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【掌編小説】なんのために


 今朝、師匠のアデル・フィッガーが死んだ。海辺で、朝陽を浴びて、灰になった。
 日が昇っている間は拾いにいけないので、こうして夜中に、風に飛ばされた灰を集めている。暗いし、砂と混ざっていて、拾いにくい。
 話し声が近づいてきた。チラッと見たら、通りすがりの若いカップルと目が合う。一人で何してんだろうって顔をしている。
 かぶりつきたくなるから早くあっち行け、と思いながら背を向ける。
 もう何日も血を飲んでいない。他には誰も見当たらないから襲うことはできる。だが、しない。
 それは、師匠の教えに反するから。
 出会ってから今までの十年間、徹底的に叩き込まれた教え。それを無駄にはしない。
 思い返せば、こんな身体になった直後から、師匠の教えは始まっていた。
 そう、それは、あの夜のこと。
 ヤケ酒を飲んでふらついていたら、路地裏で二人の男に噛みつかれ、意識が遠のく中、彼が現れて二人に殴りかかるのが見えた。
 目が覚めると、知らない薄暗い部屋。そばに彼がいた。
 もう血を欲する身体になっていた私に、容器の中の鮮血を飲ませた後、彼は丁寧に状況を説明してくれた。
 私を噛んだのはヴァンパイアだったこと、犯罪歴のない人間は襲わないのがこの界隈のルールだが、ルールを守らないああいう不良みたいなのもいること、私は噛まれたからもうヴァンパイアになっていること、人間が水分を取らないといけないように我々は血を飲まないと喉が渇き、身体が衰えること、ヴァンパイアは通常、警察より先に捕まえた指名手配中の犯罪者たちを監禁して、その連中から注射器で採血したものを定期的に飲んでいること、人工の光は大丈夫だが太陽光を浴びると細胞が発火して、瞬く間に焼け死んでしまうこと。
 その後も彼は、私を連れてヴァンパイアの運営する関連施設を回りながら、生きていくための基礎知識を教えてくれた。一見似ている人間と自分たちの見分け方、指名手配中の犯罪者の捜査の仕方、人目に触れずに捕まえるための注意事項など。そして自分自身やこの世界のことも。
 気が付けば、自然と私は、彼のことを師匠と呼ぶようになっていた。あらゆる面であまりにも優れていたからだ。
 それもそのはず、フィッガーが三十七歳でヴァンパイアになったのは二百年以上前のプロイセン王国でのこと。二百年以上も生きてりゃ、十三ヵ国語を流暢に話せ、多方面に詳しく、状況判断と対処が機敏で的確なのも無理はない。ナポレオン戦争も、普墺戦争も、普仏戦争も経験し、第一次世界大戦とロシア革命の後は、戦争と内戦ばかりのヨーロッパにうんざりして渡米、それからの百年も色々と波乱万丈だったらしいが、なんとか乗り越え、生き長らえてきた。それが今朝、こののどかなカリフォルニアのビーチで、あっけなく死を迎えたのだ。
 それも全部、あんな小娘にこだわったせいだ。
 出会いは三ヵ月前、私たちが犯罪者捜索を終え、海沿いの隠れ家に帰る途中、日の出まであとニ十分もない時だった。
 あの小娘が波打ち際で倒れていた。周りに誰もいない。
 溺れたわけではなく、意識はあったが、けいれんを起こしていて一人で動ける状態ではなかった。波の届かないところまで彼女を引きずり、匿名で救急車を呼んで、私たちはすぐ近くの隠れ家に戻った。
 それから数日後、夜明け前、あの小娘はまたそこにいた。
 向こうは師匠の顔を覚えていて、走って声をかけてきた。
 話を聞くと、発作を起こしていたらしい。脳腫瘍があり、自分にとって最後になるかもしれないサーフィン大会に出場したくて、それにバイトもあるので、朝早くから練習をしていたという。
 自分の話を終えると、こっちはこんなに早く何をしているのかと聞いてきた。真夜中にやる道路工事を終えてここに寄ったのだと答えると、女は一瞬いぶかしげな顔をしたが、詮索してはこなかった。
 それからというもの、どういう風の吹き回しか、師匠は突然妙なことをしだした。
 帰宅時に私を先に帰らせ、自分は彼女のサーフィン練習に付き合うようになったのだ。ほぼ毎日。
 隠れ家の窓から海辺を見ると、師匠は砂浜の上で立ったり座ったりして、彼女を見守っていた。そして大抵、日の出の五分前に帰ってきた。
 わけを聞くと、また発作を起こすか心配だから、と言う。
 彼女は何て言っているのかと聞くと、心配してくれてありがとうと言っているらしい。
 もしかして恋をしているのかと聞くと、そういうわけではないけど、最初の妻に似てはいる、という返事だった。
 そして出会いから三ヵ月経った今日。
 彼はいつも通り、日の出の五分前に帰宅した。
 ところが、少し経った時、外から「誰か助けて!」という声がした。
 ブラインド越しに見ると、砂浜で杖をついた老婆が指を差して叫んでいる。海の方に目をやると、小娘がうつぶせのまま浮いていた。
「ちくしょう!」と、目を泳がせながら叫んだ師匠は、ものすごい勢いでドアを開けて出ていってしまった。
 引き止める隙もなかった。追いかけてもいけなかった。今出たら焼かれてしまうという恐怖に、身がすくんでしまった。
 外はもう、日が昇り始めていた。
 西海岸の見える窓は、東から昇る太陽と逆方向だから光が直接入るわけではないが、海に反射した間接光をブラインド越しに浴びるだけでも身体が燃えるように熱くなる。直接浴びてしまったら、もう・・・
 熱さに耐えながら、ブラインドの外を眺めると、砂浜を走る師匠の姿が見えた。
 すでに身体から煙が出ていた。細胞が発火したのは明らかだった。一度そうなると、水で冷やそうとしても止まらない。核融合みたいに全てを焼き尽すまで熱くなっていく。
 走りがどんどん遅くなり、彼は足を引きずりながら海に入っていった。
 そして小娘を引っ張って海から上がってきた時、彼の顔と腕の一部はすでに欠けていた。
 彼はよろめきながら、最後の力を振り絞るように大きな叫び声を上げ、女の上半身を砂浜に乗せた。
 そして崩れ落ちるようにひざまずき、太陽を眩しそうに眺めながら、瞬く間に灰と化し、風と共に吹き飛んでいった。
 それで・・・
 終わりだった。
 ほんの一、二分の間に起きた、二百年以上に渡って生きてきた生命の、あっけない最後。
 部屋の中で私は泣き崩れた。
 師匠に助けられた数々の場面を浮かべながら、泣き続けた。
 そして外に出た今も、こうして涙ぐんでいる。
 助けたところで、どうせあの女も病気で先が長くないのに、なぜ・・・という考えが何度も頭をよぎった。数多くの女を経験してきたから、今さら純愛というわけでもないだろうに・・・ 
 何度振り返っても、師匠がなぜそこまでしたのか、分からない。いつも冷静で、的確な判断をしてきた彼がどうして・・・
 その時、はっと人間の匂いに気づいた。
 灰を拾っていた手を止め、振り向くと、月明かりの下、涙目の小娘が立っていた。



<完>

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