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お金がお金を生み、貧しさが貧しさを生む

最近の世の中は”「生き馬の目を抜く」とはこのことを言う”という時代ではないだろうか?まともにお金を稼ぐ、つまり生活を確保することもできないでいる。

貧乏が心の貧乏を呼び「私は貧乏だ、人と比べて負けている、なぜ心まで貧しくなったか、それは私のせいではない。人はうまくやっていて私は負けているのだから」「悔しい」「これは間違っている。しかしどうすればいいかわからない」
それう考えることは間違ってはいない。しかし一人がそう考えることで、同じ境遇の者みんながそう考えてしまう。
そして身近な人のせいにしてしまうか、まったく関係のない人のせいにしてしまう。

むかし『女王の教室』だったか「すべて他人のせいにしていると自分が無責任になって自分自身さえ無能にしてしまう」というセリフがあった。
自分とはなに? 自分とは”自分が貧乏で苦しい”ことではない。それが事実ではない。
事実とは、自分の内面にあることなのではないだろうか?
自分を見つめ直し、内観するとはこのことであり、逆に今がそのチャンスなのではないか。

心が貧しかったら、みんなで豊かさをつくることができない。
不況が始まったころに皆それを言っていたし、経済の仕組みでも「皆で希望を持てば、それが社会に反映されてだんだん良くなってくる」と実際言われていた。
そんなことわかっているということをみんな時間がたつにつれ忘れてしまうし、実行するのはなかなかむつかしいことでもある。
でもひとりひとりの心に灯をともさなければ、どこに灯をともすことができるだろうか? 誰が灯をともすのだろうか?

「人のせいにせずに自分が自分としてある」「自分が確立している」ということはどういうことだろうか? 
どうすればいいのだろうか。誰かわかりますか?
誰か答えを持っていますか?『教室の女王』様…



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