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いつか読む。でもそれは今日ではない。/積読とちくま文庫の話。

読書家と名乗るには達していないが、本が好きである事は間違いがない。そして多くの本好きと同じように積読に悦を覚える。

しかしここしばらく買うばかりで読む暇がなく、積読の消費と蓄積のスピードの比率がよろしくない。ついには買った本を把握しきれなくなって、昨日は危うく同じタイトルを重ねて買ってしまうところであった。

どの方にも買う本の傾向というものはあると思う。好きな分野、好きな作家、そして好きな出版社というのもあるだろう。私は筑摩書房が好きだ。特にちくま文庫・ちくま学芸文庫が大好きだ。ちくま新書・ちくまプリマー新書も好きなんだけど、まだ開拓を進められていない。増えてはいる。

ちくま文庫(以下、ちくま学芸文庫も含める事とする)を意識し始めたのは、大学生の頃であった。一般教養のテキストとして『子どもたちに語るヨーロッパ史』が挙げられており、読み物としてもとても面白かった。

子供の頃から「本は好き」だったけれど、好んでいたのは小説で、教養本の類はすすんで手にしたことがなかった。だから、自宅にはそれまでにもちくま文庫はあったのだろうと思うけれど、「好きな本」「私が読む本」としては認識できていなかったのだと思う。『子どもたちに語るヨーロッパ史』は教養本の面白さを私に拓いた一冊なのかもしれない。

私は、生活費以外のお金は本又は文房具に使いたいありがちな学生であったから、わずかな予算をやりくりすべく古本屋に通っていた。古本屋といえど、私が大学生活を送ったのは地方都市で古本屋は某チェーン店しかなかった。しかし、その店にもちくま文庫は半スパンを埋める量で揃っていた。(ちなみにもう半スパンは岩波文庫だった。そこでもいい出会いはたくさんあった)

高校以前、自分のお小遣いでは文庫版の小説しか買ったことのなかった大学生には、ちくま文庫は異常に高い文庫本だった。古本屋でさえ、なかなか低価格にならず、買える一度に買える冊数は限られていた。それでも一度知ってしまった「このシリーズは面白い」という気持ちは抑えることができず、翌月まで売れないことを願いつつ、売れていない確認をするために通い詰めていたのは根暗ながら楽しい思い出だ。

ちくま文庫を古本屋で買う事は価格の他にも利点があった。出版社在庫切れのタイトルもたんと並んでいたことだ。

社会人になった今では、ちくま文庫の新刊ももちろん買うけれど、ちくま文庫の面白さは出版社在庫切れのタイトルにあると思っている。本の巻末に同著者や類似・近似テーマのタイトルが載っているけれど、その情報はその書籍の出版時のもので、当然ながら現在の最新情報じゃない。毎年発行される目録(書店で貰えるところがある)で在庫の有無を確認して、在庫切れ一覧にそのタイトルが記載されている場合には、胸が高鳴る。宝探しの開幕だから。

私の経験談だけれど、ちくま文庫の場合、出版社在庫切れになっていても、大型の書店に行けばその店の在庫として棚に平然と並んでいることがある。それを見つけられたらとてもラッキーだ。しかしラッキーはそうそうあるわけではないから、次の一手は自然と古本屋巡りになる。古本屋には欲しかったタイトルの隣にまた見たことのないタイトルが並んでいる。ちくま文庫の面白さはそうやって延々と続いていくのだ。

積読の楽しみは、その本を読む楽しみを「いつか」にとっておく事で、買ってすぐ読まなかった「あの時の自分」と喜びを分かち合える事だと思う。「面白い本見つけた」という喜びと「やっぱり面白かった!買っといてよかった」という喜びの二つが味わえると言い換えてもいい。後者は、鮒鮨の如く寝かすほど強くなると思う。

私のちくま文庫の積読も随分高い塔になってしまった。ちくま文庫好きを名乗っているとはいえ、ちくま文庫とみたら見境なく買っているわけではない。先述の通り、興味のあるタイトルだけを購入している。それでもちくま文庫の世界は広い(厳選して買ってもなお、そのどれもがちくま文庫という喜びがある)し、一冊一冊をどっぷりゆったり時間をかけて血肉にしたい。

その思いの副作用として起こったのが、冒頭の重ね買いの危機である。いくらなんでも、同じタイトルを2冊買うより、同じ値段の2タイトルを一冊づつ買いたい。なので、今年から目録のは我が家の在庫カタログの働きもしていただくことにした。

その結果、「次に欲しいタイトルリスト」にもなってしまった事も付して末とする。

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