tanakachotoku
カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかなりお得です。カメラノートは毎日更新です。
昨年お伝えした良い写真へのアドバイス2023というのを皆さんがたくさん読んでくださったので、今回は2024というのを書くことにした。
我々はすでにデジタルクラシックカメラの領域に進化した、こういうカメラを使おうではないか。
ニコンレンジファインダをカメラの歴史で軽く見ている人もいるかもしれないが、ロバートキャパが使ったし、ゲバラも使っているんだから、大変な存在感だと思う。戦争写真家の自由な歴史を伝える道具である。忘れてはいけないのはデビットダグラスダンカンもそうだったけど、彼はニコンのレンジファインダーではなくて、ニッコールレンズを使ったと言う意味でワンランク落ちるのである。 我々の学生時代、ニコンと言えば、それは一眼レフではなくて、レンジファインダーのカメラのことだった。そこで今回はニコン特集です。
これが今回のカメラスペシャルのテーマである。つまり写真におけるお花の問題は想像以上に複雑なのだ。 「ロバートフランクはパリでバラの花をどのようにとったのか?」
渋谷の周辺とか渋谷の先に住んでいる人にとって新しくなった渋谷駅と言うのは全体の構造がわからないと言うからかなり評判が悪い。私などは渋谷はベースではない人間なので…
なにわに10日ほど居るののだが、その初日に東京でGRの発表会があった。 森山大道さんがステートメントを述べるというので、行きたかったのだけど、残念であっ た。 思えば…
これは1990年代のドイツのフォトキナで登場した。アルパカメラブランドのピンホールカメラである。アルパカメラと言う高級ブランドが最も安いピンホールカメラを出したとい…
東京の佃島で暇人が集まって全く売れなかったスイス製の一眼レフアルパカメラの同好会を作ったのが30年以上前でそれが解散したのが20数年前である。もうその事は誰も覚えて…
今はもう存在しないカメラ雑誌の取材で、ドイツはケルンのフォトキナ2970年代から30年近く通ったわけである。現地レポートで新製品のカメラを拝借して撮影することもあった…
図書の流通の会社から、私のカメラ本が売れているので毎月出ている本のトップに有名人と対談をさせてあげるから誰がいいかと聞かれたのである。沢木さんでお願いしますと言…
それで街撮影のカメラは小型の方がいいという事実に今更ながら気がついた。 二十八ぶりに大阪に長滞在して週末に「帰国」した。帰国というのは実感であって、十年 ほど前に…
雑司が谷の鬼子母神界隈は^_^好きな街並みである。木造の5軒長屋というのがあって、私が大学時代にそこを通りかかった時に、ニコンエフに28ミリの広角レンズでサッカーボー…
10数年ほど前のことだ。Penと言う名前の雑誌で第二特集でソ連製の腕時計をやることに なった。それで当時のeBayで海外からソ連製の時計を買いまくったのである。その数 200…
私の好きな雑司が谷の裏通りを歩いている時などに、いきなりスペインの片田舎の街並みの一鶴が目の前に現れてびっくりすることがある。最近の注文建築であって、スペインで…
1 写真大学や写真学校をどのように利用するかが大切。何も教えてくれないからね。
2 写真表現で自分のスタイルを作り出すなどと言うのは考えない方が良い
3 グループ写真展と言うのは、単なる顔見せであるからやめたほうがいい
4 写真を何でも話せる友人を1人だけ持つと言うのは良い方法だ
5 まずライカが必要とか、まず8 × 10インチカメラが必要と言うような準備をしなくて良い。素晴らしい時代になった。
6 写真集は買わない。写真集のコレクターにならないように注意しよう。
渋谷の周辺とか渋谷の先に住んでいる人にとって新しくなった渋谷駅と言うのは全体の構造がわからないと言うからかなり評判が悪い。私などは渋谷はベースではない人間なのでそれよりさらにわからない。半世紀以上前に渋谷にカメラ屋さんがあったころいくことがあったがあのカメラ屋さんがなくなって50年以上が経過している。最後に渋谷と関わったのは土井カメラにギャラリーがあって、ニューヨークから戻ってきた翌年に育って、写真をやったのだから、もう大昔の話である
なにわに10日ほど居るののだが、その初日に東京でGRの発表会があった。 森山大道さんがステートメントを述べるというので、行きたかったのだけど、残念であっ た。 思えば、森山さんはコニカビッグミニを使われていて、たしかなにか森山さんにお目にか かった時に、あたしの持っていたフィルム時代のGR-1をお渡しした。 あれが1995年ころであったか。 森山さんのGR使いは有名である。 今度のカタログは繰上さんが撮影しているのであるが、そのマンハッタンのショットが素 晴らしい。 あた
これは1990年代のドイツのフォトキナで登場した。アルパカメラブランドのピンホールカメラである。アルパカメラと言う高級ブランドが最も安いピンホールカメラを出したということで、当時話題になった。アルパコレクターとしてはこのリミテッドエディションが手に入らなくて探している人も多いと思う。
東京の佃島で暇人が集まって全く売れなかったスイス製の一眼レフアルパカメラの同好会を作ったのが30年以上前でそれが解散したのが20数年前である。もうその事は誰も覚えていないから、忘備録として、ちょっと書きつけておきたい。 その当時の日本の中古カメラ市場では、アルパの一眼レフなんてだれも欲しがらないし、大抵壊れていたので、我々が研究会を作ったら壊れたアルバを大量に押し付けられることになった。そのうちアルパの研究が進んで自分たちで分解して修理できるようにまでなったのだからすごい。
今はもう存在しないカメラ雑誌の取材で、ドイツはケルンのフォトキナ2970年代から30年近く通ったわけである。現地レポートで新製品のカメラを拝借して撮影することもあったが、当時の新製品は全部デジタルカメラではなく、フィルムカメラであったと言うのも何やら感慨深い。
図書の流通の会社から、私のカメラ本が売れているので毎月出ている本のトップに有名人と対談をさせてあげるから誰がいいかと聞かれたのである。沢木さんでお願いしますと言ったら、沢木さんは数ヶ月前に登場しているから、片岡義男さんではどうですかと言われてびっくりした。超メジャーな作家であるからだ。
それで街撮影のカメラは小型の方がいいという事実に今更ながら気がついた。 二十八ぶりに大阪に長滞在して週末に「帰国」した。帰国というのは実感であって、十年 ほど前にオーストリア航空でよくプラハやウイーンにいったことがあって(ビジネスクラ スが成田発より安かった)帰りは関空に着くのであるが、これが午前6時の到着である。 ANAの乗り継ぎは午後までないので、南海電車?でなんばに行った。この時の印象は不 思議なものであった。 旅路の果ての「世界のもっとも遠い都市」なのである。心斎橋の
雑司が谷の鬼子母神界隈は^_^好きな街並みである。木造の5軒長屋というのがあって、私が大学時代にそこを通りかかった時に、ニコンエフに28ミリの広角レンズでサッカーボールで遊んでいる少年を撮影した。
10数年ほど前のことだ。Penと言う名前の雑誌で第二特集でソ連製の腕時計をやることに なった。それで当時のeBayで海外からソ連製の時計を買いまくったのである。その数 200位ではないかと思う。といっても大した事ではなくていっこの腕時計が10ドルとし てもトータルで2,000ドルと言うわけだ。 それでも向こうの業者さんにバイアと勘違いされたこともある。 その時あまりいい加減も書けないのでロシアの時計の歴史を簡単に調べたら確か最初の時 計が国内で作られたのは1925年のことで
私の好きな雑司が谷の裏通りを歩いている時などに、いきなりスペインの片田舎の街並みの一鶴が目の前に現れてびっくりすることがある。最近の注文建築であって、スペインであろうが、ロンドンであろうが、南フランスであろうが、それに似た雰囲気の注文住宅が1つの小さな街のブロックとして出現すると言うのは凄いことだと思う。日本全国町中がディズニーランドと言うわけだ。