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編集後記(「1番近いイタリア」Vol. 16 2024冬号)

フェイスブックに「2年前の思い出」として、ボローニャに着いた日の写真が上がってきた。駅のホーム、赤い高速列車、食べたパニーニ。あれからちょうど2年。大学院を卒業して、ボローニャに残ることを決めて、ボローニャに家を買ったり、ボローニャ大学の博士課程に進学したり。広く17州の家庭を訪ねたり、深く農家料理を研究したり。失恋したり、新しい恋が愛に変わったり。自分にとっては激動の2年で、赤ちゃんが生きていく力を吸収するように新しい文化を吸収して、生き延びるしぶとさを身に付けて、あの時ホームに降り立った私と今の私では、世界の見え方も、世界が自分を見る目もきっと全く違うけれど、でも、あの時のホームの匂いや音、空気、それから自分自身の胸の高まりは、今でも自らの身体に鮮明に刻み込まれている。あの時のホームには、迎えにきてくれる人もいないし、それどころかこの町に自分を知る人は一人もいない。色んなものが混ざるカオスは捉えどころがなく、不安と緊張で身を固めて、でも、それ以上に、今、自分がこの場所にいることが嬉しくて嬉しくて、未知のまっさらな未来が広がっているその事実がキラキラしていた。無論、現実は厳しくて、2年の間には想像以上に大変なことも、胸が痛むこともあって、涙も汗も数えきれないくらい流して、気付けば2年前には全く想像できないくらい遠いところに来てしまった気もする。でも、あの時ホームに降り立った瞬間、自分がこの場にいることを神様に感謝した気持ちは、今も全く変わらないし、これからも変わらないと思う。2年後、どこでどんなことをしているのか、全く分からないけれど、でもこの2年で学んだ1つだけ確かなことがあるとするならば、未来は作るものだということ。あの時ホームに降り立った私に広がったまっさらな未来は、願ったことが1つずつ現実に描き足されて、色んな人が色んな書き込みをしてくれて、2年後、確かに私を囲む現在となった。本当に少しずつだけれども、どんなに辛い時にも置いてきたピースはこうして1つずつ重なって、かけがえのない今を作ってきた。願えば叶う。このシンプルな因果関係は、例え間に中間項が沢山あるとしても、確かに真である。だから、大切なピースを置いてくれる皆様への感謝の気持ちを胸に、一歩一歩前に進もうと思う。

なんと、この雑誌「1番近いイタリア」は、4年目に突入します。いつもご購読頂き、ありがとうございます。これからますます深まるイタリアの食を、精一杯お届けします。お楽しみに!

※本記事は「1番近いイタリア」Vol. 16 2024冬号の編集後記より抜粋です。

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