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気象予報士の心掛けとは?ーー予報+‪αで天気予報をお天気ショーに

地方局キャスターから気象予報士へと転身した片山美紀さん。聞き手と伝え手、その両者を経験した彼女へのインタビューからは、常に向上心を持ちながら努力し続け、強い責任感と共に仕事へ取り組む姿が垣間見えた。(聞き手:髙山彩希 連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)

マップスタジオ解説

原点はキャスターへの憧れ

ーー色々な業界・業種がある中で、どのようにメディア業界への志望度を高めていきましたか。

私は就職活動をする時に、ほとんどメディア業界しか考えていなかったんです。元々地方育ちで、今はインターネット等ありますが、子供の頃自分の知らない世界や新しいことを教えてくれるものはテレビが主流でした。そこで、新たな世界を広める手段としてメディア業界を昔から志望していて、大学も東京に出てきました。

ーーその中でも、どうしてキャスターの道を選ばれたんですか。

昔から見ていたニュース番組で、テレビで落ち着いたトーンで情報をしっかり伝えてくれるキャスターに憧れを持っていて。私も自分の言葉でしっかり伝えられるキャスターになりたいなと思い、志望しました。出版にも関心はあったのですが、映像で伝えたいという思いがあり、生で伝えることに興味を持っていたのでキャスターの道を選びました。

ーーキャスター時代の目標を教えてください。

取材対象の方の魅力が一番伝わるようにすることです。キャスター時代は色々な人を取材する仕事をしていました。それだけでなく、自分で編集もしていて、音楽をつけたり映像をつないだり、時にはカメラを回したりもしていましたね。

--キャスターの方が編集したり、カメラを回したりするなんて驚きました。

私もそうなるとは思っていませんでした。大学卒業後は初めに地方局へ行ったのですが、地方だと人が少ないので、街中へ行って自分1人でカメラを回しながら、知らない人へのインタビューもしていました。

「変わらないと怖い」キャスターから気象予報士へ

ーーそこからどうして気象予報士になろうと思われたんですか。

気象予報士になろうと思った理由は、多くの人を取材するにあたり色々な分野のプロに会ってきたので、「私も何か専門的な分野を持ちたい」という気持ちになったからです。そして、ニュースを伝える上で様々な事件や事故、災害等がある中で自分が人の命を守ることができる分野はどこかを考えた時に、事件事故は自分では防げないですが、「災害においては気象予報士が伝えた情報が命を守ることに繋がるのではないか」と思ったのです。それが気象予報士を目指すきっかけになりました。

また、最初の放送局でお世話になった方が気象キャスターだったことも大きいですね。プライベートでも仕事でも多くの場面でお世話になっていて、一番身近な存在でした。その方は視聴者からも局の中の人からも信頼されており、「自分もあんな風に信頼される伝え手になりたい」と思い、気象キャスターに興味を持ちました。

ーー気象予報士試験を受けるにあたって、大変だったことを教えてください。

仕事と両立しながらの受験だったので土日を中心に勉強していましたが、その両立が大変でしたね。毎日少しでもいいから、問題集を開くようにしていました。気象予報士試験は、夏と冬の年に2回しかないんですよ。夏は8月末で夏休み期間中、冬は1月末でお正月の後の時期で。社会人になってすぐの頃、周りの友達が長期休暇中に海外旅行をしている中で自分は勉強していたので、そういう部分は羨ましかったです。

ーーその中でどのようにモチベーションを保っていましたか。

当時は富山の放送局で勤務していたのですが、東京まで気象予報士のスクールに通っていたんです。大学生の時にも少し通っていた学校に再度通い始めて、そこでいい先生や一緒に受験する仲間に出会えたことがモチベーションになっていました。後は、「変わらないと怖い」という気持ちがありました。このまま受からずにずっといくと、「自分の強みもないまま漫然と仕事を続けるだけになってしまう」という恐怖が社会人になったばかりの頃はすごくあって。そこがもしかしたら、一番のモチベーションになっていたかもしれません。

ーー片山さんはなぜそこまで頑張れたのでしょうか。大学生の頃からの自分を振り返ってみてどうですか。

気象予報士になるという意味では、先程お話した、「変わらないと怖いな」という気持ちがあったんです。キャスターやアナウンサーって本当に大勢いると思うのですが、その中で自分の強みを最初は見つけられなくて。その中で「何かしなきゃ」「変化しないことは怖い」という気持ちが生まれて、気象予報士になるために頑張れたかなと思います。他には地方から出てきたっていうのも結構あるかもしれないですね。せっかく東京の大学に入らせてもらったので。私の行ってた高校は全然進学校とかではなく、一緒に出てきた友達もいませんでした。そこから何かを築いていかなければ、頑張った意味がないと思っていました。

ーー気象予報士のお仕事は、やはりキャスター時代とは全く違うものですか。

そうですね。情報を伝えるという意味では似ていますが、全然違うのは、自分を取材をされる機会が多くなった部分ですかね。災害が起こりそうな時や暑さの厳しい時は、記者の方に取材されることが多いです。自分の言葉がそのままトップニュースになることもあり、新人気象予報士なのかベテラン気象予報士なのかは関係なく、専門家としての意見を求められているのだなと感じます。もちろんやりがいもありますが、そこに結構怖さや責任がありますね。

ーー聞く側と、伝える側の両方を経験されてると思うのですが、それぞれの魅力や大変なこと、難しさはどのようなものですか。

聞く側はやはり準備が何より大事だと思います。その人はどんなことをやってる人なのか、調べると色々出て来るので、何を聞けばいいのか考えておくことが大切になると思います。調べ方は、インターネットも活用しましたし、本を出している方ならその本を読んだり、あとはお店をやってる人なら商品を見たりしていました。

また、自分だけの質問だと幅が広がらないので、聞ける範囲で仕事仲間に「あの人のことを取材しようと思ってるんですけど…」と雑談みたいな感じで相談していましたね。取材に行く前には、カメラマンの方に「どういう感じのこと聞けばいいですかね」とか「どういう画を撮れますかね」などと質問していました。自分とは違う立場や年代の人に聞いてみるといいと思いますよ。

伝える側は、「一番大事なことを優先する」という部分がすごく難しいです。全部を言いたいのですが「全部を言うと何も伝わらないから」とよく言われてました。

ーー今までに大きな失敗はありますか。

キャスター時代はロケの当日、私自身がディレクター兼リポーターとして進行していくのですが、自分で場を仕切れないことが結構ありましたね。年上のカメラマンさんやベテランの方に、「これを撮ってください」とか「今からこのような流れをするのでこうしてください」などといった頼み事を最初はできませんでした。

天気図解析

気象予報士としての心掛け

ーー私たちが天気予報を目にするまでのお仕事の流れを教えてください。

仕事のある日は、11時頃に局へ入って、天気図のデータ解析をします。気象庁から色々な資料が送られて来るので、今日から明日、そして週間的な見通しを考えます。その後、今日の放送に向けてどんな風に伝えようか、ディレクターさんやスタッフさんたちと一緒に話し合います。現在私が担当している NHKの番組は、1回の放送で約8分と天気予報としては結構長い時間のものです。

単に明日の天気を伝えるだけではすぐに終わってしまうので、どういう工夫をするかを話し合っています。内容としては、「明日はこうなる」という結果だけではなく、その理由だったり、季節的な変化だったり、何か「へー!」と思ってもらえるようなことを紹介するための組み立て方ですね。
一通り構成を考えたら、プロデューサーに報告してアドバイスをもらいます。「もっとこうしたほうが伝わる」とか「本当はもっとこういうことを視聴者は知りたいんじゃない?」とか、そのようなアドバイスを受けてさらに構成を練り直します。その後は流れを確認して、準備を進めていきます。気象状況は随時変化するものなので、急に雨雲が発達していないかなどを確認しながら進めていきます。長い尺でもありますし、お年寄りから子供までたくさんの方が見ている夕方の時間帯なので、一種のお天気ショーじゃないですけど、面白いショーとしての要素も盛り込んで番組を作るようにしています。

ーー気象予報士として心掛けていることは何ですか。

最近、天気予報はスマホなどで誰でもすぐに調べられるので、テレビを見て「ちょっとでも得したな、役に立ったな」と思ってもらえるようにしたいと考えています。例えば、スマホだけだと天気のマークだけとかになってしまうので、同じ曇りでも「晴れ間がありそうな曇り」なのか、逆に「雨が結構降りそうな曇り」なのか、マークに隠れた天気の幅を伝えるようにしていますね。

ーーその幅は、どのように努力すれば視聴者の方が求めている情報を伝えられるようになるのでしょうか。

日々の振り返りですかね。予想するだけで終わってしまう仕事が多いんです。もちろん予想が外れることもあるので、なぜ外れたのかを振り返って考えることが大事かなと思います。

ーー近年の気象は前例主義が通用しなくなってきていると感じますが、どのように勉強を生かしていますか。

新しい気象に対しては、振り返りももちろん大事なのですが、直近の今の状況を見るということですかね。色々なコンピューターのモデルの計算があり、前の時間の計算とどう違ってきてるのかや他のモデルとの比較など、様々なデータを見ることが大事だと思います。

ーー片山さんが忙しくなるのは、データの変数が大きい台風のような気象の時でしょうか。

たしかにそうですね。台風以外だと梅雨時でしょうか。線状降水帯という急に発達して留まる雨雲があり、それが現れた時は前例が通用しなかったり予想モデルもあまり正確にできなかったりします。ですので、大雨や出水期が一番忙しいですね。

ーーテレビ以外にブログやTwitterなどのSNSをされていますが、それぞれの媒体へのこだわりはありますか。

一番続けているのがTwitterです。テレビは「この時間にしか伝えられない」というのがありますが、Twitterだと即時に情報を発信できるので、コロコロ状況が変化する気象情報をすぐに伝えられるという意味でSNSを活用しています。特に金曜日の放送では土日や月曜日までの天気予報をお伝えしているのですが、3日先のことを予測するのは予報が安定しない時期だと難しいんです。そこで、現時点での予報を金曜日の放送で、変わったところは土日のうちにSNSで伝えるようにしています。そうせずにやりっぱなしだと、無責任かなと思って発信していますね。

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今後のキャリアビジョン

ーー今後の目標を教えてください。

気象は様々な年代の人の暮らしに関わる情報なので、気象情報を伝えることで日々のちょっとした行動が変わることもあると思うんです。普段は空の楽しみ方とか、季節のちょっとした楽しみを伝えることを大事にしていて、災害などが起こりそうないざという時には的確な情報を伝えて、より快適に暮らせるような役に立つ情報を伝える事を目標にしています。

さらに、新しい気象キャスターを育てることや気象予報士の勉強を教えることにも興味があり、気象予報士としての実力を高めていくことを継続しながら、新しい人の育成にも挑戦したいと思っています。自分が資格を取って、勉強することが楽しかったので、同じ目標を持ってる人に向けて教えていきたいです。

ーーでは最後に、好きな気象現象について1つ語ってください。

雪が好きですね。放送局があった富山は、平地でも結構降るんです。それが積もった後にスカっと晴れて、じわじわと溶けていく様子を見るのが好きですね。富山は日本海側なので冬はずっと曇りやら雨やらなのですが、雪が降ると綺麗で、その時はすごくテンション上がりますね。

片山美紀
大阪府出身。早稲田大学文化構想学部卒業。大学卒業後、キャスターとして報道の現場で働いた後、2015年に気象予報士となる。現在はNHK総合「首都圏ネットワーク」「首都圏ニュース845」(平日)、「気象情報1154」「気象情報1853」(土日祝)にレギュラー出演中。過去記事のポートフォリオはこちらから。
聞き手&執筆担当:髙山彩希
株式会社クロフィー インターン
成城大学経済学部3年

インタビューを終えて:「夢に向かって努力する」と口に出すのは簡単ですが、実際はとても難しいことだと思います。現状への恐怖心がきっかけで難関試験を突破し、気象予報士となった片山さんは、優しさの中に芯を持つ素敵な方でした。
本連載企画について:記者ら、メディア関係者のための業務効率化クラウドサービス『Chrophy』を開発する株式会社クロフィーでは『学生が迫る、メディアの担い手の素顔』と題した本連載企画を行っております。編集は庄司裕見子、カバーイメージは高橋育恵、サポートは土橋克寿
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