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#214【忘れ得ぬ名文】8「おれが見ているもののこの美しさを見ろ」(大岡信)

今日もお読みくださってありがとうございます!
今日から新学期の方も多くいらっしゃると思います。
新学期・新生活、そうでなくても週初めです。
どうぞみなさま、ご無理なさいませんよう、ご自愛ください。

今日は「表現すること・伝えること」についてのくらたの考えを書きます。
(長くて迂遠かもしれないので先にテーマを断言)
だから「自己紹介」カテゴリと迷いましたが、そっちだと埋もれそうなので「忘れえぬ名文」カテゴリにします。


ここ最近のテレビ百景

『24時間テレビ』は批判されがちで確かにどうかと思うところも多々あるけれど、昼に女子バスケ髙田真希選手宮崎早織選手が出ていたところと、ほかに少しだけ見ました。
改めて、「ランナー」「サライ」は名曲だなあ。
あと、たまたま見たYOSHIKI様ほかのみなさんのパフォーマンスも、歌もキレッキレのダンスもとてもかっこよかった。

先日の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』でも昭和の名曲が紹介されていました。
「ルビーの指環」は生まれる前の曲ですが、わたしも小さいころから好きだったなあ……。
寺尾聰さんは見ているだけでなんだか泣けます。実際映画『半落ち』を観に行ったとき、始まって30分くらいから後はずっと泣いてました。なんだあの哀感は……すごすぎる。あの映画は高橋一生さん映画でもあります。高橋一生さんと言えばキムタクドラマの最高峰『HERO』にも出ています。当時は内向的な青年役を多く演じられていた印象でした。ファンの方でまだご覧になっていない方はぜひ。

閑話休題。
同番組ではまた、尾崎豊が昭和のカッコイイ歌手として取り上げられていて、「僕が僕であるために」の歌詞を愛菜ちゃんが素晴らしく読み解いていて感動しました。

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

尾崎豊「僕が僕であるために」

世界に、というか、街に勝ち続けなければならない、街にのみこまれる自分に勝たなければならないというか、自分が自分であるために街の中に溶け込み過ぎてしまう、街の干渉に負けてしまわないように勝ち続けなきゃならないって思うけど、でも、それって本当に正しいのかわからない、そういう葛藤があって。
だから、それがわかるまでは少し、街の大多数に揉まれながら、心を許して黄昏てみよう、若いからこそある葛藤みたいなのがとてもよく表れていて、なんか、こう心に刺さるのかな、なんて思ったりしました

芦田愛菜、“尾崎豊の歌”の感想に「すごい」「素晴らしい解説」 - ライブドアニュース (livedoor.com)

「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」……ってわかるわあ……。
職場にいるときはそんなことばっかりだった。

今書いていて改めて思ったけれど、すごく孤独な歌詞だけど、「のまれて」「少し心許」すこともできるというところが取りつく島でもありますね。
これを書く直前に米津玄師と林修の対談を見ていて、「さよーならまたいつか」の歌詞について語られていて、その決して交わらない孤独感を感じていたのですが、それに比べてこちらは孤独感の少し輪郭が柔らかい。
少しではあっても、自分が街にのまれて心許すことができる部分がある。

大岡信「おれが見ているもののこの美しさを見ろ」

さて、やっと本題に入ります(すみません)。

くらたはこういう「わあおもしろ!」と思ったものを人に話したりこうしてここに書き留めたりすることが好きです。
そういうときに脳みそが活性化される感覚があります。

そのうち「書くこと」に関しては一度書いて整理してみたことがあります。
簡単に言えば、書き留めることで脳みそにその経験の居場所を作ってその後一緒に生きていきたいのです。過去の自分に助けられっぱなしの人生です。
ご興味持っていただけましたらぜひこちらも ↓↓

さて、先日、雑誌『アンド プレミアム』129号(マガジンハウス)「明日を生きるための言葉」特集で、とんでもなく素晴らしい一言に出会ってしまいました。

おれが見ているもののこの美しさを見ろ

大岡信 山と渓谷社編『自然について、私の考えを話そう。』より
(くらた注:孫引きにもほどがあってすみません)

なにそれー!!!
なんっじゃそれ!!!!
わかるうー!
わかりすぎるううう!!!
ほんとーにそれ!!!
それでしかない!!!!!!

この言葉を紹介されていたのは、若菜晃子さんという編集者・文筆家の方だったのですが、曰く、

大岡信先生に本書の取材をした際、詩作で何を表現しようとされているのかを伺い、帰ってきたのがこの言葉。(中略)自分をどう表現すればいいかではなく、自分がいい、美しい、伝えたいと思った自分の向こうにあるものを、自分なりの言葉を尽くして書くのが大事である、と。(後略)

思えば、泣いたり笑ったりしながら自治体の広報誌制作していたときも、「おれが見ているもののこの美しさを見ろ(この自治体で尽力しているこの人の素敵さを多くの人に知ってもらいたい)」がくらたの取材方針でした。

今でも、女子バスケの写真をSNSにアップするのは「おれが見ているもののこの美しさを見ろ(世界の至宝である選手の姿を多くの人に見てもらいたい)」と思っているからです。

この記事のマクラが、テレビと映画を観たまま書いただけに過ぎないのに、こんなにとっ散らかっていて長いのもまさに「おれが見ているもののこの美しさを見ろ(めっちゃおもしろいからこの話知ってほしい)」との動機からだと思います。

表現し、人に伝えることについて、くらたの体感にこれほど近い言葉を、くらたは今まで知りませんでした。
冒頭の愛菜ちゃんの尾崎豊の読解も、愛菜ちゃんが歌詞から受け取ったものを精彩に言語化してくれることで、ほかの人もその豊かな世界を共有できる。
くらたが大好きなYoutuberしらスタのリアクション動画も、おしらさんの繊細な読解力とリッチな表現力のおかげで、音楽体験がとても豊潤なものになるので好きです。

改めてわたしも、「おれが見ているもののこの美しさを見ろ」と言えるだけの読解力と表現力を付けていきたいと思ったのでした。

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