”瞑想” どんなやり方がいいかわからない・・・それなら”掃除”からはじめてみるのはいかが?
”瞑想”、”マインドフルネス”と言われると、はじめるハードル高くないですか?何もやった事の無い人が瞑想をイメージすると、日本では仏教の影響があるので、座禅のイメージが出てくることが多いかもしれません。胡坐などで座って、半眼もしくは目をつむり、呼吸に集中する。時々、警策と言われる棒で肩を叩かれる(これはちょっと古いかな)どちらにせよ、目を閉じて静かに、というイメージが強いんじゃないでしょうか。
動瞑想、そして掃除
瞑想には様々な種類とやり方が存在します。その中にはなんと文字通り動きながら行う”動瞑想”というジャンルがあります。動瞑想にも様々なやり方があるのですが、私がとても面白いと思ったのは掃除です、”掃除”は日常の中でできるマインドフルネスと説いて下さっている。松本紹圭さんという聖(ひじり:諸国を回遊して布教につとめる仏教僧の呼び名)の方の本を元に動瞑想としての掃除を紹介していこうと思います。
こころを磨くSOUJIの習慣
この本に出合ったきっかけは、今年の5月くらいにウェビナーで松本さんの話を聞いたことでした。その時に松本さんはこう仰っていました。
日本仏教で世界に持っていけるのは”掃除”。宗派によってお経、作法はバラバラだけど掃除は共通項だと思う。
掃除は五感を研ぎ澄ます、動的な瞑想なんです。
こう言われた時、部屋の掃除や模様替えをすることで、気分転換になるし、逆に気分転換したいから掃除しようと思い立つこともあって、すぅーっと納得できた。
五感についても、天気を気にしたり、ほうきで掃く音を聴いたり、雑巾を洗う水が冷たかったり、そんなことを感じながら行う掃除って”瞑想”なのかなと思うと興味がすごく湧いて、本を手に取るきっかけになった。
私がこの本を読んで良かったなと思ったポイントは
1.掃除をしたら、目に見える成果が出る。
2.完璧主義な自分に気づくきっかけになった。
この二つです。
掃除は目に見える成果が出る。
掃除をすると、チリやホコリが集まります。やったことがダイレクトに反映してきます。たとえめちゃくちゃ綺麗な部屋だろうと、5分あればチリの一つくらいは見つかると思います。それは当たり前な話なのですが、普段の仕事に目を移してみましょう。
仕事をやってすぐ結果や成果が出る。なんてこと、ほとんどないですよね。見積りをして1か月後、設備投資をして3年後、道路を作って10年後、人を育てて20年後・・・・など、社会ではすぐに答えが出ることは稀です。というより、答えなんか無いことの方が多い。でも結果が出て、評価されるわけです。
何かとても不安になって負のスパイラルに落ちていってしまう時がありました。特に私は陸上競技を学生時代にしていた影響からか、すぐに結果が出ることにとても慣れていました。陸上競技は運の要素が他のスポーツに比べればとても少なく、自分がやったことがすべて結果に反映されるスポーツです。良くも悪くも自分次第で、すぐ答えが出るのです。
何度も言いますが、社会はそんなことないですよね。自分一人で完結することって絶対に無い。
・良いか悪いか分からないけど、とにかくやってみる。
・これはやり遂げたいと思った仕事だけど、人事異動になって担当を譲った。
・担当が変わったとたん成績が落ち込んで、自分が責任を取ることになった。
・今後生きていくうえで絶対に大切だと思って生徒指導してるけど、10年後、20年後、本当にどうなるかは分からない。
たとえば、こんなことが結構あって、タイミング悪く何個も重なると、どんどん不安になっていき、少しずつ正気を失っていくわけです。
その失っていく正気を取り戻す為に”掃除”がいかに重要かを松本紹圭さんが語られております。松本さん曰く掃除は
・誰もができる。
・始めるのにお金はかからない。(今すぐできる)
・やれば必ず目に見える成果がでる。
とし、つづけて、日常で小さな達成感を味わうことが、我々の正氣を保つのにとても大切であり、掃除はそれを教えてくれると仰っています。
私は先に書いた通り、すぐに結果が出ることに慣れてしまっていたので、なかなかすぐに結果や答えが出ない事に取り組むなかで、掃除をすることは良いバランスを保つ習慣になっています。
完璧主義な自分に気づくきっかけになった。
掃除をすることは良いバランスを保つ習慣。と書きましたが、私が掃除をしていくなかで落とし穴があることに気づきました。それは
・もっとやれる。もっと多くのチリを集める。(ライバルは昨日の自分だ!)
・掃除を終えようと思ったら、ホコリの存在に気づいた。よし徹底的にやろう。
というような考えが湧くことです。
私の性格なのか、体育会的な土壌で育った影響なのか、そんなモードに突入してしまう私がいたりします。朝の時間帯に掃除をやっているので、他の予定もあり、実際には徹底的にできないのですが、そこで「できなかった」「妥協した」という思いが自分の中で残ってしまっていたのです。
これについても松本さんは本の中でこう仰っています。
掃いても掃いても・・・・・これでいいのだを知る。
漫画天才バカボンに出てくるバカボンのパパのお決まりのセリフ「これでいいのだ」を引用し、掃除には終わりがない、自分なりに区切りをつける必要があるということです。
お寺で掃除されていると、落ち葉は掃いても掃いても落ちてくるそうです。綺麗なったなぁと思う瞬間、はらりはらりと落ち葉が舞い、ポツンと庭に落ちることがあるそうです。
もし、あなたがこの瞬間に立ち、物理的に掃除を終えないといけない状況だっとして、「これでいいのだ」と思うのと、「あぁ、また思い通りにいかなかった」と思うのでは、どちらが生きやすいでしょうか。答えは言う必要ないですよね。
この本を読んで、掃除をしてみると、私は「できたこと」よりも「できなかったこと」に意識がいくんだなと気づくことができました。できないことは嫌なので、できるまでやらないということが増えます。
この世で、やらずにできるということがあるでしょうか。あったら教えて下さい(笑)。結局、できるかどうかはやってみないと分からないんです。でも私は、できるかどうかに囚われて、なかなかトライ・チャレンジ・挑戦をしない性格です。(妻に石橋を叩いて、叩いて、壊す性格と言ったら、大爆笑されました。)
こんな完璧主義とサヨナラしていく取り組みとして、日常の掃除はおおいに役立っています。
まとめ
今回のまとめです。
掃除は動的な瞑想です。
掃除は
・誰もができる。
・始めるのにお金はかからない。(今すぐできる)
・やれば必ず目に見える成果がでる。
目に見える成果は正氣を取り戻すきっかけになる。
「これでいいのだ」を知り、完璧主義とサヨナラしていくことができる。
以上です。
本当の最後に一つ付け加えると、松本さんは
掃除は修行であり、修行は人に代わってもらえない
とも述べています。確かに、俺の為に瞑想やっといて!っておかしいですよね。ロボット掃除機が普及してきて、時間の都合上、お任せすることも多いかもしれません。そんな時でも、小さな修行だと思って、自分でできる掃除、整理整頓を見つけてやってみると、おおげさかもしれませんが人生が変わっていくきっかけになるかもしれません。
日常でできる気軽な”瞑想”として、掃除をやってみてはいかがでしょうか。
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