tanakachotoku
カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかなりお得です。カメラノートは毎日更新です。
今回のカメラノートスペシャルでは、ズームレンズが普通に使われている現状ではあるが、もう一度プライムレンズを見直してみよう。
3月第一弾のカメラノートスペシャルでは50年前の広告写真がどんな状況であったのかをここに書き留めておきたい。こういうのは書き留めておかないと記憶の波にさらわれて誰もわからなくなってしまうのが簡単なことであるからだ。
50年前のライカ選びと言うものは、人生2つの道のどちらののブライトフレームを選択するかと言う重要な決定事項であった。
食堂のおばさんが人生で達成しているじゃがいもの皮むきと同じようにライカをホールドできるのが最高のライカとのお付き合いと言うわけだ。
Summarex 85/1.5と言うレンズが、当時のライカの最も明るい85ミリレンズであった。それに対抗してカールツアイスも75ミリ1.5と言うレンズを出した。ここら辺は西側世界と東側世界の核兵器の開発競争のようなものであって、別にそれを実際に使うと言うわけではない。いや実際に使ったら大変なことになる。
最近の私は中古カメラ店に行かなくなった。銀座の中古カメラ市にも行かなくなった。理由は単純であって、住んでいるところが世界の中古カメラ市になってしまったからだ。
アメリカのスカイスクレーパーが建設中の戦前の写真に働いている人が鉄骨だけできた空中に腰をかけてランチを食べたりしている写真がよくあるね。あれは報道のためのヤラセだったのかもしれないがなかなかスリリングであって見ているのは面白い。それと今とは保安基準が違う。
ザルツブルグの街と言うのは、私にとって大嫌いな街であって、できることならば、お付き合いのしたくない観光都市であった。それが仕方がないと言う感じで、1979年と1980年の夏それぞれ3週間ぐらいずつザルツブルグで暮らしたのである。
例えば南半球に行った事は1度しかないけれども光の方向が北半球と逆なのでそれが面白かった。
50年以上前のウィーンの話である。あの頃は19世紀的なガストロノミーの習慣と言うものが残っていた。例えばバラの花束を持ってそれを1本ずつ販売して歩くと言う女の子の商売があって要するに飲み屋のカップルのお客さんはそこでバラの花を1本買って連れに愛情を送るわけである。
ロバートフランクは60年代初めにパリにお花の写真を撮るために出かけた。それは結構有名なシリーズになっている。男性が1本のバラの花を背後に隠して歩いて行く後ろ姿などと言うのはなかなかヨーロッパである。
1967年の11月の終わりに父親と新宿東口のラッキーカメラでライカM2のブラックペイントのボディーを買った。その値段は120,000円だったと思う。
ホーチミンの存在は、今でもベトナムのスーパースターである。すべての紙幣にはホーチミンの肖像が印刷されている。ベトナムの人々のお金の取り扱いが何か高尚な感じがすると前から思っていたのであるが、その理由はベトナムにはコインを始めとする通貨が存在しないと言うことに気がついた。
iPhoneファイブが日本で発売されたのが2012年の9月だそうである。当時のインターネット環境が非常に悪くてまだフリーのWi-Fiがほとんど見つからないような状態だった。それで日本でもプラハでもそうだが、どっかのショップで漏れている電波を使って通信をしたりしたのを懐かしい。
2009年の11月に取材で長崎に行ったのだ。東松さんの写真展が長崎県立美術館で開催されていたのでそれを見に行った。長崎はやたら海岸が奥にキレ込んでいて、さらにそこからいきなり高い山が立ち昇ると言う不思議な風景を向上させていた。
ウィーンから戻ってきた最初のお花見だから1981年の春である。友人に誘われて四谷の土手でお花見をやった。非常な文化的カルチャーショックを受けた。そこで展開されている乱痴気騒ぎというのがヨーロッパには存在しないからである。
スーパーのお弁当の上げ底の件
十数年前の古い画像で面白いレンズが出てきた。ライカM3に着いた75ミリの明るさが0.85と言うレンズである。市販の1番明るいレンズはの口ルックスのエフ0.95だし、スタンリーキューブリックがバリーリンドンで使ったカールツアイスの明るいレンズは0.75であった。
台東区下谷坂本と言うのは、この飲み屋さんの本来のアドレスであるが、その後に200メーターほど西に移転した。最初の建物は歴史的に重要な建築物らしくて、武蔵野のどっかにある建物公園とか言うところに移転したそうである。
十数年前の話である。仕事で長崎に撮影に行った。まだ東松さんがお元気だった頃の話である。別に日本を代表する写真家に会おうなどと言う失礼な事はしないけれども、大写真家が日常を見ている長崎の風景を私も脇から見たくなった。