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アマチュア・ピアニストの「お稽古」と「本番」


「ピアノの・・」と来れば「お稽古」

「ピアノのお稽古」。 瞬時に子どもの頃の気持ちに戻ってしまうフレーズだ。アップリケの付いたレッスンかばんを下げていた頃の、ちょっぴり神妙な心持ち。

アマチュア族の「お稽古」すなわち「練習」について、書いてみようと思う。

子どものお稽古 vs . 大人のお稽古

「楽器の王様」と呼ばれ、膨大な数の「おたまじゃくし」を扱うピアノは、他の楽器に比ベて長時間の練習が必要とされる。だから、愚直さや忍耐力が少なからず要る楽器だーーープロの演奏家ほどでは無くても。

子供の頃はそんな地道な練習に意欲がわかず、いつも練習不足のままレッスンに行っては先生にお小言を頂戴していた。

でも長いブランクの後、再開した今は、家でピアノに向かえる練習時間ができると、単純に嬉しい。

この差はやはり、あの頃と今のモチベーションの違いだろうと思う。


大抵の教室の先生方は、「大人の趣味」で習う生徒に、子どもがよく取り組む指練習だけの為に作られた、単調極まりない曲など課そうとしない。「曲(らしい曲)」を弾く練習の中で、その曲が素敵に弾けるために必要なテクニックを指導してくださる。

その「曲」も、かなり自由に選ばせてくれる事が多い。

思い入れのある曲に、どっぷり浸かり向き合える。練習時間は、そんな幸せなひと時である。

まず自分が弾きたいと思う曲に自由に取り組めること。それが、大人のアマチュア・ピアニストにとって一番の醍醐味だ。

心惹かれる或る曲、到底力不足だろうと躊躇していると、「弾きたいと思った時が、弾き時ですよ」と、師匠が背中を押してくれたりもする。師匠も、「いい大人」が様々な大人の事情や困難を乗り越えながらピアノのお稽古を続ける為には、弾きたい曲が弾けるという悦びが最大のモチベーションになると、お見通しなのだろう。

だから私も、ちょっぴり(いや、かなり?)背伸びしたりして、密かに恋心を抱ける曲を見つけて絞ると、それこそ一途に、日々の僅かな練習時間を注ぎ込む。

 「本番」の舞台にのぞむ

やはり人間、目標がないと努力はしない。進歩もない。・・・と言う訳で、自称アマチュア・ピアニストも、時折、舞台に立たなくちゃ、と自らを奮い立たせる

ピアノを再開した十数年前からこれまで何度か ーーー 通う教室の子ども達に混ざっての発表会に始まり、PTNA(通称 ピティナ、全日本ピアノ指導者協会)のステップ(舞台練習)やコンペ等々、人前で弾く機会に参加してきた。

各本番の日まで「その曲にどれだけ向かい合えたか。練習を積めたか」により、成果は様々ではあるとは言え、毎回舞台を降りて胸によぎる思いは、ほぼ同じだ。「練習の時の方が、よかった・・・」

「本番」の悪魔は、緊張?

練習で問題なくスムーズに弾けていた箇所で、どうして、本番でいきなり間違えたりするのか。いきなり頭が真っ白になり、覚えていたはずの暗譜が飛ぶのか。

そこで、私は考えた。ーーーこの悪夢は、本番ならではの緊張の仕業だ。

練習通り、普段通りに弾ける為には、緊張をほぐしリラックスした状態で本番に臨むことだ。そうして、呼吸法を試したり、舞台袖でぴょんぴょん跳んでみたり・・・。

「本番」の為の練習とは・・・

そんな中で、ハッとさせられる言葉に出会った。テニス・プレーヤーの伊達公子さんの言葉だ。

私がね、いつも思っていることは、『練習の為の練習をしない』ということ。

・・・試合で使えるような練習をしないといけない。だから練習の時に、いつも試合のときに打つイメージを持って。

練習って、やっぱりノンプレッシャーだと思うんだよね。
・・・練習のときは、一球ミスをしても次にまたボールが出てくるじゃない?だからそのボールの次はないというような気持ちで、練習のときも打たないと、試合のときに使えるボールにはならない。

『練習のための練習にしない』。練習の時の意識を変えることが、まず大事かなと思います。

NHK 〈アカデミア 第15回〉より

テニスの試合なら、対戦相手がどんなボールを返してくるか。芝や地面の様子、天候、光・・その場、その瞬間にならないとわからない。

ピアノの舞台も同じだ。

まず本番の舞台で弾くピアノは、そもそも「自分のピアノ」ではない。鍵盤の重さ、音色、ペダルの感触は、楽器によって全て違う。演奏する空間の違いも大きい。自宅の狭い空間とホールとの音響構造の違いは当然のこと、観客の入り具合や湿度などによっても、音の響きは変わってくる。

そう・・・本番で私が演奏途中に「つまずき」、頭の中が真っ白になってしまうのも、鍵盤の感触や耳に入ってくる音の響き等々が、いつも(練習のとき)と違うことに、思わずビクッとしてしまうから・・・。

・・・コンサートホールだと1500万円くらいのピアノが置いてあることもあります。そうすると、ふだん出ないような小さな音まで出たりする。扱う相手が変わることによって、「こう打鍵するとこういう音がするはずだ」という自分なりの方程式がおのずとくずれていきます
 くずれたときに、それまでの自分の方程式に固執せず、ピアノのポテンシャルを引き出すような形で、予定していた演奏を変形できること。あらたな方程式をその場で、鍵盤に触りながら、構築できること。これが「最高の演奏」であり「うまくいく」ための鍵です。

第1章「こうすればうまくいく」の外に連れ出すテクノロジー:ピアニストのための外骨格
『体はゆくーーできるを科学する〈テクノロジー×身体〉』伊藤 亜紗 文芸春秋

想像力を働かせて、練習することが大切なのだ。

そして、どれだけ普段の練習において自分に小さなチャレンジを仕掛けられるか・・・。ピアノ部屋の照明を変えてみたり、練習する時間帯を変えてみたり、自分の演奏を録画してみたり(それなりに緊張感が生まれる)・・・。できる工夫をしてみよう。時には、雑踏の中のストリートピアノに遠征してみるのも良いかもしれない。

本番の舞台での“Bravo‼︎”を夢見て

私は子どもの頃、「ピアノのお稽古」を 単なる「鍛錬」のように感じていた。だから、練習の先の発表会本番では、とにかく間違えずに、両手の指がスムーズに動いて最後まで「弾きこなす」ことが目標になっていた。だから、発表会で、技巧的で難しい曲が弾けるーそれがピアノのお稽古の最高のご褒美だと思っていた。

しかし、この歳になり、心に沁みる曲、弾きたいと思う曲は子どもの頃とは違う。全く「技巧的」でなくても、その旋律、和声、曲の成り立ちーー様々な曲の魅力に感動する。その曲を自分が演奏できるのであれば、その美しさ、素晴らしさを本番で聴いてくださる方に伝わることーーそれが一番の目標だ。

やはり「お稽古」が大切である。アマチュア・ピアニストのチャレンジは終わらない。


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