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瞑想で迷走!?中耳炎の巻

大人の中耳炎になりました…。

年末カゼをひいたのですが、どのお医者さんもお正月のお休みがはじまっていました。
ネットで探して見つけた内科のお医者さんにみてもらい、蓄膿症と診断され薬をもらったのですが、これが14日分という長い日数。
今回が初めての診察であり、いつもの耳鼻科の先生ではなかったので、症状が軽くなったところで薬を飲むのを止めてしまいました。

いやー
これがまずかった。

実は、おごっていた部分がありました。

Twitterをなんとなくみていると、「瞑想で健康になった」「カゼをひかなくなった」という雰囲気のつぶやきが目に入ってきたのです。

「お…今私カゼぎみだけど、瞑想してるから大丈夫なんじゃね?」

これです!そして、薬を飲むことが不安になってきた。結局薬を中断してしまったのです。

(今にして思えば、薬を中断するかどうかを、かかりつけのお医者さんに相談に行けばよかっただけの話でしたね…)

因果というのがありますが、瞑想歴数ヶ月の私。
土台もないのに、体が急に健康になりはしません。

今まで積んできた原因の結果としてカゼになるんだとおもうんですが、子どもが小さいこともあり、自分がカゼをひいたら寝込む前にすぐお医者さんで抗生物質を処方してもらっていました。

そのうちに、あまり熱が上がらない体質になってきたようです。

薬で今まで治してきたのに、自然派でいこうとしてもこれはまたそういう体質に改善していかないと急には体も変化できない。

しょうが湯やキムチなど、意識して冷え性改善を意識していた時期もあったのですが、気を抜いてサボりがちに。

体質改善は一日にしてならず。思い知らされた中耳炎なのであります。
かえって、心のクセの改善のほうが叶いやすいくらいですね。

さて、以前心がかなりピンチだったとき、色んな言葉を書き留めていたノートがあります。
その中に、今の自分にピッタリなものがあったのでシェア。


○病気になると、私たちは早く病気が治ってほしいと願う。しかし、そのように願うと私たちは病気の期間を人生の「空白期」にしてしまう。そのような考え方はおかしい。わたしたちは、どんな状態であろうと、自分のその人生をしっかりと生きるようにすべきだ。たとえ病気になっても、病気をしっかりと楽しみながら生きるようにすればいい。病気を「空白の期間」にしてしまっては、人生がそれだけ短くなるのである。病気になれば病気を楽しく生きる。逆境にあっては、逆境を楽しみながら生きる。そのような生き方が、仏教の言葉でいう中道だ。

(ひろさちや『仏教とっておきの話366秋の巻』)


瞑想に出会い、この感覚は大事だなあといまあらためて思います。

中耳炎は耳に違和感があり、不機嫌になりがち。
でも、その違和感をふむふむと感知し、気づいていく。
さらに心の動きも見ていくと、不機嫌な自分がいつもより多めに顔を出す。治るかな、痛くなるかな…などの不安も出てくる。まあ病気中ですから仕方ない…けれどもその不機嫌に気づいたらパッと手放していく。

瞑想に関していい機会を得られたのかも~と思えたら、中耳炎も貴重な体験として受け入れられそうな気がします。


そしてこちらは今日の絵です。

いい気分でいたら、いい選択ができる。そういう内容です。

実は中耳炎は大人になってから二度目。鼓膜破裂を経験しながらも完治したので、以前ほど恐怖はありませんが…できれば破裂しないで治ってほしいなあ~!

病気中ではありますが、よい縁を紡いでいけるよう精進したいです。



☆まるっ☆

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