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「多重に接続する人々」

コラム:Clafters 堀井基史


私は吉祥寺がどういう場所を知らない。吉祥寺駅で降りたことが一度も無いからだ。しかし、強い日差しの中、目的なく歩き回るのも辛い。

そこで、今回の中央線芸術祭2022のテーマについて考えながら歩くことした。そのテーマは、「Next succession and connect 〜つぎかたるもの〜」である。特に、私の興味の対象であるconnect、つまり「接続」について考えながら、吉祥寺駅の北側を歩くことにした。

赤色に点灯する歩行者用信号機と待機する人々
青色に点灯する歩行者用信号機と渡る人々

さっそく、接続に関連しそうな物が目に入る。

横断歩道では、歩行者用信号の色が二つの地点を接続したり、切断したりしているように見える。歩行者にとって、青信号は分断された二つの領域の接続を意味し、赤信号は接続された領域の分断を意味する。他方で、運転手にとって、青信号(の時に横断する人々)は道路の分断を意味し、赤信号は分断された道路の接続を意味する(正確には違うのかもしれないが...)。

歩行者にとっての接続は運転手にとっての分断であり、運転手にとっての接続は歩行者にとっての分断である。何かの接続が、何かを分断する。このように、接続という言葉は、そのポジティブな響き反して、ネガティブな側面を併せ持つ。

昨今では、他者との接続、つまり人間関係という意味での接続と分断が問題になっている。特にSNSでは、エコー・チェンバー効果により意見が過激化され、フィルターバブル効果により異なる意見を持つ人々の間で分断が進んでいる。過激な意見で分断された場では、誰かの味方をすることは別の誰かの敵になることを意味する。ある人が誰かと接続すると、その人はその誰かと敵対する人から分断されるわけだ。

吉祥寺駅前の蕎麦屋で食べた肉そば(麺が柔らかく分断しやすい)

そして、過激化された異なる意見を持つ人々の間では、まともなコミュニケーションが成り立たない。すると、溝はさらに深まり、再接続が困難になる。

一度誰かと接続すると、別の誰かと分断が生じて二度と接続できなくなる。そのような危うい人間関係においては、誰とも接続する気が起きず、したがって分断も生まれない。しかし同時に、誰かと接続することによる喜びも、発見も、創造性も生まれない。

では、接続が分断を生まない人間関係を築くには、どうするべきか。

蛇のように波打つ電線
切れてる?電線

空を見上げると、電線が目に入る。電線もまた接続の象徴である。私は門外漢なので間違えているかしれないが、送電の経路は多重化されているため、万一どこかの電線が断線しても、普通は別の経路から電気が送り届けられるようになっているらしい。つまり、電線においては、一本の電線の断線が完全な分断にはつながらないらしい。知らないけど。

この接続の多重化という考え方が、人間関係にも適用できる。本来、一人の人間を構成する属性は複数ある。例えば、支持する政党、好きな野球球団、好きな作家などが属性である。ここで、異なる二者が持つ同じ属性が一致する場合、二者間がその属性において接続されているとする。すると、一人の人間が持つ属性は多様であるため、二者間で一致する属性が複数ある可能性がある。その場合、その二者は複数の線で接続されていると考えることができる。例えば、支持する政党が異なるが、好きな野球球団や作家が同じ二者がいる場合、その二者間は二本の線で接続されていることになる。

これが接続が分断を生まない人間関係を築くヒントになるのではないか。接続が多重化された人間関係においては、誰かと一本の線で接続することで別の誰かとの一本の線が断線されるかもしれない。しかし、その別の誰かとのすべての線が断線(=分断)されるとは限らない。別の経路で接続する可能性を残すからだ。

例えば、「たけのこの里」というお菓子が好きな人と、「きのこの里」というお菓子が好きな人がそれぞれ一名ずつ居るとする。そして、その二人は敵対しているとする。この時、あなたが「たけのこの里」を支持するのであれば、あなたは「きのこの里」を支持する人にとって敵となる。しかし、それはあくまで、あなたが「きのこの里を支持しない」という意味においての敵である。もしかしたら、あなたと敵対する「きのこの里を支持する人」も、あなたと同じ野球球団が好きかもしれない。同じ作家が好きかもしれない。その意味で、別の経路(属性)では味方かもしれないのだ。

見上げるとどこにでもある電線

そんなふうに考えながら、吉祥寺駅の北側を空を見上げながら歩いていた。吉祥寺駅を歩く前は、吉祥寺に対して「歴史を感じるおしゃれな場所」という印象を抱いていた。実際、古さと新しさを兼ね揃えたようなおしゃれな場所だったように思う。結局、暑さにやられてドトールに逃げ込み、街歩きを終えた。

私は吉祥寺に縁が無い人生を過ごしてきた。中央線自体、実はあまり利用したことがない。そもそも東京に住んでいない。このため、居住地という属性に関して言うと、この活動に参加している他の人と断線している。しかし、「工芸やアートが好き」という線や「イベントの運営に関わりたい」という線で彼ら/彼女らと接続している。それらの線が縁になり、みんなで吉祥寺を歩くというイベントに参加することになり、他の参加者と新しい人間関係を結ぶことが出来たのだ。多重に接続する人間関係では、一本の線の断線が分断を生まないのだ。


Center line art festival Tokyo 中央線芸術祭【ClafT】は街と人とアートを繋ぐ回遊型アートフェスティバルとして2021年にスタートしました。
フェスティバルを通して「人・地域・世代を繋ぐ、芸術・文化の創造と発信のプラットフォーム」 として、東京の中心から西へ向けて文化領域を拡大してゆくとともに、都市から自然への文化のグラデーション化を図り、緩やかに繋げてゆくことを目指しています。

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