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[書評] 『その幸運は偶然ではないんです!』で知ったプランド・ハップンスタンス

私のことだから、また脱線して前置きが長くなりそうなので、今回ご紹介したい本を先にお伝えする。

『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)
(著者:J.Dクランボルツ、A.S.レヴィン)

元も子もないが、私は「この本に書かれているエピソードがとても面白い!」と思って、本書を紹介したいわけではない。

ただ、本書に出てくる「プランド・ハップンスタンス(Planned Happenstance)」という考えが好きなのである(この言葉は、日本語では「計画的偶発性」などと和訳されたりする)。

その話に入る前に、少し脱線したい(やっぱりするんかい!)


「あなたの座右の銘は?」と聞かれた場合、皆さんはどう答えるだろうか?

「どう答えるだろうか?」なので、「まだ見付かっていない」とか「見付けるつもりもない」というような答えもアリかとは思う。

見付かっていない方は、ゆっくりと見付ければいいと思うし、興味のない方は、そういうものに縋らない生き方をしてもよいと思う。

因みに、私の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」である。

別に無理やり難しそうな言葉を引っ張ってきたわけでもなく、私はこの言葉が大好きなのである。

(ふ~ん。。。)

まあ、ふ~んかもしれない。

ネットを検索してみると、この言葉を座右の銘にしている方も結構おられるようで、別に私が特別という話でもないのだろう。

この言葉の趣旨を雑に説明すると、「良いことが悪いことに転じ、悪いことが良いことに転じることもあるので、目の前のできごとに一喜一憂し過ぎても仕方がない(意味がない)」みたいな意味と理解している。

(言葉の由来として、爺さんが飼ってた馬が逃げ出して~ エライヤッチャ、チャカポコチャカポコ、みたいなロング・バージョンのストーリーもあるので、ご興味ある方はググっていただければと思う)

私は今より若い頃、この言葉に後ろ向きなイメージを持っていた。

「せっかく頑張って良い結果が得られたとしても、その後に悪いことが起こるかもしれないだなんて、何か不吉で斜に構えた考えだな」などと思っていた。

そんな言葉よりも、もっと未来に対して明るい希望を描くことのできる言葉ばかり探していた時期があった。

たとえば、「継続は力なり」とか「結果は後からついてくる」とか「努力せずして成功したものはいない」とか。

これらの言葉も嫌いではないし、「継続は力なり」なんて今でも結構好きな言葉だ。

ただ、これらの言葉って、自分の心が元気なときは、後押ししてくれて良いのだが、気持ちが塞ぎ込んだときなど、はっきり言って「非常に暑苦しい」と感じたりする。

「継続は力なり」と重々承知はしているのだが、その継続が苦しいんだよ!という気持ちのときがあったりする。

要は、私にとっては「気分次第では、好きな言葉」となっている。

それとは対照的に、いつの頃からか「人間万事塞翁が馬」は、どのような気分のときでも私に寄り添ってくれる言葉となっている。

今になって過去を振り返ってみると、「もの凄く辛くて仕方がなかった時期」が、実はその直後の「ハッピーな時期」に繋がる伏線となっていたり、逆に「オレって超イケてんじゃん!」みたいな万能感に浸り過ぎて増長した挙句、思いっきりコケたり、、、ということが確かにある。

(私は自分の人生に起きたことしか語れないが、「そんなことはない! 自分はいつも目の前のものに感謝しているので、悪い波にいると感じることはない!」とか、その逆(自分はいつも恵まれてない)とか、そういう考えもあるかもしれない)

私にとって、「人間万事塞翁が馬」は、自分が良い波に乗れていないと感じるとき、「今は悪い時期にいると感じているが、後から見ると、実は今の時期って、もの凄く良い波に備えた準備期間なのかもしれない」と慰めてくれたりする。

反面、自分が良い波に乗っている!と感じるときであっても、あまり奢り高ぶるな!と冷静に忠告してくれたりもする。

寄り添い合う塞翁が馬たち
(※ 私の勝手なイメージ)

いよいよ『その幸運は偶然ではないんです!』の本の話に入る。

「塞翁が馬」の話をしたのには訳があって、「この言葉、何かいい!」と思って、一時期、「塞翁が馬」に似た言葉を探した時期がある。

そのときに、英語版「塞翁が馬」みたいな言葉として「プランド・ハップンスタンス」という言葉(考え)を知るに至ったのである。

「塞翁が馬みたいな言葉」と書いたとおり、ニュアンスは少し異なると感じており、人生哲学というより、むしろキャリア形成などの文脈で語られることが多いと感じる。

紹介する著書に出てくる『プランド・ハップンスタンス』は、大昔から言い伝えられている言葉でもなく、20世紀末、ご紹介する著書の作者の1人でもある(スタンフォード大学の)クランボルツ教授が提唱した理論とのことである。

この理論の概要は以下のとおりとされる。


1.現代は、環境の変化が目まぐるしく、キャリアも「(自分が予期していなかった)偶然の出来事」が重なり合う中で形成されることが多い

2.「偶然の出来事」を積極的に利用して、より良いキャリア形成を築くことが大切である

3.より良いキャリア形成のため、自発的に「偶然の出来事」を引き寄せる姿勢も大切である


同理論が注目を浴びることとなった背景には、「VUCAVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性の頭文字を取ったビジネス用語)の時代」などと言われたりする「変化が激しく、将来的な見通しが難しい現代社会」において、1つのキャリア形成に固執することは時代に沿わないのでないか? という疑問提起があった。

たとえば、「オレは絶対に〇〇のキャリアを貫く!ほかの道は考えん!」と突っ走った挙句、ある日、環境の変化(たとえば、よくある「AIでなくなる仕事ランキング」みたいな話とか)で、そのキャリアの存続自体が危うくなったりすることも考えられる。

そのような懸念から「今置かれている状況でベストを尽くすことにより、将来的なキャリアの可能性を発展させよう」といった「プランド・ハップンスタンス」の柔軟な発想が、時代に沿うものとして受け入れられるようになっていった流れは十分に理解できる。

「偶然」がキャリアをつくる、と言うと何だか自分の努力みたいなものとは全く関係のない「自分のコントロールの及ばない何か」に人生が左右されるような印象を受けるかもしれない。

しかし、「プランド・ハップンスタンス」は、現在の環境でベストを尽くすことにより、新しいスキルが身に付いたり、人からの信頼を得たりして、さらなるキャリアに繋がるチャンスを手に入れることができるかもしれない、だから今やってることを精一杯頑張りましょう!という考えである。

別に他力本願な思考ではない。

目の前の仕事に全力で取り組み、「好奇心」、「持続性」、「柔軟性」、「楽観性」、「冒険心」などを持つことが、不確実性の高いビジネス環境においてキャリア形成に繋がる「偶然」を引き寄せるための行動指針である、などとも言っている。

クランボルツ氏自身のエピソードであるが、同氏は若い頃にテニスに熱中し過ぎるあまり、自分の専攻をなかなか決められずにいたらしい。そこで、テニスのコーチに相談したところ、コーチが心理学を専攻しており、クランボルツ教授に心理学を勧めたとのことである。

結果的にクランボルツ氏は世界的に有名な心理学者になったわけであるが、この経験も、置かれた環境や出会いを大切にし、運という名の偶然を呼び込んでキャリア形成に繋げていこうというメッセージに繋がっている。

上に「運」と書いたが、何となく「偶然」を「運」に置き換えると、「運は全くコントロールの及ばないものである」と割り切るか、「運を引き寄せることは可能であり、それが大切だ」と考えるかの議論に似ている気もする。


~和文のタイトルについて~

因みに、つまらない話かもしれないが、著書のタイトル和訳が「~偶然ではないんです!」なので、「偶然を利用したキャリア形成の有効性」を説くあたり、背反しているようにも感じて、理論を理解するまではエラく頭が混乱した。

初めて本書を目にする方も、この和文タイトルで「?」となる方がおられるかもしれない。

上に述べた理論に基づくと、「その幸運は偶然だが、その偶然はあなたが仕組んだものだ」というようにタイトルを理解した方が分かりやすいように感じる。その意味で「プランド(計画された)・ハップンスタンス(偶然)」なのだと。

ただ、それだと長いからこのようなタイトルになったのだろうか?

そこには、「偶然」という言葉が連想させる「自分の思考や行動と因果関係のない力の作用」がキャリアを形成したのではなく、あくまでも「頑張りが引き寄せた(「仕組まれた偶然」=「計画的な偶発性」がもたらした)」キャリアなのであるという、「その偶然には因果関係がある」というアンチテーゼも隠されているように感じる。


冒頭にも書いたが、紹介する著書に読み物として非常に面白いエピソードがあるかと聞かれると、そう強くも感じない。

「私は〇〇というキャリアを目指していたが、挫折した。しかし、その途上でそのときに培った人脈をもとに△△というキャリアに転向し、大成功を収めた」的な話が多い。

ただ、私はこの本のエピソードが面白いというより、「プランド・ハップンスタンス」の「1つの物事にトライすると、たとえそれが結果に結びつかなくとも、努力はムダにはならず、ほかの何かに役立つ」みたいな希望のある考えが好きである。

エピソードとともに、この本で紹介されるようなキャリアに繋がるマインドを持つことにより、生きることが少しでも楽になるのでないかと感じる次第である。

「プランド・ハップンスタンス」のマインドは、何かに挫折しても腐らずに頑張っていれば、その後で悪くない人生が待ってるかもよ、、、と肩を叩いてくれる気もする。

そして、ときには何か新しいことに挑戦しようとする際、「でも、もしダメだったら恥ずかしいし、時間も労力もムダだし、やめておこうか、、、」などとモジモジしがちな自分に対し、「ダメでも、ほかの結果に繋がるかもしれないよ」と自分の背中を押してくれたりもすると感じる。

たとえば「プランド・ハップンスタンス」を、「Aという入口を目指していたが、道が絶たれた。しかし、落胆するなかれ、あなたの頑張りにより、後ろにあるBという魅力的な入口に辿り着いた」みたいな状況に当て嵌めると、なるほど「塞翁が馬」に似ている部分もあるように感じる。

むしろ一時期流行った(?)「セレンディピティ」とかに近いような気もするが、どうだろうか?

因みに、以前、ある機関誌で同書を紹介したことがある。

その記事を読んでいただいた方の中に「プランド・ハップンスタンス」大好きな(素敵な)お姐さんがおられ、エラくお褒めいただき、私も「同志がいた!」みたいに凄く嬉しかったことがある。

さて、環境の変化で計画どおりに物事が進まなくなり、対応の変化を求められるリスクは、ビジネスシーンに限ったものではない。

「プランド・ハップンスタンス」を汎用性ある考え方として、人生の色んな局面に応用すれば、やがて「偶然」がたくさんの幸せを運んでくることになるかもしれない。

(完)



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