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昨日、年初からトラブル続きだった2020年の仕事納めだった。

前回の東京五輪の最中に生まれた私としては、2度目の五輪の年、昨年まで少し燻っていたこともあり、今年こそ良い年にしたいと願っていた。しかしこの2020年は年明け早々、少しマスコミに取り上げられるようなトラブルが発生し、私のポジション的に、その処理班?的なチームを率いることとなり、若い時以来の13連勤をするなど波乱の幕開けになった。

それまでは、出張を兼ね家族が住み自分の家がある大阪へは月2回は帰省していたが、それも出来ない状態が続いた。ようやく3月の真ん中、2ヶ月ぶりに帰省したが、その頃にはコロナ禍が本格化、またそれ以降、ご存知の通り、緊急事態宣言などで、今まで経験したことのない世界へ。休日は完全にステイホーム。そして、平日についてはグループ会社全体は一気にリモートワークへ舵を切るが、その中でも当社だけは業務の性質上、法の壁が邪魔をし、またインフラ整備がグループの中では遅れたため、なかなか進まない。通勤ラッシュがドンドン緩和される中、やむなく毎日出勤をしていた。そうこうしているうちに遅ればせながら、私が受け持つ本部は一定の条件のもと、少しずつはリモート可が進み出す。しかし私の傘下の現場、センターはそれこそ、業務柄、それについては全く進まない。そうは言っても社員の安全配慮のため、対策も何もなく無理くり出勤率を下げさせたりしていた。その結果、案の定、数字はボロボロに。

そして、ついに緊急事態宣言も解除。時を同じくして、私の上司が退任、私の公式のポジションや給与は何も変わらなかったが、名実ともに私が一つの本部の完全なトップに。ほぼすべてのことを誰に相談もせずに決めれる喜びとやり甲斐を感じ、いろんな逆境に立ち向かい始めた初夏。今まではその退任した上司に遠慮して出来なかったこともガンガンやり始め、加えて環境の好転もあり、数字は6月から一転して絶好調に。概ね心地よいプレッシャーを感じるとともに、種々の新たな取り組みも始めたりして、充実した日々を過ごしていた。ただ今から思えば少し傲慢になっていて、落とし穴に向かっていたのかもしれない。

若い時以来、休日までもが仕事一辺倒の気持ちになり、仕事オンリーの日々になっていた。それまでなら休みの日には大好きな鎌倉に写真を撮りに行ったりすることもメッキリ減った。今から振り返り冷静に考えれば、何のために生きていたのか、よくわからなくもなったが、おそらく無意識のうちに先に越された後輩に追いつく邪心や野心があっただろう。

そして12月初旬、私は長い社会人人生最大のピンチを迎えることになる。

とある投書で刺されたのである。

一定のリスクを覚悟しながら仕事をしているので、少し行き過ぎた指導に対しては注意的なものはあるだろうくらいの認識だったが、見通しが甘かった。嵌められた。あまりにも重罪判決である。裁判でもないので控訴なんてものも出来ず、また具体的な事象は明かされない。だから私からすれば、今の段階では嵌められたしか言いようがないのである。はっきり言って冤罪である。敢えて言うと本当に処分相当の何かがあれば、当然反省もし、処分自体も甘んじて受けるつもりである、逃げは絶対しない。今までのこういったケースでは「あの人ならやっぱりこういうことで処分されるのも仕方ない」と社の雰囲気がなることが殆ど。しかし自分でこんなことを言うのも恥ずかしいが、今回の件は私に対しての支持者や同情者が多い。自らの危険を顧みず、今回の事件に憤りを感じてくれてる人も少なからずいる。ポジション以上に仕事を広げ過ぎて、現場の中の現場まで情報網を構築し、その中で実態を知り、そういう真実の中、矛盾に満ちた説明をする中間管理職を指導してきたつもりだったが、それが行き過ぎてたのか。言いたいことは山ほどあるが今は言えない。その現場レベルの何人もの社員たちは心配して連絡してきてくれる。それだけが精魂込めて仕事してきた私の誇りである。なかなか連絡しにくいだろうが、こう言う時こそ、本当に慕ってくれたかどうかがわかる。いまさら、どうこうしたいとは思わないが、社会は理不尽であると言う前提に置いても、やはり真の悪はいつか転けると信じたい。そうでないと会社に未来はない。私が守ってきたその現場レベルの人達の行く末だけが心配だが、皆、逞しく生きていってくれると信じてる。

ということで、今年の12月は激動だったし、引き篭もりも初めて経験した。また自分には絶対、無縁だと思っていた鬱の入口のような無気力状態も経験した。でもこれも絶対に良い経験になるはず。そしてこれは風の時代を迎えるにあたり、天がくれた転機であるはずと信じる。そう言う状況なので、どうせあと1ヶ月で13年ぶりに居を関西に戻し、家族と暮らすことになるし、コロナも猛威を奮っているので、この年末年始は敢えて何もせず東京で一人静かに過ごすことにした。最後の東京かもしれないし。

こう言った時の揺れ動く心境みたいなものをしっかりと自分自身で整理し、読者がいればだが、追々、少しずつ書いていきたい。そして新しい道を歩み出したい。

ところで音声発信アプリなるものを昨日ダウンロードしたが、今更ながらどのように使うだろうか。そんなこんな自分にとって新しいことはチャレンジしていきたい。

まだまだ未熟で、発信内容はブレブレのところもありますが、応援を無駄にしないように頑張ります‼️