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20年以上前、ちょうど返還の時期を跨ぎ、4年強、香港に住んでいた。もともと中華の一部であった広東省の深圳に面する新界・九龍半島と香港島、その周辺は、大義名分なきアヘン戦争の賠償として英国に99年間租借された。事実上の割譲である。そしてその99年後、一国二制度を50年続けるという約束のもと、1997年7月1日に香港は英国から中国へ返還された。あの時は香港の将来に世界は悲観的な目を向けた。しかし冷静になって考えれば、時代錯誤的な遺物、植民地から解放されるので、民族的には、本来は喜ばしいことだが、香港人も自由主義資本主義国家の価値観を持つ人からも大いに悲観視されたものである。10年後、20年後、何が起こるのかと。価値観が多様化してきたことを思い知った出来事であった。その時に場合によっては10年単位でものを考える必要があると痛感した。そして英語が不得手であった私は10年という単位の英語の言葉があるのを知り、なぜか変に感心した。その言葉をdecadeという。因みに余談だが返還翌日に起きたタイバーツの下落に端を発したアジア通貨危機の方が短期的には香港自体へのインパクトは強かった。そして今、香港は約束の50年の約半分が過ぎ、当時に悲観視されたことが現実化している。

私が帰国したのは2000年11月。そのまま大阪に戻るのではなく最初の東京赴任となった。数年後、数年宇都宮で暮らし、そして一度関西に1年ほど戻り、2008年の5月に再び、東京へ戻ってきて今に至っている。

この1年は誰もが感じる通り異常な年であり、ニューノーマルと言われて久しくなってきたが、何がニューノーマルとして常態化するのかはまだまだ見通せない。1年先のことも想像つかないのに、10年先のことなんて、本当に読めるはずがない。でも逆に言えば、誰もがわからないからこそ小さいことでも何かを起こしていくとこで、その1年や10年を個人の力で変えていけるかもしれない、そんな可能性を帯びた時代が来たとも言える。

今まで私は臆病だった。時代の流れより少し先に行きたいと漠然と考えながらも、今いる場所で最高のパフォーマンスをあげることに全力を尽くしてきた。それがうまくいっている時もあれば、全然うまくいかなかった時もあり、その繰り返しで成長してきたつもりである。そして自分の思考パターンはこの歳になって、ようやくある程度のところまで来たという自負もあった。ただその自負は錯覚だった。

私が初めて東京に住み始めて2decadsが経った。じっとしていることが大嫌いだった私がこの年末年始は何もしない。こんな年末年始はもちろん人生で初めて。2000年代という意味でも私の人生という意味でも新しいdecadeが明日から始まる。そろそろ無気力状態から離陸しなければという思いともう少しゆっくり助走しても良いという思いが混在している。明日、何をするかは明日考えよう。それが錯覚を自覚し、今までの思考パターンを作り直し、新しい時代、新しいdecadeに対応する、いや向かっていける思考パターンの一つかもしれないと思うからである。

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