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東大生って

結論から先に言ってしまおう。

この記事で私が言いたいのは「東大生を神童、天才などの一言で片付けてしまうのはあまりにも東大生に失礼ではないか」ということだ。

私の高校は進学先として、東京大学をとても推している。そのため私の周りには大学受験で東大にチャレンジする人が、ほかの大学に比べて圧倒的に多い。

もしその子たちが受かったら、と考えた時に私は少し寂しくなった。そして、なぜ寂しくなるのだろう、と考えた結果、この記事を書くに至った。

寂しさの正体、それは「東大生は私たちとは違う」という偏見があるからだろうと思う。
どこか自分とはかけ離れた存在、手の届かない存在、そんな偏見から周りの子たちが東大生になってしまうことに寂しさを覚えてしまう。

その偏見は多分「東大生が教える!○○勉強術!」「東大生が使う○○ノート!」といった言い回しや、学校の先生たちの「東大は特別」という扱いから生まれたのだと思う。
先生たちの特別扱いが「東大はすごい!自分とは違う」という偏見を煽っているとさえ思う。

しかし、本当に「東大生」=「天才たち」、「私たちとは違う神童」という認識でいいのか。

答えは私はNOだと思う。

東大に受かるのは天才ではない。(そりゃ合格者のひと握りはただの天才かもしれないが)
東大に受かる人とは、ひたむきに努力ができた人だと思うからだ。

それを「あいつは天才だから」の一言で片付けてしまうことは失礼極まりないことだと思う。

これから東大の受験があって、東大生の知り合いが増える以上、不必要に神格化しないようにしたいと思う。

もちろんすごいことなんだと思う。東大生になるなんて狭き門だ。だからこそ、「天才なんだね」と接するのではなく「底知れない努力をしたんだね」と裏の努力を分かろうとする友達でありたい。また、それはほかの大学に通う友達にも言えることだ。東大だけを特別扱いする必要はない(というよりしないようにしよう)と思っている。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。スキ、コメント、お待ちしています。

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