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今の主治医のすごいところ


1年程通院したら今の主治医にかわりました。
転勤先は知っていたけど、「この人なら信じられる」という確信があったかというと微妙で🌀

それよりも喪失感、絶望感に浸っていました。
直近に親族の死が続いたことも大きかったです。
あぁ、自分が信じられる人ばかり居なくなってしまうんだな。
こうして自分も滅亡していくんじゃないかなとか(本当にそう思ってました)

主治医がかわる(スタッフがかわる)というのも「大きな環境の変化の1つ」に入るということを身をもって体感しました。
これからもそうだし患者さんと関わる時はずっと気をつけていきたいところです。

話は戻りまして🙇

今の主治医はベテランの女医先生で、
とにかく器が大きいです。

医療者も信用してなかったので自分のミジンコレベルの知識でなんとかしようと思ってたんですよね。
そしてすぐさま行動して、空回りの燃料切れでうつ状態になります。
主治医にゆっくりしたら良いんじゃないと言われたら反発するかのように(人間不信と、焦ってたのですが)就労支援調べて見学に行って交渉したり。
就職先も決めてきて失敗してを繰り返して。

それでも実家を出て精神科看護師になりたくて、県外に転職活動して内定もらって行く話をしても嫌な顔(諦めたような顔)をしませんでした。
言うことを聞かない患者をよく受け止めてくれてたなあと思います。
パーソナリティ症と勘違いされてもおかしくはなかったですが、
元々トラウマ治療をされてた先生だったと言うのもあって本当に良かったです。

情緒不安定の時に荒ぶってしまい行動化してしまった時も、(逸脱行動や◯◯◯◯)
最初は淡々と対応してもらったのが良かったと思います。

実は何度も入院だろうなというタイミングもありました。😅
自分の周りに同じような人がいたら入院を勧めるだろうなと言う時でも薬剤調整のみでまた来てねという感じでした😳
自分が医療者になりたいのに患者さんになってしまうなんて。というプライドも考えてのことだったかもしれないですね。

◯◯したら入院とか、入院も考えても良いかもねというフラグを立てることもなく。
なんなら入院は自分が希望するまで(休息入院)したことがないです。

心理士以外にトラウマ解放の身体反応が出たのも今の主治医が初めてでした。
精神科の実習は主治医がいる病院だったのですが、よく対応してもらえたなと思います。

ちなみにその頃はSEの勉強もしておらず、
自分に何が起こったのかわかっていませんでした。

心理士に「このみさんのそういう部分をみてもらえて、出せるようになって良かったですね」と言われて最初はピンとこなかったです。

PTSDの症状と、トラウマ解放までの過程の違いがわかってなかったんですよね。
当時はEMDRをしていて解離も起きてしまったりと混在していたのもあります。

トラウマ解放反応は、自分にとっては過呼吸発作よりも強い反応だったのでむしろ悪くなったと感じてました。
トラウマ解放は膿出しするような作業なので、
良い兆候だよと言われてもいやいやこの辛い状況のどこが⁉️と疑ってました💦

反応が起きると3時間くらいはずっと状態が続いて自分の意志で止められなったんですよね。

そこで主治医は「無理に止めようとしなくても良い」と言ってくれたことが救いでした。

ただ、反応が終わってしばらくすると、
余分なものを外に出たような、
スッキリはいかないまでも自分の中にギッシリ詰まっていたところに糸ぐらいの余白ができたかな、前の自分とは何か違うぞ❓と思えるようになりました。

まだまだそのあとの実習や、国試浪人などのイベントもあり環境もバタついていてそこに気がつくのにも時間がかかりました。

実習中なのに何てことを💦
と思われるかもしれませんが、
ふりかえると無意識のうちに家族のような安心感を求めていて、そこに答えてもらえたと思えたのかなと感じています。

読んでくださってありがとうございました🍀

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