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新しい雑誌をお届けします。広告はありません。広告に頼らないということは、読者に買っていただく代金に100パーセント依存することを意味します。頼りになるのはあなただけ!2024年もどうぞご贔屓に。

マガジン

  • チョートクのカメラノート📷🎥📹

    カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかなりお得です。カメラノートは毎日更新です。

  • ライカエム1の半世紀

    このカメラは、最終的には結構な数がM1からM2に改造されているので、M1の現存する数が少なくなってくると言うところがレアライカの理由なのである。

  • 7月第一弾 PENTAX17 新しいハーフサイズカメラの将来

    今回の田中長徳のカメラノートスペシャルでは、特徴として、今世間をお騒がせしている。ペンタックス17について私の論理を展開してみよう。

  • 6月第二弾 写真の日にフイルムカメラとデジタルカメラの対決

    今月の写真の日特集のフイルムカメラ対決デジタルカメラもそのようなものだ。遊びの世界だと言う意味で読んでいただきたい。

  • 6月第一弾 写真集の作り方ウィーンモノクロームセブンティーズ

    写真集と言うものは、自分が出版してから10年以上理想的には20年ぐらい経過して、それを見返すというのが非常に正しい鑑賞の仕方であると思う。

ウィジェット

最近の記事

^_^ブラックコンタックスの使い方

戦前の昭和10年頃に発行された田所さんと言う人が書いた。コンタックスの使い方と言うハードカバーの本が面白い。要するにまだクロームコンタックスが登場する直前の話であって、最初のブラックコンタックスでコンタックスの世界は完成されていると言うところが素晴らしいと思う。

¥200〜
    • ねじれたビルは嫌いです

      写真家としては、世界のそれもヨーロッパの近代建築と現代建築はよく撮影していた方だと思う。それで有名な建築家の作品を撮影したと言う事は、別に自慢にも何にもならないのであるが、それぞれの歴史に残る建築家の彼らの空間の認識方法を体験できることがカメラを通じて実現したと言う意味では貴重な体験だったと思う。

      ¥200〜
      • Leicavit MPのグリップを探す

        この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

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        • プラハの路面電車で、郊外の工場地帯を

          プラハの街並みを50年ぐらい撮影して、1番最初はツーリストの皆さんが来るような中心部の天文台の時計とかユダヤ人墓地とかその周辺を撮影した。それがだんだん興味が周辺部に広がってくると郊外の団地などを撮影した。

          ¥200〜

        ^_^ブラックコンタックスの使い方

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        • チョートクのカメラノート📷🎥📹
          ¥1,000 / 月
        • ライカエム1の半世紀
          11本
          ¥2,000
        • 7月第一弾 PENTAX17 新しいハーフサイズカメラの将来
          11本
          ¥2,000
        • 6月第二弾 写真の日にフイルムカメラとデジタルカメラの対決
          11本
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        • 6月第一弾 写真集の作り方ウィーンモノクロームセブンティーズ
          11本
          ¥2,000
        • カメラノートスペシャル5月第2弾 カメラの素振り学入門
          11本
          ¥2,000

        記事

          焼き芋屋さんが火事になる

          焼き芋と言うのは、高校生の頃は安い食物の代表的なものであって、池袋のマクドナルドができる。以前の普通のスタンドのハンバーガーよりも安かった。

          ¥200〜

          焼き芋屋さんが火事になる

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          ソ連製カメラの操作感覚は黒パンの味がする

          1970年代のウィーンで暮らしたときの私のノスタルジックオブジェと言うのはこのようなソ連製カメラなのである。 わずかな資金でライカを買ったりしてもそれは販売して生活の元手にしなければならないから日本に送ってしまう。結果として自分の作品を撮るカメラと言うのは安いソ連製になるわけだ。 そこら中で書き古しているがソ連製のジュピターレンズというのが同じ条件で撮影した頭ミクロン50と全く区別がつかない。それ以来ソ連のレンズを信用するようになって以来50年以上使っている。 一方でソ

          ソ連製カメラの操作感覚は黒パンの味がする

          ウィーンでのジョナスめかす生活

          1973年にウィーンの映画ミュージアムが創立10周年と言うことで、それを見に行ったら、地元の放送局からインタビューを受けたので、ジョナスめかすは私の大脳の中でより重要なポジションを占めることになった。

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          ウィーンでのジョナスめかす生活

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          ウィーン生活時代にお世話になったソ連製のライカ

          1970年代のウィーンの生活でソ連製のライカすなわちZorki やフェドには非常にお世話になった。ライカも持っていたのであるがライカは非常に重要な換金の手段であるからそれは日本に送って友人知人に買ってもらったりした。 その中には有名人もいてかまやつひろしさんなどはライカ好きなのであった。 そうなるとライカが生活のための資源であるから、自分の作品を作るとなるとソ連製のカメラしかないと言うことになる。 何度も書き古した話であるがライカM3の頭ミクロン50ミリとソ連製ライカカメ

          ウィーン生活時代にお世話になったソ連製のライカ

          ザルツブルグの冬の私

          1973年のモスクワの五つ星ホテルメトロポールに宿泊した時、ダイニングルームで出会ったアメリカ人夫妻がザルツブルグに行ってきたが、素晴らしいところだと感激していた。

          ¥200〜

          ザルツブルグの冬の私

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          おそらく最も使いやすい35ミリ2眼レフカメラと思われる

          四半世紀近く前2002年の頃だと思われるがイスタンブールにカールツアイスの2眼レフカメラ今田フレックスを持って撮影に行った。今はカメラ雑誌はなくなってしまったけれども当時はアサヒカメラも日本カメラも他のカメラ雑誌もあったし私はそれぞれに3本か4本の連載記事を書いていたのである。 それでおそらくアサヒカメラの連載だったと思うけど今田フレックスを持っていった。仕事真面目であるから1台では故障したときに戦場では困ると言うわけで二台持参したのである。イスタンブールまで行ってその重さ

          おそらく最も使いやすい35ミリ2眼レフカメラと思われる

          ジョナスめかす子の口から母はなくなりましたと言う言葉を聞いた

          ウィーンのフィルムミュージアムで、ジョナスめかすのレトロスペクティブをまとめてみたのが1973年の秋のことだった。オーストリアフィルムミュージアムの10周年の記念行事だった。

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          ジョナスめかす子の口から母はなくなりましたと言う言葉を聞いた

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          キャナルストリートの蚤の市でこのカメラが高くて買えなかった

          カードンカメラカンパニーはもともと音響関係のハイファイなどを手がけていた。会社であって、今でも存続しているそうだ。それが戦前から戦後にかけて、アメリカ軍からアメリカのライカを依頼されて大変な苦労させられたカンパニーである。

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          キャナルストリートの蚤の市でこのカメラが高くて買えなかった

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          ライカエム1の半世紀 1

          1 ライカM2から距離計を外したカメラ である。もともとライカM3が、当時のレンジファインダライカとしては、最高級の生堂思っていた。でもそれではコストがかかりすぎるということがわかったので、ライカの会社は手抜きをしたのである。光がファインダーの中で直角に交わって複雑なプリズムで光が行ったり来たりすると言うのはコストがかかると言うので、直角に光を曲げるのではなく、斜めに曲げて部品をシンプルにしたのである。

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          ライカエム1の半世紀 1

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          ライカM1の半世紀 2

          2 ライカM1の盲蓋をそのまま別の目的に使うと言う奇想天外な考え方を持っている。坂崎幸之助さん。

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          ライカM1の半世紀 2

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          ライカM1の半世紀 3

          3 1970年、最初のボーナスでライカエムデーを買いに行ったら、在庫がなくてM1を使うことになった

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          ライカM1の半世紀 3

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          ライカエムワンの半世紀 4

          4 M1に90ミリレンズをつけて冬の日本海を取る

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          ライカエムワンの半世紀 4

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