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自利と他利
昨年秋、高崎の少林山達磨寺にいってきました。
ここには参道の階段を登りきったところに『招福の鐘』というものがあります。
二回、鐘をつくのですが、二回それぞれに意味があります。
それが、慈悲の瞑想ににているなあと思いました。
ひとつきめは自分の心が安らかでありますように
ふたつきめはみんなが幸せでありますように
先日読んだスマナサーラ長老の本にも、自利と他利についてかかれていました。
「お釈迦さまの科学的な実践方法では、自利と他利という分け方はありません。というより、分けることもできないのです。自利行為は他利行為になるし、利他行為は自利行為になります」
『やめたいことは、やめられる。 』アルボムッレ・スマナサーラ 河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309247281/
自利と他利という分け方は大乗仏教からということが書かれていました。
なるほど…気づきの瞑想は、自分の感情を客観的に見ていく、と私は理解しています。
瞑想によって自分が整っていく→そのことを自覚する→他人の苦しみがわかるようになる→慈悲の心が育つ…というサイクルは、まずは自分が幸せになることからはじまる、ともいえるかもしれません。
自分の心がモヤモヤマイナス思考や妄想で乱れていながら、むりやりニコニコしてがんばろうというのも実は順番が逆で、無理がある…ともいえるのかも。
達磨寺も禅の流れをくんでいます。
まずは自分の心。そして世界への慈悲。招福の鐘の順番はこの流れをよく表しているなあと思ったのでした。
そして今日の絵。
これは「絶好調おじさん」について描きました。
いつかラジオで耳にした話で、真夏に働く宅配のおじさんについて。
宅配便が届いたので、暑い中汗だくで働くおじさんにある奥さんが声をかけました。
おくさん「熱い中、たいへんですね」
おじさん「(笑顔で)いえいえ、絶好調!」
絶好調!!ということば。このおじさんは絶好調と答えているんですが、ある意味悟っていると思うんです、わたし。
仕事はできる人に与えられるもの、と、思います。絶好調おじさんは、笑顔で絶好調と答えます。本当は大変かもしれませんが、仕事としてイキイキ働くという姿勢が、今を生きているっていう意味なんだなとわたしには感じられました。
そういうことを思い出しながら、絶好調!は周りも絶好調!にしてくれるという意味を込めて描いた絵だったのでした。
瞑想をはじめて、くよくよすることがあまりなくなってきました。かわりにささっと仕事を片付けることができるようになってきたような気がします。
絶好調!!な今を、生きていきたいですね(*´з`)
☆まるっ!☆
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