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今日は、いや今日もかな?、最近は。予定がない。
今から思えば10年以上Googleカレンダーにスケジュールをギッシリ埋め込み、空白を極力なくすことが、生きている証とでも言いたげなライフスタイルを貫いてきた。
平日なら少しでも時間があけば全国にある拠点に出張の予定を入れ、また夜は四六時中(安いところばかりであるが)飲みの予定を放り込み、休日は休日で若い頃からやってみたいと思っていかながら出来なかった神社仏閣巡りとウォーキング、美術館巡り、映画鑑賞を手始めに、そこからドンドン派生してジョギング、山登り、サイクリングと手を伸ばし、サイクリング以外は一応、相応に本格的にこなすところまでいった。因みに数年前にサイクリングで転倒し骨折してからは今はウォーキング程度しかしていない。

私にとって何も予定がないことは悪で、またそんな日に家でじっとしていることは心が痛んだ。だから雨の予定のない休日も晴耕雨読さながら本を読み漁ったりしていた。
なにかしてないといけないという強迫観念に長年駆られていたのである。

なぜそんな風になったのかを改めて冷静に振り返ると二つあるのかなと思う。
一つは、結局大病にはならなかったが、40歳の手前で右の内耳が疾患をきたし、一時は一生聞こえないと言われたこと。そのことは人生の時間は有限であると悟り今できることは先延ばしにしないと決めたこと。
そしてもう一つは、こちらの方が大きいがSNSの存在ではないかと思う。
13年くらい前にmixiにハマって、いつも日記を書いていた。リアクションが嬉しかった。褒めてもらえるのが嬉しかった。あの歳で仕事関係以外の友人ができるのが嬉しくて仕方なかったのである。だから文章を書くのが、写真を撮ることが、最も充実した時間となった。当然、書く「ネタ」を探すようになるし、また自分がいかにリア充(最近は死語?)かを演じ見せつけようとしていたのかもしれない。何が目的で何が手段なのかを頭の中で整理できていなかったのである。しかしmixiの衰退とともに私もそれから卒業、流行りだしたTwitterも始めたが、自分自身が楽しめるような使い方を発見できず、すぐに放置。
そしてその次に流行り始めたのがfacebookだった。いつもいつも演じているわけではないがやはりmixiではほぼ見ず知らずの人に向けての日記なので当然、良く見せたいという心理が働き、嘘は一切書かないが都合の悪いことも見せない。でもリアルの素性を知られてる人にさらにリアルな日常をさらけ出すSNSってそんなこともできないし、そもそもなぜリアルで繋がる必要があるのか最初はわからなかった。しかし当初想定していなかった効果があった。没交渉だった昔の友人知人、またその友人達と繋がり、大同窓会ブームが巻き起こった。中学・高校・大学・バイト時代・若い時の同僚たちと再び縁が復活したし、仲が良かった友人先輩後輩とも再会でき、また当時は友人でもなかった同窓生や先輩後輩たちとリアルで友達になれ、今もその縁は続いている。私はfacebookにはmixi時代とは違うショートな文章と写真で今、何をしているか等を発信しまくった。神出鬼没などと言われ、facebookを開けたら私の投稿ばかり出てくると文句もあったが最初はどちらかと言うと好意的にとられたのである。楽しくて数年間が過ぎたが流石にこの再構築したコミュニティの維持にも疲労を感じ燃え盛るような再会ブームは幕を閉じ、その中でも関係を継続したいと思ったり思われたりする人達だけが残った。
3年ほど前にあれだけあげていたfacebookの投稿をピタッとやめて今に至る。細々と続けているのはInstagramだけで当初はfacebookにあげるための写真加工アプリとして使っていたが日常の自分用の記録としてここ数年は使い続けている。あの時のパワーは失われたもののやはり若い人達のようにインスタ映えするのかどうかはまだ最近の私の行動パターンを決める大きな要素であった。

しかし新型コロナウィルスが状況を大きく変えた。映えるものはなく、単に自宅と会社の往復、休日はステイホームを強いられ、また緊急事態宣言解除後もリモートワークの普及で平日ですら自宅にいることが増えた。新しいことには飛びつきたがる私なので在宅勤務も最初は楽しかったが「終日、家にいるということ」になかなか心が馴染めなかった。ただ不思議なもので昨日も書いた

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

パターンは違うが、行動が変わって習慣と心が変わり始めた。人格までは変わってないと思うが。
そんな中、12月初旬に先般も書いた事件に巻き込まれ、さらに自宅待機を強いられ、ついに自ら「引き篭もり」を実践できるようになったのである。無気力になった、何もしていない自分が嫌いだったがそれでも何もしたくなかった。充実感はゼロ、かつての私ならレゾンデートル自体、疑いたくなるが、そこまでもいかない。
そんな時に親しき友人が無気力の時は「充電」しているのであり「心と身体を壊さぬように防御のため脳を休ませている」のだと教えてくれた。それからは随分と気が楽になったのである。

昨日はその無気力を打ち破り久しぶりに外出した。そして今日も予定がない。でも微かに何かしたかった。
そうだ、いつも池袋駅で乗り換える時に朝晩関わらず長蛇の列ができている最近できた店にミニクロワッサンを買いに行くだけに外に出よう。

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流石に今日のこの時間は7,8人しか並んでいない。9時半くらいから並んで10分くらいで購入完了。全部セット15個をオーダー。
すぐに自宅に戻り、プレーン、チョコ、さつまいも、オレンジ、明太子、一つずつ食す。チョコと明太子は好きな味。単純なコスパは絶対いい。ただ長蛇の列の待ち時間をコストと考えればどうなんやろね。プライシングを考えたらやっぱりコスパ良しなんかな。

自宅に戻って、ベランダから眩しい陽光が差し込んでももう強迫観念はない。心と習慣が本当に変わってきたのかもしれない。人格を変え運命の流れを自分の納得できるような方向へ進ませたい。

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