要な思考や概念が消えていくと思う。

自我は何でもかんでも「知っている」ことをかき集めて、いろんなストーリーを作るけど、自分不在のストーリーは作れない。だから想像もつかないし絶対にわからない。

それこそ、それまでいた個人は「空」や「無」をこえた状態になり、全体に溶けると思う。身体はあっても「自分」はいない状態。

さらに、地球がいよいよヤバそうになったら「種族の集合的無意識」ごと、自己犠牲をするだろう。それは他の生物の種も同じ。

その時の地球の環境でも適応できそうな他の生物を優先する。6500万年前、恐竜が滅びてもその他の生物がちゃんと生き残り、そのうちの一種がこうして今、人類やっているわけだから、生命は強い。

同じことを地球でも、他の惑星でも、銀河そのものでもすると思う。

破壊と再生は、自我にとっては恐怖でしかないけれど、実際はその手前で「空」「無」に溶けるから恐怖でもないはず。

臨死体験者や自死を考えるほど苦しんだ人に「悟った」人が多いのは、一度死を受け入れたからだと思う。

死を受け入れるということは自我を手放すということだ。元々自我はシステムのようなもので、ただの知識の詰め合わせたパッケージなのだから。

そもそも、地上のどんな生き物でも致死率100%何だから、いちいち恐怖を感じるように設定されていないはず。

おっそろしい死に方を妄想して、生きているうちに恐怖を感じているのは人間だけだ。

まあ、当面は人類は簡単には滅びないと思うけど、地球がヤバければ当然に地球上の動植物がヤバい。

もしかすると、その懸念を踏まえて集合的無意識がじょじょに自我を解除し始めているのかも知れない。

「現象」というものは、自我が予測もつかないびっくりするような方向に舵を切ることがある。

ムーンショット計画で「時間と空間と体からの解放」ではなくて、その前に悟りで「時間と空間と体からの解放」が起こるかも知れない、と思っている。

悟った人、探求する人、増えていくよ。たぶん。




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◆映画「イット」とか「ジョーカー」のせいか、ピエロって不気味で怖い印象が強くなってる。「ジョーカー」はまだしも「イット」は予告も怖すぎて見れやしない。怖いピエロ映画ありすぎ。そうではなくて、「フェリー二の道化師」「チャップリンのライムライト」「地上最大のショウ」のクラウンやピエロが好きなんです。古い映画には道化の哀愁や人知れない優しさを表現したものが多いので。こういう芸術作品とかに触れるとき、やっぱり人間ってすごいなと思うのです。




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