えねる

傷付き体験からCPTSD診断ADHD特性あり 休学、国試浪人経験▶︎現在精神科看護師 ト…

えねる

傷付き体験からCPTSD診断ADHD特性あり 休学、国試浪人経験▶︎現在精神科看護師 トラウマ克服するべく、 自分が知る限りのメソッドを手当たり次第試す中、身体心理に出会い、スキルを修得(まだまだ修行中) シングルマザー 現在までの半生を語っていきます。

最近の記事

回復したなと思えた瞬間④

「くるしいときは永遠ではない」と思えるようになったことです。 休学期間中はEMDRしていたのですが、 その時の先生にトラウマ体験があった時の 気持ちを「-10〜10」で教えてくださいと言われた時があったんです。 その時の私は、 しばらく考えてから 「所々変動はあるけど、-7はずっとある感じです」 と答えたんですね。 例えば小学生の時は「-7と5」 中学生の時は「-7と3」 と言うように。 そこで複雑性PTSD診断につながっていったと思います。 「-7」が鬱っぽさとか

    • 回復したなあと思える瞬間

      「ちょっと様子を見る」ということができるようになってきたことです。 つい最近まで私にはリセット癖がありました。 「人間関係うまくいかない」と感じたらすぐ関係を断つという方法を取ってました。 きっかけは小学生の頃いじめにあったところからです。 小学生高学年て、人間関係複雑になっていきますよね。 あれこれ試行錯誤したり、原因追究のために本人にストレートに聞いてたりしてました。 でもそれは 「自分の悲しい気持ちをスッキリしたいため」という部分もあって (自分の非のある部分だけ

      • 友人のすごいところ

        大学時代からの友人がいて その友人(Yさん)は私がVさんに依存してる時期も知ってます。 どれだけ依存してたかと言うと、 Vさんのように神様とコンタクト取れるようになりたいと切望して😇 Vさんの言われるがままにペンダントを買い。 ダウジングすることで神様の伝えたいことを読み解くようになれてるとVさんに言われていたからそう思っていた状態。 それを、Yさんに披露したんですよね。 「神様とコンタクトこうやって取ってるよ」 って その時のYさんは、 「わ〜ーすごいね‼️できる

        • 今の主治医のすごいところ

          1年程通院したら今の主治医にかわりました。 転勤先は知っていたけど、「この人なら信じられる」という確信があったかというと微妙で🌀 それよりも喪失感、絶望感に浸っていました。 直近に親族の死が続いたことも大きかったです。 あぁ、自分が信じられる人ばかり居なくなってしまうんだな。 こうして自分も滅亡していくんじゃないかなとか(本当にそう思ってました) 主治医がかわる(スタッフがかわる)というのも「大きな環境の変化の1つ」に入るということを身をもって体感しました。 これからもそ

        回復したなと思えた瞬間④

          スピリチュアルカウンセラー(Vさん)依存から卒業するきっかけ

          スピリチュアルカウンセラーとの出会いから集まりに参加するまでの話は長くなるのでまたの機会にするのですが👀 当時の私を振り返ると 何もかもうまくいかず不安の塊だった私は依存先が欲しかったです。 その頃も当然カウンセリングや通院を続けてたのですがそれだけでは気持ちが落ち着かず、 電話占いに頼ってました📱 そんな中での優しい言葉や、 ・神様は〜と言っている ・守ってくれている ・悪いものに対して浄化できる  という言葉は当時の私は「その時は」安心してました。 人間不信にな

          スピリチュアルカウンセラー(Vさん)依存から卒業するきっかけ

          自分用の教科書

          正解探し=自分の中での正論づくりのようなところがあって。 正論というと教科書をイメージするのですが、 私は20代半ばまで自分用の教科書に基づいて生きてきました。 自分を律するようなところもありました。 ただこの自分用の教科書を他人に求めようとすると衝突が生まれるんですよね。 正解は人それぞれだから。 そして自分自身も 自分用の教科書通りにいけば達成感はあるけど、 「こうあらねばいけない」 と思ったり白黒思考になって苦しい一面もありました。 この正解探しという行動は何故始ま

          自分用の教科書

          精神科受診を決意した日③

          後半の実習が始まる前に、実習オリエンテーションがありました。 その時に実習担当の教員とメンバーが発表されます。 「あ……前半の◯◯の実習と先生一緒だ」 その時、一瞬まわりの音が何も聞こえなくなりました。 そしてあたりがモノクロに見えたのをよく覚えてます。 終わった……… そして何かの糸がぷつんと切れた音がしました。 「ヤバい、これ以上はもう無理だ」 オリエンテーションがこれから始まるというのに、気がついたら身体が勝手に走っていて逃げるようにバスに乗り込みました。

          精神科受診を決意した日③

          回復したなと思えた瞬間②

          つい最近回復したなと思えたことは、 スポーツ観戦が楽しいと思えたことです📣😃 友人が誘ってくれたことに 「新しいことやってみようかな」と思えたことも大きいかもしれません(友人に感謝🍀) スポーツ=自分がやるもの。自分がやらないとつまらないとも思ってました テニス🎾やってたから、観るとしてもテニスの観戦になるんだろうなあとも🤔 ここ、交感神経が過剰に優位🟥な感じだったかなあ バスケ🏀のルールとか全くわからないけど、 臨場感があっていい! 応援客の一体感、応援📣で程よく声を

          回復したなと思えた瞬間②

          精神科受診を決意した日②

          精神科受診前を少し遡ったところから。 まず私は、本当に大学入る前から低空飛行でした。(幼少期からだったりして) どういうことかというと✈️ 入学した大学も補欠合格(ちなみにあと2つ受験したところも補欠合格)で3月ギリギリまでどこに進学するかわからない状況でした👀 入ってからも、成績は上中下というと下のランクでずっと再試組 元々3分の1は再試にするという科目もあったら当たり前に該当していました🤯 いろいろなものが相まって学習が難しい状態でした✏️ ①人脈作りに失敗して

          精神科受診を決意した日②

          小さな変化も侮るなかれ

          あるチャットグループで🍀 しんどい訴え(抽象化してます)がある方がいました。 連投されてたのでほんとにしんどかったのだと思います。 その時に私はふと、あいうべ体操を提案してみました。(決して強制的にゴリ押しているわけではありません🤣) 私が突拍子のないことを言ったこともあり、 一旦ピタリと止みました。 その後、 「離婚が不安で」とポツリと言いました。 ここで言語化できたんですよね💡 それは不安になるよと周りも共感の声が出てきて📣 一回ネガティヴモードに入るとなかなか

          小さな変化も侮るなかれ

          今まで自分が受けてきたセラピー・心理療法・スピリチュアル系の紹介

          早速テーマが飛んでしまいました😅 初診の頃を時系列にまとめようとすると混乱してしまうので、テーマ替えました(まとまったら投稿します) 今回このテーマにしたのは、学生までの生い立ち書いたけど、社会人からはどうやって書こうと悩んでいたのがきっかけです。 シンプルに、地元→関東→地元だとざっくりし過ぎて深掘りしにくいなあ〜と🤔 「あ、今は身体心理に落ち着いたけど良くなるためにいろいろ試してみたんだった💡ほとんど社会人の時だな」 と思いついた次第です🍀 もうとにかく、手当たり

          今まで自分が受けてきたセラピー・心理療法・スピリチュアル系の紹介

          精神科受診を決意した日①

          まず学生時代までの生い立ちを簡単にまとめてみました。 幼少期 : 厳格な家庭で育つ 小学生中学生 : 断続的にいじめ経験 高校生 : 自由な校風(文化祭に特攻服リーゼント姿の人がくるような)の高校で陰キャラとして生活 看護学部大学生 : 実習・講義で大学缶詰めの閉鎖的な環境でサバイバル生活←受診時ココ 留年(休学): 治療専念EMDR2〜3週間に1回受ける 浪人生 : 社会性ゼロで一人暮らしを始める。合格点−1点不足で不合格🌀12月頃(出願時期)にあきらめて事務のパート始め

          精神科受診を決意した日①

          上向きになった人生

          CPTSDと診断されて約10年、 治療経過は激動に変化していきました。 主に身体心理療法(SE、TFT、ブレインジム)と薬物療法でなんとか乗り越えてきました。 この「なんとか」という表現はサラッと書いたけど私とってはとても重いです。 治療中だからと言っていつも気持ちが落ち着いているわけではなく、トラウマ治療は「膿出し」のようなものでとってもしんどかったです。 治療中にもいろんな辛いイベントが起こり。。。 今振り返ってみれば、治療中だからそれらも乗り越えてきたのかもしれないけど

          上向きになった人生